西洋史

中世ヨーロッパでもっとも忌み嫌われた「意外な色」とは

時代と共に移り変わるファッションと、それに伴う色の流行。

現代のようにマスメディアやSNSが無い時代は、一体どのような理由で、ある色が好まれたり、避けられたりしたのでしょうか。

今回はこの問いに迫るため、中世ヨーロッパの色彩に関する文化的背景を調べてみました。

今は人気のあの色も、当時は不人気

画像:フィリップ・ポーの墓 wiki c Titlutin

色の手始めといえば、まず白と黒。

15世紀前半ヨーロッパ各国で紋章官を務めたシシルが記した『色彩の紋章』によれば、白は当時から「美しさと歓び」の源であると捉えられていました。これは現代の私たちが持つ白の清廉なイメージとも結びつきやすいことでしょう。

そして対極の黒はと言うと、他のどの色よりも明るさに欠けることから「悲しみ」を意味し、「もっとも低く卑しい色」とまで捉えられていました。

そしてこの「悲しみ」の感情は「怒り」と共に、避けるべき対象とされており、現代の私たちが感じるネガティブさよりも一層激しいもので、「悪徳」とさえ説かれていたのです。

画像:ジャック・ド・ララン(1421–1453) public domain

例えばブルゴーニュ公に仕えていた騎士ジャック・ラランの記録には、怒りは「罪」であり、悲しさは怒りの源にもなりえるため、避けることべきとの訓戒が残されています。

「怒りと悲しみ」は強く忌避すべき感情であり、そこに結び付けられる黒は、清貧と簡素をモットーとした修道士が着る以外は、忌み嫌われる色だったのです。

意外な色が嫌われものに

画像 : ユダの接吻 (Judas Kiss)public domain

ビタミンCが豊富な柑橘類を思わせ、鮮やかで健康的な印象から「ビタミンカラー」とも呼ばれる黄色。

現代では明るく陽気な色として親しまれていますが、この色の解釈は時代や地域によって大きく異なってきました。

たとえば、中国では「黄河」や「黄帝」という言葉に見られるように、黄色は尊いものとして捉えられ、隋以降は天子が着用する「黄袍」として権威を象徴しました。この中国文化の影響を受けた日本でも、天皇は「麴塵袍(きくじんのほう)」、皇太子は「黄丹袍(おうにのほう)」といった黄色を含む衣装を身にまとっていました。

一方、ヨーロッパでは中世から近代にかけて、黄色は「犯罪者や蔑視の象徴」とされていました。

1215年の第四回ラテラノ公会議では、反ユダヤ政策の一環として、ユダヤ人に黄色の目印をつけるよう命じられます。この慣習は後にナチス政権下で復活し、ユダヤ人は黒縁の黄色い六芒星を強制的に身につけさせられました。

こうした黄色に対する否定的な扱いは、イエスを裏切ったとされるユダの着ていた黄色の服に由来するとも考えられており、そこから負のイメージが広まったとされています。

柄にも忌み嫌われるものがある

ナチス政権下でユダヤ人が強いられたものには、強制収容所で用いられた黄色と黒の縦縞のユニフォームもあります。

画像 : ザクセンハウゼン強制収容所に収容されていた人の服。左下にバッジがある wiki cc Sarah Ewart

1995年には、ある日本人デザイナーが黄色と黒のパジャマ風デザインをファッションショーで発表し、大きな批判を受けて撤回を余儀なくされました。

中世から続く、色や柄への否定的な印象が、現代にまで暗い影を落としている例と言えます。

現在は一般的で親しまれる縞模様も、中世ヨーロッパでは異なる意味を持っていました。

「多色を用いることは品がなく気まぐれな印象を与え、縞柄は身持ちの悪さを示す」と考えられていたのです。
この事から、縞柄は娼婦の印にも用いられていました。

12世紀ごろまでは、街中で客引きをする女性は問題視されていませんでしたが、13世紀後半になると、こうした女性たちが社会から排除される風潮が強まります。

そこでユダヤ人の黄色と同様に、蔑視の印として娼婦に身に着けさせたのが縞模様だったのです。

画像:『悔悛するマグダラのマリア』(1565年頃、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画) public domain

