前回の記事「ナチスを裁いたニュルンベルク裁判 “人道に対する罪”とは何か?」では、ニュルンベルク裁判で定義された「人道に対する罪」の概念と、その意義について解説しました。
ナチスを裁いたニュルンベルク裁判 「人道に対する罪」とは何か?
https://kusanomido.com/study/overseas/76032/
ニュルンベルク裁判では、ナチス・ドイツの指導者たちが「人道に対する罪」で起訴されています。
ナチスの行為は、当時のドイツ国内では合法的なものでしたが、国際法の下では重大な人道的犯罪と位置付けられたのです。
「人道に対する罪」と個人の刑事責任
裁判を通じてホロコーストなどの「人道に対する罪」は、単なる一国の国内法の問題にとどまらず、人類全体に対する罪であるとの考え方が明確にされました。
その結果として国家権力や国内法を理由に免責されることなく、個人として責任を問われることになります。ゲーリングやリッベントロップなど、ナチスの最高幹部に死刑判決が下されたことは象徴的な出来事でした。
このように「人道に対する罪」の概念によって、従来の国家主権が持っていた絶対性が相対化され、個人の人道的責任が優先されるようになります。
「人道に対する罪」の導入は国際法の大きな変化でした。国家権力から個人の尊厳を守る上で、画期的な視点であったと言えるでしょう。
今回の記事では「人道に対する罪」の概念が、どのように個人の責任追及に活用され、その有効性が確認されたのか見ていきます。
このとき哲学者のヤスパースが果たした、決定的な役割にも焦点を当てたいと思います。
歴史認識の相違はドイツと日本でなぜ異なる?
第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判や極東国際軍事裁判(東京裁判)では「人道に対する罪」が厳しく断罪されました。
この裁判結果を踏まえて、ドイツは国家として過去の責任を認め、被害者への補償や過去の清算に向けた取り組みを進めていきます。
反省に基づいたドイツの取り組みは、他国からの“外圧”によって始まったものの、周辺国との関係修復に繋がりました。
それでは、日本に視点を移してみましょう。
政治思想史が専門である仲正昌樹によると、日本では「人道に対する罪」という概念を司法システムに取り入れられず、東京裁判において明確な責任判断が示されませんでした。
日本の戦争責任については明確な総括がないため、歴史認識の混乱が生じていると言うのです。
「日本における責任追及の曖昧さは、歴史認識の一貫性を欠く原因となり、過去の行為に対する判断基準が立てられない状態になっている」と仲正は言います。
そして「重大な人道犯罪の“元大悪人”として、ドイツは反省を強いられたのに対し、日本は罪が軽く反省も十分ではなかった」とし、両国の反省に至るまでの過程が大きく異なっているため、現在に至る歴史認識の齟齬を生み出していると結論付けます。
哲学者ヤスパースが果たした役割
ドイツと日本の戦後処理では、国家と個人の両方に対する責任が問われました。
ドイツの哲学者ヤスパースは、個人の具体的な責任を明らかにする重要性を指摘します。ヤスパースは「刑法上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上学的罪」という罪の区分を提唱するのです。
このうち「刑法」と「政治」の罪は国家に対して追及可能ですが、「道徳」と「形而上学」の罪は個人の内面に関わるため、強制することはできないとします。
ヤスパースは
「個人の反省と国家による解決策は、別次元の問題として扱うべきである」
「個人の内面に関わる反省は強制できないものの、国家による解決策は反省を待たずに進めるべきである」
と提案したのです。
ヤスパースによる責任区分の明確化は、国家の反省を求める左派と、反省の強制を嫌う右派の合意形成を可能にしました。個人の内面に基づく反省と、外交的謝罪(反省)を両立させることで、ドイツの戦後処理は建設的な方向へと進むことができたのです。
このアプローチは、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーにも支持されます。
ヤスパースが提唱した「個人と国家の責任区分」は、過去の反省と外交的解決を同時に進められたという点で、ドイツの戦後処理に重要な役割を果たしました。
日本には、ヤスパースがいなかった
一方の日本はドイツとは異なり、個人と国家の責任区分が不明確なままでした。
個人の反省と国家の謝罪・補償が整理されなかったため、過去の反省と政治的な課題の両立が困難になり、日本の戦後処理は迷走してしまいます。
個人の内面的な反省、そして国家が取るべき政策(謝罪や補償)が混同され、感情論に流される場面が多いのは、ヤスパースのように個人と国家の責任を区別して、議論を整理した思想家が日本にはいなかったからです。
日本においてもドイツのように、個人と国家の責任を明確に切り分ける視点が必要でした。
もし戦後にきちんとした整理ができていれば、周辺国と和解に向けた建設的な議論を模索できた可能性があります。
参考文献:仲正昌樹(2005)『日本とドイツ 二つの戦後思想』光文社
この記事へのコメントはありません。