日本史

だんじりの街・岸和田に、城下町と紀州街道の面影を求めて行ってみた

城下町と古い街道が融合した「だんじり」の街

画像:岸和田市歴史的まちなみ保全地区(岸和田市観光課)

勇壮な「岸和田だんじり祭」で知られる大阪府の岸和田市だが、その魅力は、だんじりだけではない。

この地は岸和田城を中心に整備された城下町であり、古くは紀州街道沿いの宿場町・商業町として発展してきた。

市内のいたるところに、歴史を物語る史跡や旧跡が今も残されている。

「岸和田」という地名が史料に初めて登場するのは、1337年(延元2年/建武4年)頃とされる。

南朝方の武将・岸和田治氏が記した軍忠状にその名が見える。

室町時代に入ると、足利義満が岸和田荘の半分を石清水八幡宮へ寄進したことを契機に、地名が広く定着したとされる。

画像:岸和田城本丸(撮影:高野晃彰)

近世に入ると、1585年(天正13年)頃に豊臣家の家臣・小出秀政が岸和田城主となり、城郭と城下町の整備を進めた。

1640年(寛永17年)には岡部宣勝が入封し、以後、明治維新に至るまで5万3千石の岡部氏の城下町として繁栄した。

明治維新後の岸和田は、地方財閥・寺田家を中心に大きく発展する。

寺田家は銀行・鉄道・電力・紡績などの事業を展開し、とりわけ岸和田紡績は明治末期には泉州地域を代表する大規模紡績会社の一つに発展し、地方産業の近代化を牽引した。

また、だんじり祭の起源は1703年(元禄16年)とされる。

岸和田藩3代藩主・岡部長泰が京都・伏見稲荷を岸和田城三の丸に勧請し、稲荷祭を行ったのが始まりと伝えられている。

画像:だんじり祭(岸和田市観光課)

そんな岸和田の魅力を感じる今回の歴史散策の出発点は、だんじりの宮入りで知られる岸城神社(きしきじんじゃ)。

岸和田城の濠沿いを歩きながら、寺田家別邸の五風荘庭園を経て、天守の白壁が美しい岸和田城へ向かう。

さらに本町・中町エリアに進み、だんじりを展示する岸和田だんじり会館を見学。

そののち、吉田松陰が逗留した久住邸などが残る、旧紀州街道沿いの「岸和田市歴史的まちなみ保全地区」をめぐった。

城下町の風情と街道の息遣いを感じながら、約2時間の歴史散歩をのんびりと楽しむことができた。

① 岸城神社 ~だんじりの宮入りの神社として有名~

画像:岸城神社(撮影:高野晃彰)

隣邑に鎮座していた牛頭天王と、当地で祀られていた天照大神と八幡神を合わせて岸和田城主・小出秀政が、城の鎮守社として祀ったのが始まりという。

岸城神社の祭礼が有名なだんじり祭で、祭ではだんじりの宮入りが行われる。

●岸和田市岸城町11-30/TEL 072-422-0686/参拝自由

② 五風荘庭園 ~日本建築の数奇を凝らした茶室も見どころ~

画像:五風荘庭園(五風荘)撮影:高野晃彰

旧岸和田城内新御茶屋跡に、寺田財閥が昭和初期に10年の歳月をかけて造営した別邸の回遊式日本庭園。

母屋の他、日本建築の数奇を凝らした3つの茶室があり、正門は奈良東大寺塔頭・中性院表門を移築した。

●岸和田市岸城町18-1/TEL 072-438-5230/10:00~21:00

③ 岸和田城 ~400年以上の歴史を持つ戦国城郭~

画像 : 岸和田城(岸和田市観光課)

1585年(天正13)年、豊臣秀吉による根来寺焼き討ちの後、一門衆の小出秀政が城郭を整備し、天守閣もこの時に築かれた。

以降、岡部氏が13代・260年にわたり岸和田藩を統治した。

近世以前の構造物としては、堀・石垣のみだが、実戦を配慮した武者走りなどが残る。

●岸和田市岸城町9-1/TEl 072-431-3251/10:00~17:00/月曜休/300円

④ 岸和田だんじり会館 ~だんじり祭の魅力を幅広く紹介~

画像:だんじり会館(岸和田市観光課)

だんじり祭りの雰囲気を体感できる施設。

だんじりに関する豊富な資料を展示する他、最新の映像技術などを駆使し、総合的にだんじり祭を紹介する。

●岸和田市本町11-23/TEl 072-436-0914/10:00~17:00/月曜休/600円

⑤ まちづくりの館 ~岸和田の歴史や文化が学習できる施設~

画像:まちづくりの館(岸和田市役所)

岸和田の歴史・文化を学習するなど、総合的なまちづくり活動の拠点とするとともに、文化観光の振興を目的に設置された施設。

平格子に虫籠窓という町家の内部には、周辺マップ・パンフレットが置かれ、散策時の休憩に最適だ。

岸和田市本町8-8/TEl 072-433-3511/9:00〜21:00/月曜休

⑥ 久住邸 ~幕末の志士・吉田松陰ゆかりの町家建築~

画像:久住邸(撮影:高野晃彰)

吉田松陰が大阪沿岸の警備状況を調べるために逗留し、岸和田藩士と議論した旧塩谷甚兵衛邸で、松陰は時が経つのを忘れ、外国船からの海防の手薄さを説いたという。

現在の建物は明治中期に建てられた町家で、伝統的な外観を維持する。

●岸和田市本町8-26/外観見学自由

⑦ 本町・旧紀州街道沿いの町並み ~伝統的な町家が残る~

画像:旧紀州街道本町通り(岸和田市観光課)

府道204号線からさらに1本西側に残る旧紀州街道は、江戸時代に紀州藩が参勤交代などで利用した道筋で、岸和田城下を南北に貫いていた。

岸和田城のすぐ西側を走る街道沿いには、城下町時代を支えた商家群が見られる本町エリアがあり、本瓦の屋根や虫籠窓のある中二階・出格子など、当時の風情を残す町家建築を見ることができる。

●岸和田市本町/見学自由

画像:岸和田歴史散策マップ(制作:高野えり子)

城下町の面影と祭りの熱気が交わる岸和田の街。

歩けば、歴史と暮らしが息づく風景に出会えるはずだ。

ぜひ一度、実際に足を運び、その空気を感じてみてほしい。

※参考文献
大阪歴史文化研究会著 『大阪ぶらり古地図歩き』 メイツユニバーサルコンテンツ刊
文:撮影 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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