ヨーロッパ近代国家の理論と普遍的理念
前回の記事「“近代”から“現代”の歴史的転換点とは? 【帝国主義の終焉と第二次世界大戦の始まり】」では、ヨーロッパ近代の始まりはウェストファリア条約(1648年)にあること、また近代の国家理論を築いたホッブズの思想を見てきました。
「近代」から「現代」の歴史的転換点とは? 【帝国主義の終焉と第二次世界大戦の始まり】
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ヨーロッパの近代国家の論理は、論理的かつ理性的に構成されています。
デカルトの影響を受けたホッブズは、国家を機械のように論理的に構成しようとしました。この論理的構成には普遍性があります。
個人の自由を前提とすると、自由、民主主義、基本的人権といった価値観が普遍的なものとして導き出されます。
ヨーロッパ市民社会の理念は、歴史的には特定の条件下で生まれたものです。イギリスやフランスの市民革命によって生み出された理念は、全くの偶然による産物なのです。
しかし市民社会の理念は論理的に構成されているために、特定の歴史的条件から切り離され、普遍的なものへと昇華されます。
啓蒙主義の誕生
ヨーロッパ市民社会の理念をさかのぼると、実際には歴史(偶然)的な産物なのですが、論理性を持っているため普遍的な妥当性を持つことになります。
このような背景から普遍的理念を持つ側(ヨーロッパ)が、それに目覚めていない側(アジア、アフリカ)に指導しようとする「啓蒙主義」が生まれました。
理論的に構成されたヨーロッパ近代国家の論理は、普遍的理念への到達をもたらし、これが啓蒙主義へと結びついたのです。
ヨーロッパの使命感と帝国主義の欺瞞
ヨーロッパは自らを文明の頂点であるとみなし、遅れた世界に対する使命感を持っていました。
個人の自由に基づく思想が普遍的であると考えたとき、ヨーロッパはこの思想を遅れた地域に広めることを、自らの使命であると感じていました。
こうしたヨーロッパが持つ使命感の現れが、19世紀に台頭した「帝国主義」でした。
ただし帝国主義を生み出した根本的な要因は、経済的利権や政治的野心、支配階層の利益などでした。
イギリスのシティ(ロンドンの金融街)の大商人や金融業者は、自分たちの資本を海外に積極的に投資していきました。インドやアフリカの植民地における鉄道の建設計画に資金を提供し、その見返りとして植民地の資源や市場を支配下に置いていきます。
また、海外のプランテーションに対する投資を通じて、砂糖や木材、綿花などの供給を確保する一方で、イギリス製品の優先的な輸出ルートを作っていきました。
自分たちの資本を武器にして海外資源や市場を支配下に置くことで、イギリスの資本家は巨額の利益を上げ、自分たちの経済的利益を推し進めていったのです。
上記のような経済的メリットが、帝国主義の土台となっていたといえます。
帝国主義の実態とは、表面的には普遍的理念の実現を掲げながら、裏では経済的利害が大きかったと言えるでしょう。
ヨーロッパの使命感と福沢諭吉
ヨーロッパのエリートたちは自分たちの進歩した文明を、遅れた地域に指導することが許されると考えていました。
日本でも福沢諭吉がヨーロッパから学び、「日本は文明の遅れた朝鮮や中国を指導すべきだ」と主張したことがあります。
福沢の思想は、啓蒙主義の産物でもあります。
また現代における啓蒙市議は、アメリカのネオコンが持つ論理にも引き継がれています。
ネオコンは「専制的な政府を倒し世界を民主化する使命」がアメリカにあるとし、9.11後のイラク戦争を正当化しました。アメリカは自由や民主主義を守る使命があり、世界の秩序を維持する責任があるとしたのです。
こうしたアメリカの論理は、19世紀に展開されたヨーロッパの帝国主義と基本的には同じになります。
ある意味、独善的な側面があると言えるでしょう。
帝国主義と勢力均衡
19世紀に帝国主義が拡大した背景は、ヨーロッパによる後進国の“分割”が進行したからです。
帝国主義は、ウェストファリア条約で成立した「勢力均衡」の考え方を、世界の地図上に適用したものでした。
イギリスがある地域を獲得すれば、フランスやドイツなどの国々も別の地域を植民地として獲得する、というパターンが繰り返されます。
こうした世界の分割によって、ヨーロッパ列強の間で生じた勢力のバランスを保つことができたのです。
したがって19世紀の帝国主義は、17世紀に成立したヨーロッパのウェストファリア体制を世界的規模で適用した結果であったと言えます。
そして第一次世界大戦によってヨーロッパを長年支えてきた勢力均衡は、最終的に崩壊することになったのです。
帝国主義とアメリカの「一極体制」構想
19世紀末の帝国主義は、ヨーロッパ列強国の「勢力均衡」に基づく考え方でした。
これに対して現代アメリカの考え方には、勢力均衡論は存在しません。
アメリカだけが圧倒的な強大国として、世界秩序を支配すべきだとしたのです。
いわゆる「覇権安定論」です。これは真の意味で「世界帝国」を目指す発想と言えます。
アメリカは自国のみが世界秩序を維持できると信じており、複数の国によるバランスではなく「一極体制」の方が安定すると考えたのです。
こうした一国優位の世界観は、19世紀のヨーロッパには存在しませんでした。
世界の安定のためには、大国間に存在する勢力のバランスが必要とされてきたからです。
フランスのシラク大統領がイラク戦争に反対した背景には、この旧ヨーロッパ的な均衡論の発想があったと考えられます。
参考文献:佐伯啓思(2015)『20世紀とは何だったのか − 西洋の没落とグローバリズム』PHP研究所
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