人物(作家)

明石元二郎 〜日露戦争の影の功労者【一人で日本軍20万に匹敵する戦果】

ロシア内での攪乱工作

日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて日本とロシアの間で行われた戦争です。

この時日本は兵力で約2倍、国力で約8倍ともいわれた大国ロシアに対して、短期決戦を臨んで見事に勝利を収めました。

陸軍の旅順要塞攻略奉天会戦では、児玉源太郎や乃木希典、秋山好古などの軍人達が勝利に貢献しことで知られています。

またバルチック艦隊を破った海軍では東郷平八郎秋山真之の名が良く知られています。

しかし、陸軍には直接の戦闘ではなく、諜報活動で日本の勝利に大きく貢献した人物がいました。

明石元二郎

※明石元二郎, 1864 – 1919

その功労者こそが明石元二郎(あかし もとじろう)です。

陸軍のロシア駐在武官として当時大佐であった明石は、100万円の工作資金(100万円は現在の貨幣価値では約400億円以上)を用いてロシアを内部から攪乱し、その継戦能力を奪うことに成功しました。

フィリピンでの経験

明石は、幕末の1864年(元治元年)に福岡で生まれました。

父親は福岡黒田藩の武士であり、関ヶ原の戦いや大坂の陣では豊臣方について武名をあげた武将・明石全登の末裔とも伝えられています。
明石は明治維新後に19歳で陸軍士官学校へ入学、そのまま陸軍大学校へと進んで卒業しました。

その後明石は、ドイツ留学を経てフランス領インドシナやフィリピンなどに駐在し、1901年(明治34年)、37歳でフランス公使館付の陸軍武官に就任しました。
明石の日露戦争での諜報活動には、フィリピン駐在時に米西戦争を観戦したことが大いに生かされたと言われています。

※米西戦争

ここで明石は、アメリカが諜報活動を通じて現地のフィリピン人の蜂起を喚起させ、敵であるスペインを攻撃させる手法を目の当たりにして感銘を受けたと伝えられています。

そして1902年(明治35年)にロシア公使館付陸軍武官として任地に赴きました。

この後ロシアで明石は、イギリスの諜報部員シドニー・ライリーとの知己を得ます。やがてシドニーを通じてロシア軍の動向や、旅順要塞の図面など重要な軍事機密を入手し、その人脈が大いに日露戦争に役立つこととなりました。

ヴィルヘルム2世も評価

明石は、日露戦争の開始に伴い、中立国のスウェーデン・ストックホルムに拠点を移しました。

この地にあって ロシア革命の活動家達に資金を援助し、ロシア内部の破壊工作を進めました。

※ヴィルヘルム2世

後にこの時の明石の貢献について、「黄禍論」を唱えて有色人種に低い評価を植え付けたドイツ皇帝ウィルヘルム2世をして 「明石一人で日本軍の20万に匹敵する戦果」 とまで言わしめました。

明石の工作は ロシア国内での諜報活動から始まり、 シべリア鉄道の爆破、革命組織のテロ活動支援へと広がって行きました。

血の日曜日事件

血の日曜日事件 行進する群集

明石は、1904年(明治37年)10月にヨーロッパの各地を巡り、反ロシア政府勢力を集めた会議をパリで開催させました。
この会議によって、各地で行われていた反政府活動が集約され、資金に基づく援助がいきわたるとロシア各地において軍隊への妨害行為、反戦デモ、要人の暗殺など、深刻な社会不安を引き起こしました。

そして、更に大きな事件が起こります。1905年(明治38年)1月22日の「血の日曜日事件」です。

この事件は、数万人の民衆が圧政を続けるロシア皇帝に対して、労働条件の改善や帝政の廃止、日露戦争終結を目的とした請願のため、宮殿に向けてのデモ行進を行ったことから始まりました。

この行進に対し、ロシア政府は軍隊を派遣して鎮圧を試みましたが、静止きませんでした。やがて数万人の民衆が宮殿前の広場まで達した際に、軍が発砲して多数の死傷者を出す事件となったものです。

この「血の日曜日事件」は、すぐにロシア全土に波紋を呼び、ストライキの拡大、各地での反乱を招き、日露戦争を終結に導く方向へ舵を切らせることに大いに貢献する出来事となりました。

明石元二郎は、日露戦争を勝利に導いた知られざる偉人と言えるでしょう。

 

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