チャールズ・チャップリン は、世界的に有名な、俳優、コメディアンであり、監督、脚本家さらに作曲家としても才能を発揮し、サイレント映画全盛期に活躍した、「世界三大喜劇王」として知られている。
素晴らしい功績の裏での彼の女性遍歴とは、どのようなものだったのか。
生い立ち
チャップリンは1889年にイギリスで生まれた。
父はアルコール依存症で、チャップリンが1歳の時に両親が離婚。その後、母が女手一つで生活を支えるも、貧困と極度の栄養失調により心身を病み、精神病院に収容される。
彼自身は孤児院を転々とし時には盗みも行い、過酷な極貧生活を送った壮絶な過去がある。
彼のドタバタ喜劇には悲劇も組み込まれ、ユーモアの中に鋭い社会風刺が取り込まれている。
一般大衆の生活や想いを理解していたチャップリンは、その内容を作品の中に取り入れて喜劇映画界に革命を起こしたのである。
チャップリンの女性遍歴
チャップリンは実は私生活では、4回結婚している。しかも妻の年齢はことごとく若いのである。
1人目の妻であるミルドレッドとは、1918〜1920年の間夫婦であった。
彼女が16歳、チャップリンが29歳の時に結婚。1919年に長男が誕生するも、3日で早逝してしまった。
2人目の妻リタ・グレイとは、彼女が16歳、チャップリンが35歳の時に結婚した。
彼女が15歳の時に関係を持ち、責任を取るという形だった。1925年に次男チャールズ、翌年に三男シドニーが誕生する。
3人目の妻ポーレットとは、彼女が25歳、チャップリンが47歳の時に結婚した。
実はこの結婚は法的証拠がなく、ポーレットとは内縁の関係にあったといわれる。
これまでの妻は全員女優だったが、女優としては彼女が最も有名で、彼の作品である「モダン・タイムス」「独裁者」でも共演している。
2人の間には子供が生まれなかった。
そして、晩年まで寄り添う4人目の妻ウーナは、彼女が17歳、彼が54歳の時の結婚だった。
彼女との間には、長女ジェラルディン、四男マイケル、次女ジョゼフィン、三女ヴィクトリア、五男ユージーン、四女ジェーン、五女アネット、六男クリストファー、と8人の子供をもうけた。
さらに驚くのは、次女が生まれた時、チャップリンは60歳、三女は62歳、五男は64歳、六男の時に至っては、73歳だったのである。
還暦を過ぎていても、チャップリンは精力的に活動していた。
彼が88歳でこの世を去った時、末っ子は15歳だった。
チャップリンが残した言葉
チャップリンの生涯の中でも、最も大きなスキャンダルとなったのは、2人目の妻リタ・グレイだった。
離婚裁判の際にリタ側から「おぞましい行為」を強要されたと訴えられたのである。
それは性的行為の一つであり、簡単に説明すると口で奉仕するものである。当時その言葉は一般には広まっておらず、またその言葉がラテン語からきていた事もあり、ラテン語辞書の売り上げが伸びたとされている。
もう一つの有名な逸話は「ロリコン」である。
リタの本名はリリータ・マクマレーと言い、チャップリンは彼女を本名のリリータと呼んでいた。
作家のナボコフは、チャップリンとリタの関係をヒントに小説「ロリータ」を執筆している。それは中年男性が少女に恋をする内容であり、本名のリリータをもじり、ロリータとし、ロリータ・コンプレックス、略して「ロリコン」と言う言葉が生まれたのだ。
そういう意味ではチャップリンは、ロリコンを生んだきっかけであり、元祖とも言えるのである。
リタとの裁判
先述したように、チャップリンはリタから離婚裁判を起こされている。これは、リタのマクマレー一族の計画であったようだが、その内容を掘り下げてみよう。
チャップリンとリタの出逢いは、リタがまだ6歳の時だ。彼女の母ナナがウェイトレスをしていた喫茶店の常連客がチャップリンだったのである。リタはお店に来たチャップリンと目が合うとはにかんで笑い、手招きしたチャップリンの横に座ると、2人でナナが運んできたケーキを分けあっていたという。
微笑ましい光景だが、これは母ナナによって仕組まれていたようだ。
後にリタが16歳になった時、映画「黄金狂時代」のヒロインに抜擢されるが、この前後で2人が男女の関係を持った事は間違いない。ナナはリタがチャップリンと関係を持つように、彼の気を引く方法を熱心にレクチャーしていたと言われている。
後にリタは撮影中に倒れ、妊娠が発覚する。未成年者との性交渉は強姦罪にあたるため、チャップリンはリタとの結婚を余儀なくされた。
マクマレー一族の計画は進み、ビバリーヒルズにあるチャップリンの豪邸には、2人よりも先に母ナナが住み始めた。すると1人また1人と一族が住み着き始め、毎晩大騒ぎだったという。
ハードな撮影を終えて家に帰ってきたチャップリンは耐えかねて、リタ共々一族を追い出した。すると、すでに準備されていたのか、すぐにリタから離婚申請と慰謝料の請求書が送られて来た。また2人の結婚生活を暴露した怪文書が出回った。これもリタ側の流した情報だった。
裁判でリタ側は、「彼は人間性に反する劣悪且つ異常な倒錯行為を強要した。これを拒むと、結婚すれば誰でもやる事だと言われた」という旨の主張をした。
他にもリタ側は、2人の間に正常な夫婦の営みは無かった等と述べている。
やがてリタ側は慰謝料の訴訟を行い「被告は原告と別居する前に、変態的行為をすることで有名なある若い女性に家に泊まるよう薦め、三人で楽しむ事を原告に迫った」などと陳述した。
それに対しチャップリンは「私は彼女を愛していた」「彼女から、愛していないが結婚しなければならないと言われた時は、自殺まで考えた」など反論した。
よほど慰謝料を手に入れたかったのか、リタ側は夫婦の性生活の内容を包み隠さず武器にした。さらに「チャップリンと親密な関係にあった女優を暴露する」と脅しまでした。
かくして、リタの一族は62万5千ドルもの示談金を手に入れたのである。この時、チャップリンは38歳だったが、極度の心労により、真っ白な白髪になっていた。
チャップリンは素晴らしい功績を持つ裏で、以外な真実があったのである。
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