近年、台湾有事を巡って国際的な緊張が高まり、日本国内でも台湾有事を想定した動きが拡大した。
永田町では有志議員らが集まって邦人の保護・退避に関する会合を活発的に開催し、日本企業の間でも台湾在住の駐在員の保護・避難、台湾依存のサプライチェーンの改変などを本格的に検討する動きが見られるようになった。
そして、台湾有事の発生可能性について、軍事安全保障分野の専門家を中心にそれを強く警戒すべきとの意見がある一方、「経済の相互依存が進んだ今日では戦争は起きにくい」、「台湾へ侵攻すれば中国経済は大打撃を受けることになるので、さすがに習国家主席は侵攻の決断は下さない」などといった意見は多方面で聞かれる。
民主主義国家と権威主義国家は違う
台湾を巡る情勢については、様々な意見があるだろうし、それらは最大限尊重されるべきだ。
しかし、1つ忘れてはならないのは、台湾有事を巡る問題の本質とは、「中国の習国家主席が、経済より政治的目標を優先する場合があるかどうか」である。
これについて、平和が当たり前な日本世論では、経済の相互依存によって戦争のリスクは低下している、経済を壊してでも中国が台湾に侵攻することはないという風潮が、無意識のうちに社会全体に漂っている感が否めない。
確かに、欧米や日本など自由で公正な選挙によって国家指導者、国民の代表が選ばれる民主主義国家においては、国民や議会の意見は強く、国家指導者や政権はその声を反映する必要性に迫られるか、少なからずの影響を受ける。
しかし、ここで重要なのは、我々日本人が自由や人権、法の支配といった日常生活で当たり前に享受している価値観で権威主義国家の方向性を連想しないことである。
習国家主席は中国の大国化を目指しているが、そのためには安定的な経済発展を維持し、国民の生活水準を底上げするだけでなく、諸外国に対して継続的に経済援助する必要性を百も承知だろう。
そうなれば、我々は国民の意見に逆らってまでリスクを背負うことはないと判断しがちだが、そこに大きな落とし穴がある。
21世紀以降の国際政治を振り返っても、権威主義国家の指導者が政治的目標を達成するため、あえて経済リスクを背負っでも行動に移すことが頻繁に見られた。
エジプトやアルジェリア、ベラルーシなどの権威主義国家では、国家指導者たちが選挙に勝つためあらゆる不正を隠し、それで欧米から経済制裁を発動されても構わないといったケースがあった。
台湾有事は起こるのか
これは、中国も例外ではない。
習国家主席は“台湾統一を必ず成し遂げる、そのためには武力行使を躊躇しない”という姿勢を繰り返し示している。
特に、政権3期目になって台湾は特別な問題に変容しつつあり、それは11月に習国家主席がバイデン大統領に対して「台湾は核心的利益の中の核心だ」と告げたことからも明らかだろう。
我々は中国が権威主義国家であることを忘れてはならない。今後、習国家主席が台湾統一という政治的目標を実現するため、経済を多少とも犠牲にすることは十分に考えられる。
特に、台湾本島を武力で支配できる軍事的環境が整い、欧米からの経済制裁にも屈しない経済力、サプライチェーンなどが構築された際、我々は台湾有事を本気で考えなければならないだろう。
台湾有事がいつ発生するかは分からない。しかし、米中間のパワーバランスの変化、中国軍の動向、中台関係の状況などをみても現在安心できる材料が殆どないのが現実だ。我々は無意識のうちの平和観や世界観に基づかない、客観的事実のみによってこの問題を考えるべきだろう。
そうなれば、台湾有事を巡る問題の本質は、正に、「中国の習国家主席が経済より政治的目標を優先する場合があるかどうか」であろう。
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部
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