西洋史

【カール大帝と西ヨーロッパの成立】 権威と権力の違いとは?

「権威」と「権力」の違い

日本の政治システムにおいて、国会天皇は異なる役割を持っています。国会は首相を「指名」する役割を果たし、その指名を受けて天皇は首相を「任命」します。

「任命」という行為は単なる形式的なものではなく「権威づけ」としての側面があります。
例えば日本の歴史を見ると、天皇から征夷大将軍の称号が与えられることは、この権威づけの一例として挙げられます。

天皇が持つ「権威」は「暴力を使用せずに他者を服従させる力」を意味し、これは「権力」つまり「暴力装置に基づいて他者を従わせる力」とは異なるものです。

この「権威」と「権力」という二つの要素は、日本史だけではなくヨーロッパの歴史においても見られ、ヨーロッパの成立に重要な役割を果たしたと言えます。

今回の記事では中世ヨーロッパにおいて、ゲルマン人とキリスト教が急接近した背景について見ていきたいと思います。

権威と権力の違いとは?

画像:『カール大帝の戴冠式』ラファエル画 public domain

ローマ教会の持つ権威

中世初期の時代、ローマ=カトリック教会が直面する大きな問題がありました。

ローマ教会は「権力」つまり、軍事的な権力を持っていませんでした。

476年に西ローマ帝国が滅亡したからです。西ローマ帝国はローマ教会の保護者であったため、帝国の滅亡は教会にとって大きな打撃となります。

しかしローマ教会は帝国滅亡後も、一定の勢力を維持することができました。

教会の人々が農業や徴税に関する知識を持ち、また読み書きができる人が聖職者を中心として存在していたからです。

ゲルマン民族の台頭とローマ教会への接近

その一方で、新たな権力者としてゲルマン民族が台頭してきます。

ゲルマン民族は軍事的な「権力」は有していましたが、それに伴う「権威」がありませんでした。

また農業知識や徴税方法、現地住民の統治に関する知識に欠けていました。そのためゲルマン系の統治者たちは、支配した土地の運営に困難を感じていたのです。

彼らが統治する地域にはローマ帝国から引き継いだローマ系の住民が多く、住民の多くがカトリックを信仰していました。

このような背景から、ゲルマン国家は「権威」を強く求めるようになります。

一方、ローマ教会は「権力(軍事的な保護者)」を求めていました。

この双方のニーズが合致することで、ローマ教会とゲルマン国家は互いに密接な関係を築くことになります。

この関係性は、中世ヨーロッパの歴史においてとても重要な出来事となります。

フランク王国の成立と拡大

西ローマ帝国滅亡後の西ヨーロッパでは、ゲルマン人国家である「フランク王国」が大きな勢力を持つようになりました。

496年、フランク王国の初代国王・クローヴィスはカトリックに改宗します。フランク王国はゲルマン人国家のなかで、初めてカトリックを信仰する国になったのです。

権威と権力の違いとは?

画像:クローヴィスはメロヴィング朝の始祖であり、フランク王国の初代王。キリスト教への改宗によりフランク人を統一し、中世ヨーロッパの基盤を築いた public domain

クローヴィスによる指導下で、フランク王国はローマ教会との提携を強化。この提携のおかげで、フランク王国はローマ系の住民とも良好な関係を築くことに成功します。

さらにフランク王国は、西ゴート王国からピレネー山脈以北の地域を奪取。ブルグント王国も滅ぼし、勢力を拡大していきます。

フランク王国にとって751年は、新たな時代の幕開けとなりました。

そしてカロリング家出身のピピンが王位に就任します。ピピンは初代国王クローヴィスの血統(メロヴィング家)を持つ子孫ではありませんでしたが、ローマ教会との強い関係を背景として王位を継承しました。

ピピンが教皇に寄進した北イタリアのラヴェンナは、現在の「ヴァチカン市国」として知られる地域の前身となりました。

そしてピピンを継いだ息子のカール大帝は、フランク王国とローマ教会との関係を一層深めることとなり、この二つの勢力は蜜月の時代を迎えることになります。

「カールの戴冠」とイスラム勢力の脅威

カール大帝はその卓越した能力で数多くの勢力を撃退し、西ヨーロッパを統一へと導きました。

西ヨーロッパ統一の大きな節目として、西ローマ帝国の復活を象徴する出来事があります。

800年12月24日、カール大帝の偉大な功績を讃えて、ローマ教皇レオ3世はカール大帝に帝冠を授け「西ローマ帝国の復活」を宣言したのです。

この「カールの戴冠」は、キリスト教、ゲルマン人、そしてローマからなる三つの文化が融合する象徴となりました。

権威と権力の違いとは?

画像:800年、ローマ教皇によってローマ帝国の皇帝として戴冠された、フランク王国のカール大帝 public domain

この出来事は「ヨーロッパの誕生」とも称され、カール大帝は「ヨーロッパの父」とも呼ばれています。

「カールの戴冠」が実現した背景には、7世紀に誕生し、急速に拡大していたイスラム勢力の脅威がありました。

その影響によって西ヨーロッパはイスラム勢力に圧迫され、一時はピレネー山脈までイスラム勢力が及びますが、フランク王国はなんとか撃退しています。

この戦いを「トゥール・ポワティエ間の戦い」と言います。

画像:トゥール・ポワティエ間の戦い。732年にフランク王国がイスラム勢力のヨーロッパ拡大を阻止した歴史的な戦いである public domain

またイスラム勢力の脅威に加えて、キリスト教内部でも東方正教会(東ローマ帝国)との間で対立が深まっていました。

こうした背景により「西ヨーロッパの統一」と「安定」が切実に求められた結果として、ローマ教会による「カールの戴冠」が実現します。

フランク王国は宗教的な「権威」を求め、一方のローマ教会は軍事的な「権力」を欲していた。

この両者による欲求が合致したことで西ヨーロッパが統一され、現在のヨーロッパが形成される基礎ができたのです。

参考文献:ゆげ塾、ゆげひろのぶ、川本杏奈、野村岳司(2023) 『ゆげ塾のヨーロッパがわかる世界史・上巻』ゆげ塾出版

 

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村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。
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