イラクへのピンポイント空襲
バビロン作戦とは、1981年6月7日に行われたイスラエルによるイラクへのピンポイントでの空襲作戦です。
この作戦は、当時イラクが進めていた核施設(原子炉)の破壊を目的として行われたもので、イスラエル空軍の戦闘機からの爆撃によって、建設中であった核施設が破壊されたものでした。
イスラエルが行ったこの「バビロン作戦」と呼ばれた軍事行動は、明かに国際法に反する行いでした。
このため国際的に多くの非難を浴びることになりましたが、イスラエルという国が、自国の防衛のためには先制攻撃をも辞さないという姿勢であることを改めて敵対国に示すものとなりました。
フランス国内での爆破作戦
この時イスラエルが攻撃を行ったイラクの原子炉は、フランスの技術供与を受けて建設されていたものでした。
先ずイスラエルは外交ルートを通じて、自国と敵対するイラクへの原子炉を含む核技術の提供を止めるようにフランス政府に強く申し入れを行っていました。
しかし時のフランス政府はイラクの原子炉は平和目的での利用であるとして、イスラエルの再三の申し入れを拒絶しました。
このため実力行使に出ることにしたイスラエルは、空爆に先んじること2年前の1979年4月、イラクへの出荷のためフランス国内の港に置かれていた原子炉の収納用容器に対して爆発物を仕掛ける工作を実行しました。
これには有名なイスラエルの諜報機関モサドが関与に携わり、爆破は成功しましたが完全に破壊するには至りませんでした。
驚くべきことにこの爆発を受けた機器を、フランス政府はそのままイラクに輸出しました。
その後もイスラエルはモサドを中核とする機関を通じて核開発の技術担当者の殺害、原子力発電所に関連する企業の役員などへの妨害工作を行い、しかもそれらをフランス国内の過激派やイスラム系の組織の仕業に見せかける工作を行いました。
バビロン作戦の成功
しかしイラクへと持ち込まれた核施設の機器を用いて、原子力発電所の建設が進められていきました。
このためイスラエルは戦闘機を用いた軍事行動「バビロン作戦」を立案し、武力をもってその原子力発電所を破壊することを決定しました。
イスラエルは同国空軍に所属するF16戦闘機8機、F15戦闘機6機の合計14機をこの作戦に投入。
イスラエルの空軍基地を離陸したこれらの14機の戦闘機は、先ずヨルダンの上空から侵入してイラクに向かいました。
ヨルダン、そしてイラクの両国のレーダーに補足されずに低空で侵攻した14機は、目標への攻撃を実施しました。
使用された爆弾は16発で内1発は不発、更に1発は外れたものの、残りの14発が命中。
この空爆でイラク軍の兵士が10名、フランス人の技術者1名が死亡する事態となりました。
作戦後には14機はサウジアラビアの上空を通過し、イスラエル空軍基地への無傷での帰還を遂げました。
イラン革命で浮いたF-16
イラクの核施設の破壊に成功したイスラエルではありましたが、前述の通り国際的には大きな非難を浴びました。
またヨルダン、イラク、サウジアラビアの防空能力も批判の対象となり、引き替えイスラエルの国としての能力、即ち、情報収集における諜報能力、軍事作戦における企画能力、実施能力の高さを改めて世界中に知らしめることになりました。
しかしこの計画が練られた当初は、作戦の障害としてイラクまでの距離が課題となっていました。
それまでのイスラエル空軍が主力として保有していたF-4E戦闘機では航続距離が短く、作戦の遂行は不可能な状況でした。
これを可能にしたのがイラン革命で、これによりアメリカからの購入が白紙とされ宙に浮いた形であったF-16戦闘機をイスラエルが手に入れる事ができたと伝えられています。
この記事へのコメントはありません。