お墓参りは、多くの日本人にとってご先祖様に深い敬意や感謝を表す大切な儀式です。
しかし、実はお墓参りは仏教の教えや行事として生まれたものではありませんでした。
この記事では、お墓参りの起源とその歴史的背景に迫っていきます。
初期の仏教では「供養する」という考えが無かった!?
亡くなった人を供養するという考えは、もともとの仏教にはなかったとされています。
インドで発祥した初期の仏教は「悟ったらOK」という考えだったため、死後には無関心でした。
その後、大乗仏教が流行しますが「死んだら仏様の導きによって救われる」という考えだったので、ここでも死後の供養は行いませんでした。
その後、仏教は中国へ伝来し「お先祖様を大切に」という儒教的な思想が加わり、仏教の経典に加えられたと言われています。
そうして仏教でもご先祖様を供養するようになり、位牌を拝み追善供養する現在の風習ができました。
位牌はご先祖様の身代わりですから、無下に扱うことはできません。
「立派な場所に位牌を置こう」と、本来ならば仏像の安置場所である仏壇に位牌を置くようになったのです。
お墓自体がなかった
そのため昔は、現在のようなお墓はありませんでした。
というのも土葬だったため、墓石を置く形のお墓が無く、物理的に無理だったのです。
土葬は円筒型の木桶に遺骸を納めて葬る、という様式の埋葬方法です。
もちろん古代の古墳など有名なお墓はありますが、それは一部の権力者に限った話で、庶民は土葬の上に土を盛り上げる程度でした。
墓が建てられなければ、当然ながらお墓参りもできません。
そうして土に還る間にも、新たな遺骸が近くに同じように埋葬されていきました。
現代の感覚では、誰がどこにいるのか分からなくなるのでは?と思ってしまいますね。
しかし、昔は墓地は単なる遺骸を埋めるための場所だったため、分からなくなっても気にしません。供養の対象とはされなかったのです。
死者を供養する場所は仏壇であり、墓は重要ではありませんでした。
時代が下がり「参り墓」という、別の場所に石塔を建てる風習も生まれますが、村の中の権力者たちしか建てられませんでした。
また、参り墓は村の中にあるので、行こうと思えばすぐに行けます。
つまり、わざわざ「お墓参り」と銘打って出かける必要が無かったのです。
お墓参りの風習が生まれたのは、戦後の高度経済成長期
では、いつからお墓参りの風習が生まれたのか?
現在のように庶民がお墓を建てられるようになったのは実は歴史は浅く、高度経済成長期以降のことと言われています。
日本がぐんぐんと経済成長をする中で、都市に人口が集中するようになりました。
そしてそこで亡くなると、新しいお墓が必要になります。
しかし、都会は狭いうえに地価も高いので、郊外にお墓を建てて、わざわざお墓参りをするようになりました。
さらにこの頃からマイカーを持つようになったことも、お墓参りの普及に一役買っています。
「家族でマイカーに乗ってお墓参り」という風習が生まれていったのです。
今やお墓参りは、家族の触れ合いの行事とも言えます。
子供たちが家から独立すると「お墓参りでようやく顔を合わせられる」といった家庭も多いでしょう。
こうして、「家族が会う機会を提供するイベント」としても定着していったのです。
終わりに
日本の行事やしきたりの多くは伝統的なイメージがありますが、ルーツを調べると案外新しいことも多いです。
「お墓参りはみんなでしよう」という家族のつながりを大切にする気持ちは、今後も維持していきたいものです。
参考 :
お墓の意味を仏教から考える|伝統と歴史が息づく日本の葬送 – ワールドセクト
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