秦の始皇帝が死ぬ直前に起こった「3つの奇妙な出来事」

始皇帝が亡くなる直前に起きた奇妙な出来事

画像 : 始皇帝 public domain

秦の始皇帝・嬴政は、戦国七雄が割拠していた混乱の時代を終わらせ、初めて中華全土を統一した人物である。

強大な軍事力と徹底した中央集権体制を築き、法と秩序による巨大帝国を作り上げた。

彼が実施した度量衡の統一、郡県制の導入、道路や運河の大規模整備は、その後二千年以上続く中国王朝支配の基盤となった。

まさに「千古一帝」と称されるにふさわしい存在である。

しかし、その輝かしい統一の裏側で、晩年の始皇帝は深い不安にとらわれていた。

若い頃から暗殺未遂に遭い続け、統一後は反乱の兆しや民衆の怨嗟が高まり、帝国は内部に不穏な空気を抱え始めていた。

そして何より、始皇帝自身が最も恐れたものは「死」であった。

不老不死への執着から、徐福をはじめ盧生・侯生ら多くの方士を信頼し、仙薬を求めて海へ船団を送り出した。

画像 : 不死の妙薬を求めて航海に出る徐福(歌川国芳画) public domain

また、統一国家の威信を示すため、広大な領内の巡行を繰り返した。

統一後の11年間で始皇帝は5度の巡行に出発し、封禅や地方視察を行い、各地に石碑を建てて皇帝の権力を示した。

しかし晩年になるにつれ、巡行は単なる政治儀礼にとどまらず、神仙が住むと信じられた名山大川を訪ね、長生の道を求める目的を帯びるようになったと考えられている。

そのころ、秦帝国の周囲で不可解な出来事が相次いだという。

それはまるで、帝国の崩壊と皇帝の死を告げるかのようであり、後世から見れば秦の滅亡を象徴する不気味な前触れだったともいえる。

今回は、始皇帝の崩御直前に起きたとされる3つの奇妙な出来事について、正史『史記・秦始皇本紀』に記録された史料を中心に追っていく。

なお、一部に後世の伝承や解釈が交錯するが、史書が残した核心部分から、その意味を探ることにする。

奇妙な出来事その1 〜天に現れた凶兆「熒惑守心」

始皇帝が崩御する前年、紀元前211年。

秦帝国の上空で、古代人にとって最も不吉とされた天文現象「熒惑守心(けいこくしゅしん)」が観測されたという。

画像 : 熒惑守心(けいこくしゅしん)イメージ 草の実堂作成(AI)

「熒惑(けいこく)」とは火星の古称で、赤く揺らめく光が火のようであり、運行が不規則で、人心を惑わす存在と考えられた。

古代中国では火星は戦乱、死、不幸を象徴する星とされ、「罰星」「刑星」とも呼ばれた。

一方、「心」は二十八宿のひとつ、心宿のことで、古来より帝王の象徴とされてきた星座である。
(※二十八宿とは、天球を二十八の区画に分け、運命や政治の吉凶を占った星座体系)

この心宿に火星が侵入し、長く留まる現象が「熒惑守心」であり、帝王の死や王朝の滅亡を暗示する凶兆とされた。

『史記』には、この天象が秦始皇36年に出現したと記されている。

三十六年,熒惑守心。

意訳 : 始皇帝36年(紀元前211年)、火星が心宿に侵入して長く留まるという、極めて不吉な天文現象「熒惑守心」が起こった。

『史記・秦始皇本紀』より

当時の人々は、天と人の運命は連動すると信じていた。

天変地異は単なる自然現象ではなく、政治の乱れや帝王の過ちを警告する天意として受け取られたのである。
そのため、この天象の出現は、宮廷の内外に強烈な不安をもたらしたと考えられる。

現代の天文学から見れば、火星が逆行したり留まるように見える動きは周期的に起こる自然現象であり、特別な意味を持つものではない。

しかし、その兆しは秦帝国にとって、単なる偶然として片づけることのできない現実であった。

統一以降、苛酷な労役と重税によって民の不満は各地で鬱積し、「天下苦秦久矣(天下の人々は秦の圧政に長く苦しんできた)」という声が広がりつつあったのである。

そんな時期に、「帝王の死」という象徴を帯びた熒惑守心が現れた。

これは、始皇帝にも大きな衝撃を与えたはずである。

奇妙な出来事その2 〜隕石に刻まれた言葉

天象異変「熒惑守心」の直後、さらに不可解な出来事が続いた。

東郡に巨大な光の尾を引く星が落下し、地面に激突して石となったという。

現代の視点から見れば隕石落下と考えられる現象であるが、当時は天からの重大な兆しとして捉えられた。

そして落下地点の住民の誰かが、その石に不吉な一句を刻んだ。

「始皇帝死而地分(始皇帝が死ねば天下は分裂する)」

この刻文は、帝国の行く末を断じるかのような予言であり、始皇帝を激しく動揺させた。

有墜星下東郡,至地為石,黔首或刻其石曰「始皇帝死而地分」。
始皇聞之,遣御史逐問,莫服,盡取石旁居人誅之,因燔銷其石。

意訳 : 東郡に流星が落ち、石へと変化した。
里の人々の誰かがその石に「始皇帝が死ねば天下は分裂する」と刻んだ。
始皇帝はこれを聞き、御史に調査を命じたが、誰も認めなかった。
そのため皇帝は石の周囲に住む者を全員誅殺させ、石を焼いて形が失われるまで破壊させた。

