世界史

チェーンソーは出産のために作られた器具だった?分娩室から生まれた意外な歴史

チェーンソーは、なぜ生まれたのか

画像 : 保護具を着用したチェーンソー使用者 cc Magnus Mertens

チェーンソーと聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、森林伐採や災害現場、あるいは映画の中に登場する恐ろしい機械だろう。

轟音を立てながら木や物を一気に切断するチェーンソーは、危険で荒々しい道具といったイメージだ。

では、もし「チェーンソーは、もともと難産に立ち向かうための医療器具として考案された」と言われたら、どうだろうか。

画像 : 無事出産して安堵する妊婦と医療従事者 イメージ 草の実堂作成(AI)

にわかには信じがたい話だが、これは単なる都市伝説ではない。

18世紀後半から19世紀にかけて、ヨーロッパの産科医療の現場では、チェーン状の刃を用いて骨を切断する医療器具が、実際に使用されていたのである。

もちろん、当時の医療器具と現在のチェーンソーとでは、形状も用途も大きく異なる。

しかし、「チェーン状の刃で対象物を効率よく切断する」という基本的な発想そのものは、当初から一貫して受け継がれてきたものだった。

命を救うために「骨を切る」必要があった時代

人類は長い歴史のなかで出産を続けてきたが、抗生物質や麻酔、消毒法が確立される以前の出産は、常に命の危険と隣り合わせであった。

18世紀のヨーロッパでは、麻酔技術は未発達で、消毒の概念も十分に浸透していなかったからである。

そのため帝王切開は、母体の死亡率が極めて高く、母子ともに感染の危険が大きい手術とされ、事実上「最後の手段」と考えられていた。

とくに深刻だったのが、胎児の頭部が母体の骨盤を通過できない「児頭骨盤不均衡」である。

この状態に陥ると分娩は進まず、時間が経つほど母子ともに命を落とす危険が高まった。

こうした状況を前に、当時の医師たちは、骨盤そのものを外科的に広げるという選択を迫られることになったのである。

恥骨結合切開術と、骨切断という課題

画像 : pubis(恥骨)U.S. National Cancer Institute CC BY-SA 4.0

胎児が骨盤に引っかかって出てこられない場合、当時の医師たちは妊婦の恥骨結合部を切開し、骨盤をわずかに広げる方法をとることがあった。

この手術で難しかったのは、骨盤の一部を慎重に扱いながら、できるだけ安全に、しかも手早く作業を進めなければならなかった点である。

通常のナイフでは骨の切断は困難で、時間がかかればかかるほど、母体への負担と危険性は増していった。

そこで考案されたのが、ナイフよりも効率よく骨を切断できるチェーン式の骨切断器具だったのである。

スコットランドで生まれた「チェーン手引きのこぎり」

画像 : 難産で頭を抱える医師たち イメージ 草の実堂作成(AI)

18世紀後半のスコットランドでは、骨を効率よく切断するためのチェーン式器具が、複数の医師によってほぼ同時期に考案されていた。

発明者の特定については議論があるが、スコットランドの医師・ジョン・エイトケンが、最初期の使用例について詳細な記録を残している。

この器具は「チェーン手引きのこぎり(chain hand saw)」と呼ばれ、凹面側に歯を備えた細かなリンク式のチェーンを、両端の取っ手で往復運動させることで、ノコギリのように骨を切断する仕組みを持っていた。

発明時期は、1783年から1785年頃とされている。

エイトケンは著書『Principles of Midwifery or Puerperal Medicine』(1785年)の中で、この器具を図入りで紹介し、解剖室で実際に使用していたことを記している。

医療器具としての評価と限界

画像 : チェーン手引きのこぎり アメリカ国立医学博物館蔵 cc マシュー・ブライトバート

同じくスコットランドの医師、ジェームズ・ジェフレイもほぼ同時期にチェーン鋸を独自に考案したと主張している。

1806年の著作では、膝や肘などの病変関節切除への応用例を紹介し、チェーン鋸によって切開創が小さくなり、周囲の神経や血管束を保護しやすい点を利点として挙げた。

一方で、恥骨結合切開術そのものは合併症が多く、産科医療の主流となることはなかった。

それでも「骨を効率よく切断する」という発想は高く評価され、チェーンのこぎりは19世紀の大半にわたり、有用な外科器具として使われ続けたのである。

ベルンハルト・ハイネと改良型チェーン器具

画像 : 医療用に開発されたオステオトーム public domain

1830年には、整形外科医ベルンハルト・ハイネが「チェーンオステオトーム」を開発する。

これは手回し式のクランクによってチェーン刃を動かす構造を持ち、従来のハンマーや鑿(ノミ)による方法よりも速く、患者の苦痛を軽減できるとされた。

高価で操作にも熟練を要したため、広く普及することはなかったが、外科手術の発展に一定の役割を果たしたのだった。

医療から林業へ

19世紀後半、麻酔や消毒法の確立によって医療技術は大きく進歩し、恥骨結合切開術は次第に行われなくなっていく。

さらに、より簡便で扱いやすいギリア鋸が登場し、医療現場ではこれらの器具へと置き換えられていった。

一方で、「チェーン状の刃で対象物を効率よく切断する」という構造は、別の分野で注目されるようになる。

それが林業である。

20世紀初頭、エンジン技術と結びついたチェーンソーは木材伐採用の機械として発展し、1950年代には一人で操作可能な実用機が普及した。

こうして、現在私たちが知るチェーンソーの姿が確立したのだった。

チェーンソーの起源には、限られた条件のなかで命を救おうとした人々の知恵と切実さが刻まれているのである。

参考 :
Chainsaws Were Originally Invented to Help With Childbirth
Principles of Midwifery or Puerperal Medicine』John Aitken著(1785年)
Skippen M, et al. “The Chain Saw – A Scottish Invention.” Scottish Medical Journal (2004)

文 / 藤城奈々 校正 / 草の実堂編集部

 

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藤城奈々 (編集者)

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ライター・構成作家・編集者
心理、人間関係のメカニズム、スピリチュアル、宇宙
日本脚本家連盟会員

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