日本から約7時間半の空の旅を経て到着するのは、東南アジアの多民族国家マレーシアだ。
低コストで学べる教育環境と、常夏の住みやすい気候であることから移住先にマレーシアを選ぶ人々が急増している。また、多民族国家であるが故の共通語の英語はもちろん、マレー語、中国語、タミル語などが飛び交う不思議な国だ。
そんなマレーシアには、初代国王パラメスワラによって1403年に誕生した「マラッカ」というマレーシア最古の都市がある。
ヨーロッパの国々による植民地時代を経験しながらも、貿易業に努めていた歴史を持つ「マラッカ」は今、まるで絵本の中に迷い込んだかのような鮮やかなサーモンピンク色の建造物で有名な観光都市になっており、世界各国から訪れる観光客を魅了している。
西洋の香り漂う「マラッカ」
マレーシアの特徴といえば、東南アジアの中にどこか西洋の雰囲気を感じるところだ。中でも「マラッカ」は西洋の街並みを思わせる独特な雰囲気を強く持っている。
遡ること1511年、ポルトガルによる植民地時代を送り、1641年にはオランダが、1786年にはイギリスとオランダ、1824年から1957年のマレーシア独立まではイギリスが「マラッカ」を植民地支配していた。このようにポルトガル、オランダ、イギリスの3カ国による長い植民地時代を送る中で、西洋文化を取り入れながら築きあげられた都市こそが「マラッカ」なのだ。
西洋文化の名残りが強い「マラッカ」は、2008年にユネスコ世界文化遺産にも登録された。
「マラッカ」の中で最も有名な観光地であるサーモンピンク色の広場と教会は、オランダ文化の影響を大きく受けている。しかし、建築当初から建物全体がサーモンピンク色をしていたわけではなく、元の姿は素朴なグレーの建造物であった。
「マラッカ」がイギリスに植民地支配されていた時代に、当時の労働者たちの間で『ビンロウ』という植物を噛む習慣があった。この『ビンロウ』という植物は噛みタバコとも言われており、噛み続けると口の中で黄色や赤色に変化することがあった。そのため『ビンロウ』の色で建物の外壁を汚してしまうことが多く、その黄色や赤色の『ビンロウ』の汚れを隠すために建物全体をサーモンピンク色に塗り替えたのだ。
世界の貿易を支える「マラッカ」
植民地時代から「マラッカ」は、世界との貿易に力を入れてきた。自国で生産が難しい食料や飲料水を貿易で補い、人々の生活を豊かなものに変えようとする働きがあったからである。その後、マラッカ海峡を中心に中国製の陶器と香辛料、インドネシア産の米や肉類を運ぶ貿易船の行き来が盛んになった。
インドや中東、ヨーロッパとの貿易も始まると「マラッカ」は、海のシルクロードとしての役目を担う存在となった。世界の貿易の拠点としての活躍こそが「マラッカ」に多文化を浸透させるきっかけにもなった。多国籍の船員や商人たちの中で「マラッカ」での生活を続けることを選び、現地での事業を展開させる動きが見られるようになったからである。
また当時の琉球王国、沖縄も中国製の布類や銅、磁器類を輸出し、積極的に「マラッカ」との貿易を行っていた。これは、沖縄で暮らしていた中国出身の海外貿易担当者が通訳として貿易船に同行し、現地との交渉をスムーズに進めていたことが大きな助けとなっていたためだ。
「マラッカ」からは、主に香辛料や樹脂などを日本や中国に輸出していた。
「マラッカ」に王妃がやってきた
多国籍の人々の暮らしが「マラッカ」で定着しつつある一方で国際結婚も増え、それぞれの国にルーツを持つマレー系、中華系、インド系といった現在のマレーシアの多民族国家が形成されていった。
1426年、リーポーという女性が中国からマレーシアへ渡りマラッカ国王と結婚し、ハン・リーポーとして迎え入れられた。このハンという言葉は、マレー語で王妃を意味する。この結婚には、中国とマレーシアの貿易の成功を願う狙いもあったといわれていたが、マラッカ国王はリーポー王妃をとても気に入り愛慕していた。
リーポー王妃への愛情からかマラッカ国王は、リーポー王妃に仕えていた600人余りの従者たちも一緒に「マラッカ」の『三保山(ブキットチャイナ)』に定住させた。この『三保山(ブキットチャイナ)』は、別名『中国の丘』とも呼ばれる山である。リーポー王妃の従者たちが住み始めたことをきっかけに、華僑(かきょう)と呼ばれた中国からマレーシアに渡った中華系の人々が多く暮らす場所となった。
『三保山(ブキットチャイナ)』には現在、マラッカの発展を築き上げた証として約15440名の中華系の人々が埋葬されている。
「マラッカ」の美食、チキンライスボール
マレー料理、中華料理、インド料理、多国籍食文化の宝庫であるマレーシアには代表的な人気の食べ物がある。
それは『チキンライス』だ。
マレーシアのチキンライスは、中国の海南(ハイナン)地方から伝わり、香ばしい出汁が効いた国民食として親しまれている。
しかし、「マラッカ」のチキンライスは一風変わっている。それはご飯が丸いボールのような形をしていることだ。
通常のチキンライスといえば、ご飯の上にチキンを乗せるか、山のようにご飯を盛った状態で出すスタイルが一般的であるが、「マラッカ」では丸いボール型に握った状態で提供されている。
これは、働きながらでも気軽に食べれるようにという労働者たちへの配慮から生まれたものだった。
片手が塞がっていても、丸くご飯を握ることで作業の合間にも労働者たちが、食事を取ることができると考えられたのだ。
また、命や人生の円満を丸で表現しているという意味合いもある。
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