狙撃という行為ほどコストパフォーマンスの良い軍事攻撃はないだろう。
時には一人の狙撃手と数発の銃弾で敵部隊を混乱させることも出来るのだ。だが、その狙撃手を育成するのは容易ではない。しかも、軍が期待する以上の働きを見せる狙撃手は「天与の才」を持ったもの、もしくは幼い頃より狩猟の経験を持ったものばかりだ。
ここではそのような「給料以上の仕事をこなし」歴史にその名を刻んだ狙撃手たちを紹介したい。
ウィリアム・エドワード “ビリー”・シン
ビリー・シンは、第一次世界大戦中にイギリスなどの連合軍がオスマン帝国とガリポリ半島(現・トルコ)で戦った「ガリポリの戦い」において活躍したオーストラリア人である。オーストラリア・ニュージーランド合同軍(ANZAC)の狙撃手として150名のオスマン帝国兵を狙撃した。
連合軍はガリポリに上陸したものの、オスマン人狙撃手たちの高い技量に損害を重ね、海岸線で足止めを喰らってしまった。
そこに投入されたのが、幼い頃よりカンガルー・ハンターとして射撃の技術を身に付けていたビリー・シンだった。
彼は、『ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk IIIライフル』で「狩り」を行い、公式記録150名、非公式記録201名のスコアを残した。
実際には記録されていないだけで、さらに多くの敵兵を仕留めたといわれている。
そのためビリーは『ガリポリの暗殺者』と呼ばれた。
シモ・ヘイヘ
シモ・ヘイヘの顎の歪みは、彼を脅威と認めた赤軍により集中的な攻撃を受けた際の傷跡である。
1939年にフィンランドとソ連との間で勃発した「冬戦争」において、ヘイヘはフィンランド軍のエースとして活躍した。
やはり幼くして狩りの名手であり、従軍中は『モシン・ナガンM28ライフル』で狙撃を行い、ソ連赤軍からは『白い悪魔』と恐れられた。
ヘイヘの活躍のなかでも、彼を含むフィンランド軍32人が、約4,000人の赤軍を相手に戦い抜き、相手から領土を守ったエピソードは有名である。彼は狙撃手としてあまりに並外れたスコアを残したことから多くの逸話を残した。
当時「狙撃手」という概念は軍隊に定着しておらず、各部隊の中で射撃の上手いものが狙撃を行うのが慣例となっていた。しかし、ヘイヘの上官は彼の才能を最大限に活かすため、特定の部隊には配置せずに、独立した狙撃手として裁量権まで与えている。
また、フィンランドの銃器メーカー・サコー社から、ヘイヘのために特別に調整したモシン・ナガンを与えられた折、当時高価であったスコープを取り付けられるようになっていたが、ヘイヘはこれを断った。狩猟の時からスコープなどは使用しなかったこと、レンズの反射によって敵に位置が判明してしまうのを回避するためだった。
確認されているヘイヘのスコアは史上最高の542名である。
ヴァシリ・グリゴーリエヴィチ・ザイツェフ
ヴァシリ・ザイツェフは、第二次世界大戦中、スターリングラードの戦いにおいてソ連軍狙撃主としてドイツ軍を相手に活躍した狙撃手である。
鹿の狩猟経験により射撃の技術を習得しており、スターリングラード攻防戦ではわずか1ヶ月ほどで226人のドイツ兵を倒している。しかも、彼のライフルは特別な改良もしていないモシン・ナガン・ライフルであった。
ザイツェフのライバルとして、ドイツ国防軍のエルヴィン・ケーニッヒがスターリングラードに送り込まれ、激しい狙撃戦が行われたというエピソードが有名である。だが現在ではドイツ側にケーニッヒなる人物が確認されていないことから、ソ連のプロパガンダの可能性が指摘されている。
しかし、そのエピソードをベースにした映画『スターリングラード(2001年)』では、廃墟と化したスターリングラードでの市街地戦をリアルに描いている。
カルロス・ハスコック
カルロス・ハスコックは、ベトナム戦争でアメリカ海兵隊の狙撃手として93のスコアを残した。
これは同戦争においてトップの記録ではないが、ハスコックの偉大さは、彼と彼の上官であるランド大尉が共に進めたスナイパー育成プログラムの功績を抜きにしては語れない。
現代における狙撃手育成のノウハウは、ここを基本として発展したのである。
帽子の目印に白い羽を付けていたことから、北ベトナム軍に『ホワイトフェザー』の異名で恐れられた。
その逸話も多く、北ベトナム軍はハスコックを仕留めるために12人ものスナイパーを送り込んだが、最後は500ヤード(約457m)も先で光るスコープのレンズの反射光だけを頼りに敵を仕留めた。
また、エレファント・ヴァレーという地域での戦いでは、友軍の撤退をフォローすべく、観測手と二人で北ベトナム軍兵士約200人を相手に、5日間も狙撃を行い敵の足止めと友軍の撤退を成功させている。
ハスコックとその愛用銃である『ウィンチェスター M70』の名は歴史に残り、『極大射程』といった小説、それを原作として映画化した『ザ・シューター/極大射程』などフィクションでも多くモデルにされた。
クリス・カイル
クリス・カイルは、アメリカ海軍特殊部隊『Navy SEALls(ネイビー・シールズ)』のメンバーであり、イラクの武装勢力からは『ラマーディーの悪魔』と恐れられ、友軍には『伝説の狙撃手』と呼ばれた。
クリント・イーストウッド監督作品『アメリカン・スナイパー(2014年)』は彼の自伝的な映画である。
幼い頃より狩猟技術を身に付け、大学中退後にアメリカ海軍に入隊。2003年のイラク戦争からアルカイダ系武装組織との戦闘を通して、公式スコア160、非公式225人という記録を残した。
市街地での狙撃では『Mk.11 Mod0』ライフルを使用していた模様である。一方で、海兵隊の支援のために屋上から地上の掃討作戦を見ていときに、屋内に突入した海兵隊員の死傷者が多かったため、特殊部隊の「より高度な」テクニックを教えるなど、柔軟な姿勢を見せている。
2009年の除隊後はPTSDに苦しむ帰還兵のために支援活動を行っていたが、2013年にPTSDを抱えた元海兵隊員と射撃練習をしていたところ、皮肉にもその元海兵隊員により射殺された。
最後に
他にも有名な狙撃手は数多く存在する。そのなかで、敢えて5人を選ぶならこの人物たちだろう。
味方には勇気を、敵には恐怖を与える存在。しかし、彼らが活躍するというのはあくまでも戦争があるからなのだということを忘れてはならない。
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