祭神の住吉さまは海上守護・航海守護と祓の神
「住吉さま」をお祀りする神社は、全国で約2,000社といわれる。
日本神話によると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国を脱した後、海で身を清めるための禊祓(みそぎはらい)を行った。
『日本書紀』によるとその時に、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)が海の底・中・表から出現したという。「住吉さま」を冠する住吉神社などでは、この住吉三神を中心に祀る神社が多い。
また、住吉三神は『古事記』では、底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される。
ちなみに、底筒男命・中筒男命・表筒男命の「筒(つつ)」とは、「津々浦々」の「津々(つつ)」、すなわち港を、あるいは、航海の目印とした「星(つつ)」を表すともいう。
「住吉」と名が付く神社の多くが、海岸や河口近くに鎮座しているのは、海上の安全を守る海上守護・航海守護の神だからだ。
また、住吉三神の出現時に伊弉諾尊が行ったように「住吉さま」は「祓(はらい)」の神でもある。
祓は神道の神事において、禊や斎戒の後に行われる極めて重要な浄化の儀式だ。神を迎えるための準備として、清浄な空間をつくりあげるために祓い清め「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」の境地を求めることが神道の根本とされる。
「浄明正直」は、清(きよ)き(浄き)、明(あか)き(明るい)、正しき、直(なお)き(素直な)心のことで、穢れを祓う禊は、海や川の清水で身を清める行為でもあった。
総本社は大阪市住吉区に鎮座する住吉大社
「住吉さま」の総本社は、大阪市住吉区に鎮座する住吉大社である。その創建は、第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后である神功皇后(じんぐうこうごう)に由来する。
神功皇后が新羅出征からの帰路、自分の子で皇太子の応神天皇の異母兄・香坂皇子・忍熊皇子が反乱を起こした。
このために皇后の率いる船団が瀬戸内海を彷徨い、務古水門(現在の武庫川)に至り皇后が占うと、底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神が現れた。
三神は「我が魂を大津の渟中倉の長峡(おおつのぬなくらのながお)に祀りなさい。そこで往来する舟の安全を見守ることにしよう」といわれた。
皇后が、その教えの通りに三神を祀ると、無事に畿内に帰京できたという。
これが、住吉大社創建の由緒で、211年のこととされる。いま住吉大社の周辺は市街地となっているが、かつては松の木の緑が美しい海岸線だった。
土佐日記にも登場し神威を顕わす住吉三神
昔は、陸上交通よりも、海上交通の方がはるかに利便性に秀でていた。しかし、一方で海路は自然現象に左右されやすい。それゆえに「海上安全」を神に祈った。
『古今和歌集』の選者として名高い紀貫之が綴ったという日本最古の日記文学『土佐日記』の中にも、住吉三神にまつわる話しが登場する。
紀貫之の一行が、任地の土佐国から帰京の船旅の折り、突風が吹いて進めなくなった。船頭が「住吉明神が何かを欲しがっている」というので、幣を奉納させが、波はますます荒れた。
船頭は「弊では満足できていないため、もっと喜ぶような品を奉納しなさい」というので、鏡を海に奉納すると、たちまち海はに静まったという。
「住吉さま」は、不浄を祓う禊の神であるとともに、航海・漁業の神であった。そして、そこから外交・貿易・産業の神として信仰を発展させていった。
そのご利益は「海上安全」「漁業守護」「商売繁盛」で知られる。その方面に縁のある方は、ぜひお参りして、御神徳を結んでいただきたい。
※参考文献:
高野晃彰・招福探求巡拝の会著『日本全国一の宮巡拝パーフェクトガイド』メイツユニバーサルコンテンツ、2023年4月
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