国際情勢

2022年 北京冬季五輪における「外交ボイコット論」を振り返る ―欧米と日本の対応

ちょうど3年前の今頃、北京で冬季五輪が開催されたが、その当時、欧米諸国を中心に「開会式や閉会式の政府関係者を派遣しない」という外交ボイコット論が激しくなった。

米国議会下院議長は2021年5月、中国政府による香港国家安全維持法の施行やウイグル人権侵害などを背景に、北京五輪の開会式や閉会式を政府関係者が参加を見合わせるよう呼び掛け、EUの欧州議会も2021年7月、同様の背景を理由に、習政権からの開会式招待などを辞退するよう加盟国に求める決議を採択した。

また、英国のタイムズ紙やオーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルドも同年11月、ジョンソン政権やモリソン政権が政府関係者の派遣拒否を検討していると報じた。

欧米で広がったボイコットの動き

画像 : 北京五輪の開会式 wiki © kremlin.ru

そして、それは2021年末になると現実のものと化した。

バイデン政権は2021年12月、新疆ウイグル自治区における人権侵害を理由に、政府関係者を派遣しない方針を示した。

当時、国内でのバイデン支持率が低下しており、中国への懸念は民主党共和党を問わず超党派的な広がりを見せており、バイデン政権は支持率の回復と増加という狙いもあり、中国に対して厳しい姿勢を貫ける現実があった。

他の欧米諸国もこれに続いた。2021年12月8日に3か国がバイデン政権に追随する姿勢を示した。

まず、オーストラリアのモリソン首相が8日、来年2月の北京冬季五輪に政府高官を派遣しない方針を明らかにした。
英国のジョンソン英首相も同日、北京冬季五輪に政府高官を派遣せず外交ボイコットを実施すると表明し、カナダのトルドー首相も、カナダは何年にもわたり中国の人権侵害に深い懸念を表明してきたとし、米国と同調姿勢をとることを明らかにした。

世界的なスポーツイベントは政治の影響を受ける

画像 : 北京の街並み wiki © Kim S

オーストラリアと英国、カナダがバイデン政権に追随することを表明したが、それぞれのこれまでの対中関係を見てくると、それはおおよそ予測できたものだった。

特に、オーストラリアと中国の関係は、習政権がオーストラリア産の牛肉やワインの輸入制限を講じるなどして急速に外交関係が悪化し、モリソン政権も香港国家安全維持法の施行や、新型コロナの真相解明などで中国に不信感を高めていた。

英国にいたっては、G7の首脳会合や外相会合に韓国やオーストラリア、インド、そしてアセアン諸国を招待し、TPP加入申請や空母派遣などインド太平洋へ関与・接近するなど中国を強くけん制する姿勢を鮮明にしていた。

カナダも、米国と英国とともにウイグル人権問題を理由に中国政府の関係者へ制裁を発動し、米軍とともにカナダ軍が台湾海峡を航行したこともある。

そして、この問題について当時の岸田政権も国益の観点から判断するとの姿勢を示し、閣僚級を派遣せず、格下の長官レベルを派遣する方針を示した。

日本にとって中国が最大の貿易相手国であり、同じ東アジアを構成する国家として、日本が取れる措置は欧米と同じではない。日本には日本の国益があり、それに基づいた判断が求められる。

しかし、長年続く中国の人権侵害、そして国際秩序を一方的に変更しようとする取り組みに対し、日本も自由民主主義国家の一員として欧米とともに強い意志を中国に示す必要性が当時叫ばれたのである。

文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部

アバター画像

エックスレバン

投稿者の記事一覧

国際社会の現在や歴史について研究し、現地に赴くなどして政治や経済、文化などを調査する。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 中国が目論む、海洋軍事戦略「第三列島線」とは?
  2. 「世界の軍事力増強が止まらない」第3次世界大戦も現実味
  3. 【世界人口削減?】ジョージア・ガイドストーンの謎 「10のメッセ…
  4. 【迫る都知事選】今こそオルテガの『大衆の反逆』を読む 「多数決は…
  5. ヘンリー・フォード【ナチズムに大きな影響を与えた自動車王】
  6. 中国と台湾の間で起こった「パイナップル戦争」とは ~台湾が中国の…
  7. 【第2次世界大戦後】日本の分割統治計画がなくなった理由とは?
  8. 『雷に7回打たれた男』ギネス記録保持者ロイ・サリヴァンの、まさか…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

信長はなぜ本能寺に泊まったのか? 織田信忠の視点から見た本能寺の変

はじめに天正10年(1582年)6月2日、天下統一を目前にした織田信長(おだのぶなが)が…

【光る君へ】 敦明親王(阿佐辰美)の悲劇… 道長の野望により前途を絶たれる

三条天皇の第一皇子敦明親王(あつあきらしんのう)阿佐 辰美(あさ・たつみ)三条天皇の…

『女子供、老人だけで島津軍を翻弄』戦国の女傑・妙林尼の痛快な逆襲劇とは

天正十四年、豊後の国に主のいない城があった。老人、農民、そして女子供ばかりが守る鶴崎城である…

日本人なら知っておきたい!皇室用語「内親王」殿下について調べてみた

ある時、小さな子たちがテレビを見ていると、画面に女性皇族の方々がお出ましになりました。「あ、…

春日大社の「源流」は大阪だった?枚岡神社が「元春日」と呼ばれる理由とは

大阪府東大阪市、生駒山の西麓にひっそりと鎮座する枚岡神社(ひらおかじんじゃ)。河内国一宮とし…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP