
画像:春夏秋冬イメージ photoAC
日本は、海外から伝わった文化や思想を受け入れ、自分たちなりの形に整えてきた国です。
それは祭りや年中行事だけでなく、信仰の世界にも当てはまります。
お正月に親しまれる七福神も、その出自をたどると実に多彩です。
七神のうち日本生まれとされるのは恵比寿のみ。残る六神はインドや中国から伝わり、日本の中で福の神として再解釈されました。
今回は、七福神それぞれのルーツをたどり、日本でどのように福の神として定着していったのかを見ていきます。
恵比寿

画像 : 七福神 public domain
恵比寿は、漁業や航海、商売繁盛をつかさどる福の神として親しまれています。
そのルーツは、『古事記』に登場する蛭子命(ひるこのみこと)と結びつけて語られることが多い神様です。
蛭子命は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の最初の子として生まれました。
しかし身体が不自由であったため、葦で作った舟に乗せられ、海へ流されてしまいました。
のちに海の神としての信仰と重なり、やがて福をもたらす神となり、現在の恵比寿へと結びついていきました。
大黒天、弁財天、毘沙門天

画像:シヴァとパールヴァティ Public Domain
大黒天、弁財天、毘沙門天の3神は、インドに起源を持つ神格が仏教を通じて日本に伝わった神様です。
大黒天の源流はマハーカーラで、インド神話ではシヴァと関わりの深い神格とされています。日本では五穀豊穣や財福の神として再解釈され、打ち出の小槌と大袋を持つ福神の姿へと変化しました。
さらに中世には、日本の神であるオオクニヌシノミコト(大国主命)と結びついていきます。
「大黒」と「大国」という音の近さや、本地垂迹思想の広がりを背景に両者は重ね合わされ、現在の大黒天像が形づくられました。
弁財天は女神サラスヴァティーに由来し、水や川を司る神から、音楽や学問、財運をもたらす神へと性格が広がりました。七福神の中では唯一の女神です。
毘沙門天はヴァイシュラヴァナにあたり、仏教では四天王の一尊、多聞天とも呼ばれます。
甲冑をまとい宝塔を携えた姿で表され、武運や守護の神として信仰されました。戦国時代には上杉謙信が篤く信仰したことでも知られています。
このようにインド由来の神々は、日本では破壊神や財宝神という性格よりも、福や守護をもたらす存在として受け入れられていきました。
布袋尊、寿老人、福禄寿

画像 : 座禅を組む僧侶 写真AC cc0
布袋尊、寿老人、福禄寿は、中国発祥の神様になります。
しかし先述した三神とは異なり、特定の一つの宗教体系から生まれた神々ではありません。道教思想や民間信仰、歴史上の人物伝承などが重なり合い、神格化されていった存在です。
布袋尊の原像は、中国・唐末に実在したと伝わる禅僧「布袋和尚」とされ、布袋を肩に掛けて各地を巡り歩き、民衆に親しまれた人物でした。実在の人物が信仰の対象へと変化した例といえるでしょう。
寿老人は、白く長いひげをたくわえた姿が印象的で、南極老人星(カノープス)という、見ると縁起が良いとされる星を神格化した存在とされ、天体信仰と道教的長寿思想が背景にあります。
手には杖を持ち、長寿の象徴である桃を携え、神の遣いとされる鹿を従える姿で描かれることが多く、不老不死の霊薬を持つとも伝えられています。
福禄寿は、道教の長寿観念や吉祥思想を体現した神様で、額から頭頂にかけて大きく伸びた独特の姿が特徴です。
縦に長い頭が福禄寿、と覚えておけば区別しやすいでしょう。
このように七福神は、日本固有の神と、インドや中国から伝わった神々が重なり合って生まれた神様なのです。
参考文献:
『カラー図解 イチから知りたい! 日本の神々と神社』、三橋健、西東社、2018年
『地球の歩き方 御朱印シリーズ31 御朱印でめぐる東京の七福神』、『地球の歩き方』編集室、ダイヤモンド社、2020年 他
文/国木ちさと 校正/草の実堂編集部
























この記事へのコメントはありません。