この売春する者を縞で示すことは、絵画上でも習慣として残ることになります。

たとえばティツィアーノの16世紀の作品『悔悛するマグダラのマリア』では、イエスに従った女性マグダラのマリアが、腕と腰に縞模様のショールをまとっている姿が描かれています。

嫌われカラーがトップモードに

色や模様から受ける印象が、時代や地域によって大きく異なることは先述しましたが、その中でも特に変化が顕著だったのが「」です。

中世では黒は「醜悪で邪悪な色」とされていましたが、14世紀末頃からそのイメージが変わり始めます。

王侯貴族が黒い衣装を身にまとうようになると、黒は「高潔な心と飾らない態度」を表す色とされ、男性の理想的な姿として美しいと評価され、流行するようになったのです。この飾り気のなさは修道服にも通じるもので、高貴な印象が加わりました。

さらに15世紀になると、黒が表す「悲しみ」の感情に対しても肯定的な評価が与えられるようになります。

つまり、悲しみに身をよじったり、それに耐える姿が美と結び付けられていったのです。

画像:『善良公フィリップ3世』(1450年頃、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン画) public domain

たとえば、故人を悼む黒衣の泣き人たちが悲壮感を盛り上げるルーヴル美術館蔵のフィリップ・ポーの墓や、父を惨殺された後、喪服を着続けたフィリップ善良公の洗練された肖像画は、その証左であるとも言えます。

こうして中世ヨーロッパを例に色の評価の変遷をたどると、どの色や柄模様にも等しく美しさが認められる時代を迎えられたことは、とても貴重で喜ばしいことだと感じられるのではないでしょうか。

参考文献:『色で読む中世ヨーロッパ』徳井淑子/著
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【殷を破滅に導いた暴君と悪女】紂王と妲己が繰り広げた「酒池肉林」…
  2. 【笑い死にから憤死まで】歴史に残る「変な死に方」8選
  3. オーストリア・ハンガリー帝国 「なぜ世にも珍しい二重帝国となっ…
  4. 『中国史上最悪の女たらし』182人の女性を誘惑した男の“禁断の術…
  5. 『あんぱん』未亡人・登美子(演・松嶋菜々子)の再婚の選択は正しか…
  6. 【ナチスの美しき悪魔】イルマ・グレーゼ ~アウシュヴィッツの残酷…
  7. 尼さんの姿で春を売った女性たち ~江戸時代の「売比丘尼」とは何者…
  8. ハーンの女中となった小泉セツ「ラシャメンと呼ばれるのが一番つらか…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

織田信長は天下を目指していなかった?「目的は秩序回復だった説」

戦国ファンの多くは、織田信長が好きだ。信長の魅力は、破天荒な性格や強いリーダーシップに加え、…

浅井長政とは 〜「信長の妹・お市と結婚し、死後に将軍家光の祖父となる」

信長の同盟者 浅井長政浅井長政(あざいながまさ)は北近江を治めていた戦国大名であり、織田…

藤原道長について調べてみた【最強の貴族】

奈良の春日大社で3月に行われる「春日祭」。平安貴族であった藤原氏の氏神祭である。この祭りには毎年…

【古代史上稀代の女傑】 飛鳥時代の中心人物・斉明天皇

激動の飛鳥時代に、2度も皇位についた女性天皇斉明天皇は、594年に第30代敏達天皇の孫・…

モンゴルのトゥス・キーズと韓国のポジャギ 「母の愛を改めて知るアジアの装飾文化」

その国の装飾文化を伝える手法といわれる刺繍や伝統技法には、色彩で表現される美しさや、良縁や健…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP