山形県の北東、山々に抱かれた内陸の地・最上。
この静かな風土のなかに、ひっそりと息づいてきた祈りの場があります。
それが、「最上三十三観音」。
庄内、置賜とともに「やまがた出羽百観音」を構成するこの霊場は、古くから人々が観音さまを慕い、山里を縫うように歩いてきた巡礼の道でもありました。
札所をめぐる旅とは、単に寺社を訪ねることではありません。
その土地の風景に触れ、歴史に耳を澄ませ、人々の信仰の積み重ねを感じ取る時間でもあります。
いよいよ、観音堂と観音菩薩を訪ね歩く旅の第一歩を踏み出します。
記念すべき第1回は、若松観音。
最上三十三観音、第1番札所「若松」からのご案内です。
行基が一刀三礼の則で刻んだ等身大の聖観世音

画像:新緑の中の鈴立山 若松寺 観音堂(写真:やまがたへの旅)
若松寺は、最上三十三観音の第1番札所。
御本尊に聖観世音菩薩を祀る、通称「若松」として親しまれてきた古刹で、正式には鈴立山 若松寺といいます。
JR天童駅から車でおよそ15分。
鈴立山の中腹に位置し、千有余年にわたり祈願・回向の総道場として信仰を集めてきました。
その佇まいは、まさに一番札所にふさわしい威厳に満ちています。
寺伝によれば、今から約千三百年前の708年(和銅元年)、元明天皇の勅命を受けて東国を巡錫していた行基が、山中で鈴の音に導かれて登山し、山上に光り輝く三十三観音を感得したことが開山の由来と伝わります。
御本尊は、行基自らが一刀三礼の則で刻んだとされる等身大の聖観世音。
この尊像は他見を禁じられ、永久の秘仏となっているという、きわめて神秘性の高い観音さまです。

画像:重厚さが漂う若松寺観音堂(写真:やまがたへの旅)
開山から約150年後の平安時代には、弘法大師空海や慈覚大師円仁が参詣したと伝わり、若松寺は次第に一大仏教霊地として発展していきました。
鎌倉時代になると、当時この地の政治・文化の中心を担った藤原真綱一族の篤い信仰を受け、1263年(弘長3年)、二世安楽を願って金銅聖観音像懸仏が奉納されます。
これは現在、仏像工芸の優品として高く評価されています。
時代が降り、江戸初期には出羽山形藩初代藩主である最上義光(もがみよしあき)が、寺領230石を寄進します。
また、徳川幕府第3代将軍徳川家光も、同寺の所領を安堵するなど、時の権力者たちにも大いに崇敬を集めました。
本堂は東北では希少な五間五面単層入母屋造

画像:鈴立山 若松寺 観音堂の秋(写真:やまがたへの旅)
観音堂(本堂)は1963年(昭和38年)、国の重要文化財に指定されました。
ブナ材を主材とする五間五面単層入母屋造の堂宇で、東北地方における数少ない密教本堂の遺構例とされています。
堂内の内陣には、先述した藤原真綱奉納の金銅聖観音像懸仏と、板絵著色神馬図という二点の重要文化財を安置。
境内には、室町期の重厚な観音堂を中心に、祈願所、元三大師堂、地蔵堂、鐘楼堂などの堂宇が点在し、どの季節に訪れても、どこか神秘的な空気に包まれています。
祈願・回向の総道場としての風格は、最上三十三観音霊場の第一番札所にふさわしいものです。
ご利益は、良縁成就と心願成就。
行基菩薩作と伝わる秘仏の聖観世音を心に念じながら、静かに祈りを捧げたい霊場です。
御詠歌は、「かかるよに うまれあふみ わかまつや おいにもたのめ とこゑひとこゑ」

画像:最上三十三観音第1番札所若松の御朱印(写真:高野晃彰)
それでは、次回は第2番札所・山寺、第3番札所・千手堂の順番でご紹介しましょう。
DETA:
最上三十三観音 第1番札所 若松 鈴立山 若松寺
住所・山形県天童市山元2205-1
電話・023-653-4138
アクセス・JR天童駅より車で15分
駐車場・あり
※参考文献
山形札所めぐり編集部(高野晃彰)著 『やまがた出羽百観音札所めぐり』 メイツユニバーサルコンテンツ
文/高野晃彰 校正/草の実堂編集部

























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