『史記・秦始皇本紀』より

秦による統一は歴史的偉業であったが、重税と労役により、六国旧民の憎悪は深く積もっていた。

「始皇帝死而地分」という言葉は、民衆の怨嗟と願望であり、極めて政治的なメッセージであったと見られている。

始皇帝は迷信よりも、この言葉が反乱の火種となることを恐れた。

そのため、刻字の真相を明らかにすることよりも、証拠を隠滅し関係者を殲滅したのである。

奇妙な出来事その3 〜謎の黒衣の男の発言

隕石の刻字事件から間を置かず、さらに奇妙な出来事が起こった。

関東からの帰途にあった使者が華陰の平舒道を夜に通行していた際、闇の中から謎の黒衣の男が現れ、道をふさぐように立ちはだかったのである。

黒衣の男は、手にしていた玉璧を差し出し、静かに言った。

「これを滈池君に渡せ」(※滈池君とは、咸陽宮にある滈池にちなむ称で、始皇帝を指す呼び名)

画像 : 黒衣の男 イメージ 草の実堂作成(AI)

そして男は、使者を見据え、不気味な一言を告げた。

「今年、祖龍死(今年、始皇帝は死ぬ)」

使者が思わず理由を尋ねた瞬間、男の姿は霧のように消え去り、手元には玉璧だけが残ったという。

秋,使者從關東夜過華陰平舒道,有人持璧遮使者曰:「為吾遺滈池君。」因言曰:「今年祖龍死。」使者問其故,因忽不見,置其璧去。

使者奉璧具以聞。始皇默然良久,曰:「山鬼固不過知一歲事也。」退言曰:「祖龍者,人之先也。」使御府視璧,乃二十八年行渡江所沈璧也。

意訳 : 秋、使者が夜間に華陰の平舒道を通過した際、玉璧を持つ人物に行く手を遮られた。
その男は「今年、祖龍死」と言い残し、姿を消した。

使者の報告を聞いた始皇帝はしばらく沈黙し、「山の怪しいものに分かることなど、せいぜい一年先のことにすぎぬ」と言ったものの、御府に調べさせたところ、その玉璧は始皇帝28年の渡江時に水中へ沈めた供物であることが判明した。

『史記・秦始皇本紀』より

黒衣の男が何者であったのか、史書は一切触れていない。

玉璧がどのように川底から戻り、その人物の手に渡ったのかも謎のままである。

始皇帝は表面上は冷静を装ったが、報告を受けた直後に占いを行わせ、その結果は「游徙吉」と出た。

「游徙」とは移動・移住を意味し、「吉」は文字通り、それが凶を避ける手段であると示す占兆である。

この占いに従い、始皇帝は三万戸の民を強制移住させ、災いを避けようとした。

さらに、自らも改めて巡行に出ることを決断したが、これが人生最後の旅となった。

秦始皇三十七年(紀元前210年)、第五次巡行の途上、秦始皇は病に倒れ、沙丘で崩御したのである。

天意か人心か 〜秦帝国の崩壊

秦始皇を襲った3つの奇妙な出来事は、後世の人々に長く語り継がれた。

これらは迷信として片づけることも、反秦勢力による政治的扇動と解釈することもできる。しかし秦帝国が崩壊へ向かう気配は、確かにこの頃から濃く漂い始めていたのである。

始皇帝の死後、帝国は急速に崩れ、反乱の炎は広がった。

画像 : 陳勝・呉広の乱 ©大泽乡起义

陳勝・呉広の蜂起を皮切りに反乱が連鎖し、各地の民衆と旧六国勢力が次々と立ち上がった。

やがて主導権は項羽と劉邦の二人へ移り、激しい楚漢戦争の末、劉邦が勝利し、前202年に漢王朝が成立する。

始皇帝が築いた大帝国は、統一からわずか15年で幕を下ろしたのである。

奇妙な出来事が本当に天意の示唆であったのか、あるいは人心の反映であったのか。答えは容易ではない。

しかし史家たちや民間伝承は、帝国の転換点に人々が見た「予兆」を後世に伝えた。

それは、栄光と崩壊が紙一重であることを静かに告げる、冷徹な警鐘であったのかもしれない。

参考 : 司馬遷『史記』「秦始皇本紀」班固『漢書』「五行志」他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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