
画像 : スパイイメージイラスト
スパイと聞くと、漫画や映画の中の存在を思い浮かべるかもしれない。
しかし現実の世界でも、国家の命運を左右する情報を巡って、目に見えない戦いは今も続いている。
機密情報を盗み出し、時には暗殺にも関与する者たちは歴史の裏側で大きな役割を果たしてきた。
冷戦期にその象徴とされたのが、ソ連の国家保安委員会、いわゆるKGBで、国内の監視や治安維持から対外諜報までを担う巨大組織であり、多くのスパイたちを動かしていた。
しかし、ロシアにはもう一つの顔である軍事情報機関「GRU」も存在している。
KGBやアメリカのCIAとは性格が異なり、主に軍事情報の収集を担い、戦場の勝敗さえ左右しかねない情報を扱う、いわば軍事スパイの中枢といえる機関である。
GRUの起源と組織の変遷

画像 : レオン(レフ)・トロツキー public domain
GRUの起源は、1917年のロシア革命後の軍再編の中で、1918年に設けられた「登録局」にさかのぼる。
これがやがて赤軍参謀本部第四局へと改編され、軍の中枢に組み込まれるかたちで発展していった。
その基盤は、赤軍を率いたレオン・トロツキーのもとで進められた軍再編の過程で整備されたものであった。
トロツキーは革命直後の混乱の中で、戦局を左右する「情報」の重要性を強く認識していた。
特に内戦下においては、敵の動向や兵力配置を正確に把握することは勝敗を決定づける大きな要因となる。
こうして形成された組織は、参謀本部直属の情報機関として存続し、ソ連からロシアへとそのまま引き継がれている。
一般には「参謀本部情報総局(GRU)」の名で知られてきたが、2010年には正式名称が「参謀本部総局(GU)」へ改められ、現在も通称としてGRUの名が広く使われている。
戦局を動かしたスパイ・ゾルゲ

画像:リヒャルト・ゾルゲ wiki c Bundesarchiv
GRUの活動を象徴する人物が、ドイツ出身のスパイ、リヒャルト・ゾルゲである。
ドイツ人でありながら共産主義に傾倒した彼は、ソ連の諜報機関に見出され、やがて極東での重要任務を担うことになる。
ゾルゲは1930年代、日本に潜入すると「新聞記者」という立場を隠れ蓑に、東京の政財界や外交筋へと巧みに入り込んでいった。
当時の日本はドイツと接近関係にあり、彼はドイツ人という出自を最大限に活かして、駐日ドイツ大使館の内部にまで食い込むことに成功する。
とりわけドイツ大使オイゲン・オットとの個人的な信頼関係を築いたことが決定的で、彼は大使館内部の重要な情報に継続的に接近できる立場にまで上り詰めていった。
ゾルゲの情報網は、日本人協力者の存在によってさらに強固なものとなっていた。

画像 : 尾崎秀実 public domain
なかでも朝日新聞記者であった尾崎秀実は、近衛文麿内閣のブレーンとして政策決定の中枢に関わっており、日本政府の対外戦略に関する極めて重要な情報をゾルゲに提供していた。
こうしてゾルゲは、ドイツと日本双方の国家機密に接近できる、きわめて稀有な立場を手にしていたのである。

画像 : ゾルゲの外国通信員身分証明票 public domain
1941年、ゾルゲはドイツによるソ連侵攻計画、バルバロッサ作戦の存在を事前にモスクワへ打電した。
だがそれ以上に重要だったのは、日本が当面ソ連へ侵攻しないという判断を裏付ける情報であった。
これによりソ連は極東の兵力を西部戦線へと移動させる判断を強め、モスクワ攻防戦における戦略判断に影響を与えたとみなされている。
つまり、ゾルゲの報告は単なる情報伝達にとどまらず、戦略判断に大きな影響を与えた可能性が高いのである。
しかし長期間にわたる活動は、ついに日本の特高警察に察知されることとなる。
1941年10月、ゾルゲは逮捕され、その諜報網も次々と摘発された。
取り調べの中で彼は自身のスパイ活動を認め、ソ連のために行動していたことを明らかにする。
およそ3年間の拘留ののち、1944年11月、ゾルゲは東京で処刑されたのだった。
死後、彼の活動は長らく公にされることはなかったが、のちにソ連によって英雄として顕彰されることになる。
敵国の中枢に入り込み、国家の意思決定にまで影響を与えたゾルゲの存在は、スパイが単なる裏方ではなく、歴史の流れそのものを動かし得る存在であることを示している。
KGBとGRUの警戒関係

画像 : KGB本部(通称はルビャンカ)public domain
一方でソ連には、GRUとは別にのちにKGBへとつながる秘密警察機構という巨大な情報機構が存在していた。
両者は役割こそ異なるものの西側諸国の情報を巡って競い合う関係にあり、互いを警戒し合う緊張をはらんでいた。
実際、1930年代後半のスターリンによる大粛清では、秘密警察機構によって軍情報部の将校たちが「スパイ」の疑いで次々と逮捕・処刑され、GRUは大きな打撃を受けている。
同じ国家に属しながらも、両者は常に微妙な距離を保ち続けていたのである。
ソ連崩壊後、KGBは解体され、その機能はFSBやSVRへと引き継がれたが、GRUは現在もなお存続している。
ロシアによる民主主義国家を狙ったサイバー攻撃

画像 : 就任演説を行うトランプ public domain
そのGRUが現在、主戦場としているのがサイバー空間である。
近年では政治家や有識者への圧力、偽情報の拡散と並び、サイバー攻撃が重要な手段となっている。
個人のスマートフォンや企業のPCに侵入して情報を盗み出すだけでなく、システムそのものを停止させるなど、その影響は広範囲に及ぶ。
2016年のアメリカ大統領選への介入が問題となり、2020年以降も各国の政府機関や重要インフラを狙ったサイバー攻撃が取り沙汰されている。
その影響は日本にも及んでおり、2020年には東京オリンピック・パラリンピック関係者へのサイバー偵察が確認されたほか、2021年には日本オリンピック委員会がサイバー攻撃を受けて業務停止に追い込まれ、約60台のPCやサーバーを交換する対応が取られた。
スパイ活動はもはや遠い国の話ではなく、私たちの日常と地続きの現実となりつつある。
AIなどIT技術の進化によってその手口はさらに高度化しており、国家としての防衛体制の強化や専門人材の育成が、これまで以上に重要になっているのである。
参考文献:
『諜報国家ロシア ――ソ運KGBからプーチンのFSB体制まで』、保坂三四郎、中央公論新社、2023年
『GRU ソ連軍情報本部の内幕』、 ビクトル・スヴォーロフ【著】、出川沙美雄【訳】、講談社、1985年他
文 / 国木ちさと 校正 / 草の実堂編集部
























この記事へのコメントはありません。