行ってみた

【奈良の歴史散策】ならまちの庶民信仰とは?世界遺産「元興寺」とともに巡る

「ならまち」について

画像:なら町の町家 筆者撮影

ならまち」とは、猿沢池の南側に広がる、格子が特徴的な古い町家が建ち並ぶ地域を指す通称です。
行政上の正式な町名ではありませんが、奈良市ではこの歴史的な街並みを「ならまち」と称しています。

この地域には、現在も多くの住民が暮らしており、伝統的な町家の姿が残されています。

また、昔ながらの商店も営業を続ける一方で、観光客の増加に伴い、町家をリノベーションした小物雑貨店やカフェや飲食店が増え、さらに小さな特徴ある私設博物館も点在しています。

町家の内部を無料で見学できる「格子の家」もあり、大人の散策場所として楽しい場所となっています。

そして、この「ならまち」の中心には、世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素の一つである元興寺があります。

世界文化遺産の「元興寺」

元興寺は、世界文化遺産「古都奈良の文化財」を構成する寺院の一つです。

現在残されている歴史的建造物として、国宝に指定されている極楽坊本堂極楽坊禅室、そして収蔵庫内で見学できる五重小塔があります。五重小塔は工芸品ではなく、建築物として国宝に指定されています。

この元興寺は、平城京への遷都に伴い、明日香の法興寺(飛鳥寺)を移転する形で新たに創建された寺院で、南都七大寺の一つに数えられています。

奈良時代には広大な境内を誇っていましたが、時代の変遷とともに伽藍は荒廃し、堂塔の多くが失われました。

その結果、現在では極楽坊本堂と極楽坊禅室のみが残されており、境内は大幅に縮小しています。

画像:元興寺の極楽坊本堂と禅室 筆者撮影

極楽坊の屋根瓦には、黒い瓦に混じって茶色がかった瓦が見られます。

これは歴代の修復工事の際に、使用可能な古瓦を再利用してきたためであり、現在の屋根には飛鳥時代の瓦も含まれているとされています。

奈良時代の仏教は、主に皇族や貴族が国家の安泰を願うためのものであり、僧侶が学問や修行を行う場でした。

しかし、中世以降は施餓鬼供養や地蔵信仰が広まり、庶民にも親しまれるようになりました。近年ではさまざまな講座や行事が開催され、地域住民とのつながりも深まっています。

また、元興寺は「萩の寺」としても知られています。

極楽坊の正面や南側の境内には多くの萩の木が植えられており、9月中旬には紫や白の花が美しく咲き誇ります。

この季節に訪れるのが、最もお勧めと言えるでしょう。

庚申信仰と奈良町庚申堂について

ならまちの町家には、軒先に猿を模したお守りが、いくつも連なって吊るされている光景を目にします。

これは「身代わり猿」と呼ばれ、庚申信仰(こうしんしんこう)から来ているものです。

画像:身代わり猿の吊るされた町家 筆者撮影

庚申信仰は、中国の道教における三尸(さんし)説を起源とし、仏教の密教や神道、修験道、さらには地方のさまざまな民間信仰と結びついて、日本各地に広まりました。

ならまちにある「奈良町庚申堂」も、その一つです。

この庚申堂には、文武天皇の時代に疫病が蔓延した際、元興寺の高僧が疫病退散を祈り続けたところ、青面金剛が現れて願いを聞き入れ、疫病を鎮めたという伝承が残されています。

