日本人にとって、その名こそ知られているが、本質はなかなか理解されないイスラム教。
近年では「イスラム原理主義」や「IS(イスラム国)」のワードが飛び交い良いイメージがない。では、イスラム教とはいったいどのような宗教なのか?
今回はイスラム教について触れていきたい。
イスラム教の始まり
西暦610年頃に商人だったムハンマドは、メッカの郊外で天使ジブリール(キリスト教ではガブリエル)より、唯一神(アッラー)の啓示を受けて、アラビア半島でイスラム教を始めた。
※天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド
その頃にはユダヤ教、キリスト教が広まっていたためイスラム教は新興宗教に過ぎない。多くの人々は彼の話に耳を傾けることはなく、ムハンマドの教えを信じた者は、男女合わせて200人ほどだった。やがて、イスラム教は批判の的になり、それが迫害へと変わってゆく。
622年、彼はわずかな信徒とともにメディナに拠点を移す。ここからムハンマドの戦いの人生が始まった。そのなかでも大きな出来事は、メッカとの対立である。メディナで現地のユダヤ人と対立したことにより、それが戦闘へと激化。そのためにムハンマドはユダヤ教徒に倣ってエルサレムの方角に礼拝していたところを、メッカの方角に変えるようになる。これが現在でも世界中のイスラム教徒がメッカの方角に礼拝する理由だった。
その後も、ムハンマドは周囲のユダヤ教徒と戦い続け、周囲のアラブ人を支配下に収めるようになる。630年にはメッカを占領し、その後に起きた反ムハンマドの軍勢一万をも打ち破り、ムハンマドの名声とイスラム教はアラビア中に広まったのである。
イスラム教の特徴
イスラム教は一神教である。全能の神であり「アッラー」と呼ばれるその存在は、ユダヤ教の「ヤハウェ(エホバ)」やキリスト教における「キリストの父」と同じ神なのだ。
ちなみに「アッラー」というのは名前ではなく「神」という意味であり、一神教であるイスラム教にとっては、神を名前で分ける必要などない。
そもそも、イスラムというのは「神への帰依」、つまり「神を信仰し、その教えに従う」という行動そのものを指している。そして、イスラム教徒のことを「神に帰依した人々」という意味で「ムスリム」と呼んでいるのだ。イスラム教徒=ムスリムと理解していいだろう。
そんな彼らにとっての聖典が「コーラン」である。神の言葉を受けたムハンマドが、肉体を通して言葉にしたものを書き留めたものであり、後の世代になって編集され、書物となった。
それは、アダム・ノア・アブラハム・モーセ・イエスなどの預言者たちが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが完全な形にしたともされている。
※コーラン
これにより、ムハンマドは「最後にして最高の預言者」となった。
ちなみに、「ムハンマド」はムスリムの典型的な名前でもあるため、区別のため「預言者ムハンマド」と呼ぶ場合がある。
もうひとつの特徴として、すべての信徒は平等であるという考えがある。宗教上の指導者は存在するが、これはあくまでコーランを解釈し、信徒に伝える法学者的な存在に過ぎない。
ムハンマドは預言者ではあるが、ムスリムが守るものは彼が伝えた言葉と、彼の言動をまとめた伝承だけである。それらは、信仰のあり方だけでなく、日常生活や政治のあり方にまで及んでいる。
ジハード
イスラム教には礼拝や断食などの義務があるが、その中でも注目したいのが「ジハード」である。日本では一般的に「聖戦」と訳されるが、本来は「奮闘努力」の意味であり、いわば信仰にとって必要不可欠なものだ。
その精神が形となって表れたのが、十字軍との戦いである。キリスト教側から見れば「聖地エルサレムの奪回のための戦い」だが、ムスリムにしてみれば「侵略からの防衛」である。これが後にテロリズムを正当化する標語として使われるようになった。
そして、第3回十字軍との戦いにおいて、イスラム側にひとりの英雄が現われる。
その人物こそがサラーフッディーン、欧米名「サラディン」だった。
※サラーフッディーン
彼はエジプトとシリアのスルタン(君主)であり、優れた騎士であった。軍事面でもその才能は発揮されたが、何より讃えられるのは彼の人間性である。
かつてエルサレムを占領した十字軍は捕虜を皆殺しにしたが、サラディンは敵の捕虜を全員助けている。
また、戦闘中に落馬した十字軍のリチャードⅠ世にその勇気を賞賛して、新しい馬を贈っている。同じようにリチャードが高熱に苦しんでいるときには桃や梨を、また、熱を下げるためにアスカロン山の雪を贈ったともされる。
(リチャードⅠ世と十字軍については、「中世の騎士について調べてみた」「中世の騎士について調べてみた②」にも記述がある)
サラディンは熱心なイスラム教徒であり、教義にかかわることには厳格であったが、それでも戦いと人を気遣うことは別だという分別を持っていた。
イスラム教とは、多くの教義に縛られてはいるが、一方でこのような人物を生み出す寛容さも併せ持っているのだ。
日常との融合
イスラム教は実に柔軟な宗教でもある。
キリスト教では、教徒が悩んだときには牧師に悩みを告げると「神に祈りなさい。そうすれば救われます」といった抽象的で哲学的ともいえる答えが返ってくる。しかし、イスラムにおいては、イスラム法を学んだイスラム法学者、ウラマーという人たちが、人々の日常的な生活の相談を受ける。
あるとき、罪を犯した一人の教徒がウラマーにそのことを打ち明けた。
それに対するウラマーの答えは「ならば、あなたがこれから出会う困っている人を10人助けてあげなさい。そうすれば罪は許されるでしょう」と。
これにより罪を犯したものだけでなく、10人の人間が助けられた。実にその教えが日常に根ざしていることを表す話である。
イスラム原理主義
その柔軟さが裏目に出てしまったのが「イスラム原理主義」の出現である。
彼らはコーランの教えを自分たちの都合のいいように解釈し、テロリズムを正当化している。もちろん、それはコーランの教えるところではない。
ところが、欧米を中心としたキリスト教圏では「イスラム教」と「原理主義」を結び付けてしまった。
もともと「原理主義(ファンダメンタリズム)」とは、キリスト教において一部の攻撃的な思想や流れを指す言葉として生まれたものである。それがいつの間にか、イスラムの教えのようなイメージとして定着してしまったのだ。
テロリズムは憎むべきものだが、必ずしも欧米の印象操作がないとはいえないのである。
最後に
ひとつの宗教を簡単に語ることはできない。
今回は「偶像崇拝の禁止」や「六信五行」といった教義までは話が及ばなかった。しかし、イスラム教の輪郭くらいは見えたはずだ。
そして、なにより伝えたかったのは、イスラム教とは決して特殊な宗教ではなく、厳格さの中に寛容さも併せ持った偉大な宗教だということである。
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