西洋史

コロンブスが追い求めた「金の実」~だが見つけたのは、辛さだった

15世紀末のヨーロッパでは、インドや中国との香辛料貿易が高い重要性を持っていました。

しかし、その頃オスマン帝国が勢力を拡大した影響で、陸路であるシルクロードは次第に使いにくくなっていきました。そのため海路を使った新しい交易ルートが求められるようになったのです。

そこで新航路の開拓に名乗りを上げたのが、よく知られたイタリア生まれの探検家コロンブスです。

画像:クリストファー・コロンブス(リドルフォ・ギルランダイオ)public domain

コロンブスは、「地球は丸い」という当時すでに知られていた考えを基に、西へ向かえばアジアに行けるはずだと考えました。
彼はポルトガルやスペインの王に資金援助を頼み、最終的にスペイン女王イサベルの支援を得て、航海に乗り出します。

こうして1492年8月、コロンブスはスペインのパロス港を出航しました。

しかしこの航海で彼が持ち帰った「とある植物の実」は、後に世界の食文化に予想外の広がりを見せることになるのです。

今回は、新大陸発見の陰に隠された驚きのエピソードをご紹介しましょう。

金の実を探せ

15世紀後半から17世紀初頭にかけてのいわゆる「大航海時代」が幕開けをした頃、「大西洋を西に進めばインドに到達できるはずだ」という推論が、多くの地理学者や探検家の間で語られていました。

こうした考えを持っていたのは、コロンブスだけではなかったのです。

しかし、その中でも誰よりも早く本格的な航海に乗り出そうとしたのがコロンブスでした。

彼はスペインのイサベル女王に対して、莫大な資金援助を求めます。

画像:イサベル1世 public domain

その際、いわばプレゼンの材料として用いたのが「黄金の国ジパング」と、新航路によって可能となる貿易、中でも香辛料がもたらす莫大な富だったのです。

当時、食糧である肉を保存するためには様々な方法が用いられましたが、その材料となる「コショウ」は特に不可欠な存在でした。

コショウはアジアの各地で採取された後、いったんインドに集められ、アラビア商人たちの手でヨーロッパに運ばれていました。
しかし、アラビア商人たちはコショウの交易を独占しており、金と同じほどの高価な品として扱われていました。

まさにコショウは「金の実」だったわけです。

そのためコロンブスの航海には、アラビア商人を介さずにインドから直接コショウをスペインへ運ぶための航路を切り開くという、大きな使命が託されていたのです。

大風呂敷を広げてみたものの

画像 : コロンブスの4度に渡る中央アメリカへの航路 CC BY-SA 3.0

ところがご存じの通り、大西洋を西進したコロンブスが到達したのはインドではありませんでした。

1492年10月12日、彼が最初に上陸したのは、現在のバハマ諸島に含まれるサン・サルバドル島とされており、これをアジアの一部だと誤認したコロンブスは、現地の先住民を「インディオ(インド人)」と呼びました。

とはいえ、黄金の国ジパングや香辛料を求めるという壮大な計画を掲げ、イサベル女王から莫大な資金援助を受けたコロンブスにとって、自らの到達地がインドではなかったことを認めるのは難しかったに違いありません。
そのため彼は、アメリカ大陸に到達したあとも、そこがインドの一部であるという主張を変えず、死ぬまでアメリカ大陸を探索し続けたのです。

しかもこの時知ってか知らずか、コロンブスが誤認したのは陸地だけではありませんでした。
彼はアメリカ大陸で見つけたトウガラシのことを、こともあろうかコショウを指す「ペッパー」と呼んだのです。

しかし、コショウとトウガラシはそもそも見かけも味も全く違う植物です。

仮にコロンブスが熱帯産の植物であるコショウの原型を見たことがなかったにせよ、自ら女王に申し出て、探しにいったコショウの味すら知らなかったというのは、いささか不自然な話ではないでしょうか。

辿り着いた陸地をインドだと主張するのなら、そこで見つけた辛い植物の実もコショウでないとならない…

そんな苦悩から、コロンブスがコショウの実を意図的に間違えたとも考えられるのです。

ヨーロッパとアジアでウケが違った

画像:ポルトガルがヨーロッパ向けコショウ貿易を支配していた時代のインド public domain

かくしてトウガラシはコロンブスの奮闘の末、ヨーロッパにもたらされました。

ところがトウガラシの火を噴くような辛さはヨーロッパでは好まれず、味自体もコショウのもつ独特なスパイシーな風味と異なることから、当初人々には好意的に受け入れられませんでした。

ところが1500年、ポルトガル人の探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルが南米の東岸に到達すると、トウガラシの価値に変化が訪れます。

ヨーロッパの地ではウケの悪いトウガラシでしたが、ビタミンCを多く含むため、壊血病に悩む船乗りたちにとっては役立つ植物として、長い航海には欠かせない品となっていったのです。

こうしてトウガラシは、ポルトガルの交易ルートを通じてまずアフリカやアジアへと伝えられ、各地の風土や食文化に応じて広まりながら、16世紀以降、徐々に世界中へと広がっていったのです。

快感をもたらす魅惑の成分

画像:ヴァリエーション豊かなコショウの実 public domain

トウガラシに含まれる「辛み」は、当初ヨーロッパ人にとっては刺激が強すぎるとして敬遠されました。

そもそもこの辛みは、甘味や苦味といった味覚とは異なり、人間の舌が「痛み」として感知する刺激です。これは、トウガラシに含まれるカプサイシンという成分によるもので、神経を刺激して、身体に一種の異常を知らせるように働きかけます。

この刺激に対して、体は防御反応として消化器官を活性化させ、排出を促すために血行を促進し、発汗を引き起こします。さらに脳は、痛みに対処するためにエンドルフィンという神経伝達物質を分泌します。
これは「脳内モルヒネ」とも呼ばれ、心地よい高揚感をもたらすため、人によってはその感覚が「クセになる」ことがあります。

コショウはトウガラシとは異なる種類の植物ですが、その辛みがもたらす刺激や芳香は、当時のヨーロッパで非常に魅力的なものとされていました。もちろん、希少性が高かったことが最大の理由ですが、それに加えて、味覚を刺激する特別な感覚にも人々は惹かれていたのかもしれません。

コロンブスが探し求めた魅惑の実であるコショウ、そして彼が辿り着いた先で出会ったトウガラシ。それぞれの歴史を知ることで、私たちはふだん何気なく使っている香辛料にも、新たな価値や奥深さを感じられるのではないでしょうか。

参考文献:『世界史を大きく動かした植物』/稲垣 栄洋(著)
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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