さらに、この高僧がこの出来事を庚申の年・月・日に感得したことから、後に庚申堂が建立されたと伝えられています。

堂内には「庚申さん」として親しまれている青面金剛像が祀られ、屋根の上には三猿の像が掲げられています。

画像:奈良町庚申堂 筆者撮影

規模は小さなお堂ですが、ならまちの町家に多くの身代わり猿が吊るされていることからも、この地域で庚申信仰が根付いていることがうかがえます。

なお、「身代わり猿」に興味がある方は、奈良町資料館でお土産として購入することも可能です。

御霊神社

ならまちには、御霊(ごりょう)神社という比較的大きな神社があります。

この神社は、かつて広大な境内を誇った元興寺の旧境内の一角に位置しており、元興寺の南門があった場所とされています。

画像:御霊神社の鳥居と門 筆者撮影

御霊神社は、桓武天皇の勅命により創祀された神社で、主祭神として光仁天皇の皇后である井上(いがみ)皇后を祀っています。

井上皇后は、天皇を呪詛したという疑いをかけられ、皇后の位を剥奪されたうえ、吉野の五条に幽閉され、そこで亡くなりました。

奈良時代から平安時代にかけて、非業の死を遂げた人物の魂は怨霊となり、災いをもたらすと考えられていました。

しかし、こうした怨霊を丁重に祀ることで、守護神としての「御霊」となり、人々を守る存在へと転じるとする御霊信仰が広まりました。
御霊神社は、その信仰に基づき、井上皇后を鎮めるために創建されたと伝えられています。

現在、この神社には本殿を中心に、東側社殿と西側社殿があり、井上皇后を含む八柱の神々が祀られています。

拝殿には、これを示す「八神殿」の額が掲げられています。

画像:御霊神社の拝殿と本殿 筆者撮影

また、この御霊神社の鳥居の両脇に配された狛犬の足には、赤い紐が多数結ばれています。

画像:御霊神社の狛犬 筆者撮影

この風習は「狛犬の足止め祈願」と呼ばれ、江戸時代から伝わる願掛けのひとつです。

ならまちでは、かつて「子供たちが神隠しに遭わないように」との願いを込めて、狛犬の足に赤い紐を結ぶ習慣がありました。

現在では、恋人といつまでも一緒にいられるように願う「縁結び」や、「商売繁盛」を願って結ばれることが増えています。

おわりに

このように、ならまちの中心には世界文化遺産である元興寺が存在しますが、奈良時代においては貴族や皇族の信仰の対象であり、庶民にとって身近な信仰の場とは言えませんでした。しかし、中世以降は施餓鬼供養や地蔵信仰などを通じて、庶民にも親しまれるようになりました。

一方で、現在のならまちに受け継がれている庶民信仰の中心には、奈良町庚申堂における庚申信仰や、地元の人々に長く親しまれてきた御霊神社の信仰があります。

ならまちは、歴史ある寺院と庶民の信仰が交錯する独特の文化を持つ街として、今もなお人々の暮らしの中に根付いているのです。

参考 : 『元興寺HP』『奈良町資料館』他
文 / 草の実堂編集部

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 紫式部は『源氏物語』を書いた罪で地獄に堕ちていた?
  2. エーゲ海の奇跡の島、サントリーニ島 『白い世界と猫の楽園』
  3. 江戸幕府黎明期、徳川と朝廷に関係が深い京都「一乗寺・雲母坂界隈」…
  4. 万里の長城は時代と共に変化していった 「春秋、秦、漢、金、明」
  5. 「二十五菩薩が極楽から来迎する」大阪・大念仏寺の“万部お練り供養…
  6. 『天皇が誘拐したほどの美女?』後醍醐天皇が最後まで愛し続けた西園…
  7. 【中国史唯一の女皇帝】武則天の恋愛遍歴 ~愛され利用された男たち…
  8. 【形なき怪異たち】行動は知られているが、姿は不明の怪物伝承

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【獣害問題】 シカやイノシシを駆除しても被害が減らない理由とは

農作物を食い荒らしたり、時に人を死傷させてしまったりする野生動物。近年大規模化するメガソーラ…

権勢を誇った老中の子・田沼意知を殺害「佐野政言事件」 ~世直し大明神

江戸城内で6番目の刃傷事件佐野政言(さのまさこと)事件 とは、江戸城内で起きた6番目の刃傷事件で…

台湾にも原住民がいた 【政府認定16民族】

台湾原住民族台湾原住民族は、中国大陸からの移民が盛んになる17世紀以前から居住していた、台湾の先…

謎のプレゼント【漫画~キヒロの青春】61

みゆちゃんの気配【漫画~キヒロの青春】62へバック・ナンバーはこちら第一話から読む…

江戸一の花魁・小紫と辻斬り権八の禁断の恋 〜惚れた女に会うため130人の命を奪う

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で、注目されている吉原遊郭。ドラマの時代背景は…

アーカイブ

PAGE TOP