哲学の祖と呼ばれるソクラテスをご存知だろうか。名前は知っていても、その思想までは知らないという人が多いのではないだろうか。
哲学と言うと、難しい思想を想像されるだろうが、ソクラテスの思想は親しみやすいものである。古代ギリシアに生まれ、その思想ゆえに裁判にかけられたソクラテスの思想を、紹介していく。
生涯
ソクラテスは古代ギリシアの紀元前470年〜399年に生きていた哲学者である。
当時のギリシアは直接民主制が成立し、また、戦争も盛んに行われていた。ソクラテスは屈強な男性であったとされており、戦争にも参加していた。
ソクラテスの父の名はソプロニコス、石工であり、母はパイナレテ、産婆である。ソクラテスが生きていた古代ギリシアでは、ソフィストと呼ばれる学者が多く存在した。ソフィストとはもともと知者という意味であったが、ただ相手を言いくるめるだけの弁論術を用いて報酬を受ける者となってしまった。ソフィストたちの弁論術は当時の哲学を衰退させるものであった。
ソクラテスが用いた問答法はソフィストとは反対であった。そのためにソクラテスは中傷され、裁判にかけられる。「ソクラテスはポリス(国家)の神々を認めず、青年たちを惑わした」という理由で、彼は死刑判決を受けた。脱獄も可能であったが、それは法を破ることになり、不正だと言って毒杯をあおり、刑死したのであった。
ソクラテス の思想
ソクラテスの最も有名な思想が「無知の知」であろう。これは「自らの無知を自覚している」ということである。
デルフォイという聖地でソクラテスの友人、カレイポンは「ソクラテスよりも知恵のある者はいるか」と問うと、デルフォイの巫女は「ソクラテスよりも知恵のある者はいない」という神託を告げた。その神託をカレイポンから聞いたソクラテスは、神は嘘をつかないと信じ、その神託について「これは謎かけである」と解釈した。
ソクラテスは問答法(産婆術)によって、自分よりも知恵のある者を探した。問答法は、まずソクラテスがある問いを立て、それについて相手に見解を述べさせる。そしてソクラテスがその見解を吟味し、新しい見解を述べさせる。これを繰り返すことで本質を探求する方法である。問答によって相手のまだ生まれていない思想を生み出すという意味で、産婆術とも呼ばれている。
この問答の末ソクラテスは、知識人たちは知っているつもりでいても、実は何も知らないということに気づいた。そしてソクラテスはこの「知らない」という無知を自覚しているという点で、自分は他者よりも優れているのだと考えた。そして、ソクラテスは神託を「ソクラテスという名を用いて、神は知恵のある者とは、自分が知恵に関して無価値であることを自覚している者」であると解釈した。
善く生きること
古代ギリシアでは魂のことをプシュケーと呼んだ。プシュケーとは息をすることを意味する。ソクラテスは「魂の配慮」を説き、徳(アレテー)をそなえた魂を持つように主張した。「善く生きること」とは「ただ生きる」こととは異なる。
例えば、りんごの善さとは「おいしい」ことである。薬の善さとは「よく効く」ことである。そのようにして、人間の「善さ」とは何かを考えることが「善く生きる」ということにつながる。
ソクラテスは実践的哲学者である。これは死や運命など、生きにくさから生まれた、幸福を探求し実現するための哲学である。ソクラテスは「本当の正義」が存在し、またそれを把握することも可能であり、しかしそれを知らないから探求するべきだと考えた。「正しいこと」を行えば魂は「善く」なるのであるが「正しいこと」が何であるかがはっきりしない。「正しさ」の知によって「正しい」行為に至り、その結果「善い魂」となるのである。
著作
ソクラテスは執筆をしなかった。よって弟子のプラトンたちが書いた書物のみが残っている。
『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』などにソクラテスの思想が詳しくあらわされている。
これらの著作は対話文であるため、非常に読みやすい内容になっている。これを機に手に取ってソクラテスの思想に触れてみてはどうだろうか。
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