江戸時代

徳川斉昭 〜「烈公」と呼ばれた徳川慶喜の実父

幕末の名君

徳川斉昭

徳川斉昭(とくがわなりあき)は、徳川御三家のひとつ常陸水戸藩の藩主を務め「烈公」の諡号でも知られた人物です。

徳川幕府最期の将軍となった徳川慶喜の実父でもあり、幕末の水戸藩の軍事・政治・経済などの立て直しを進めた名君であると同時に、幕府の要職も務めて攘夷思想に基づく防衛策を実施しました。

斉昭自身は、慶喜が将軍となる前に亡くなっており、晩年は安政の大獄で幕政から遠ざけられた寂しいものだったと伝えられています。
徳川の御三家にして、朝廷を敬う勤皇思想・水戸学の体現者でもあった斉昭の生涯を調べてみました。

水戸学の研鑽

斉昭は、寛政12年(1800年)に水戸藩第7代藩主を務めた徳川治紀の三男として生まれました。本来三男につき水戸藩主となる可能性は低かったものの、第八代藩主に就いた長兄の斉脩が早世し、その遺書にて斉昭を推すことが記されていたため藩主となったと伝えられています。

斉昭は幼少の頃より水戸学に親しみ、後の政治に色濃くその影響を発揮しました。元々水戸学は第2代藩主を務めた徳川光圀が「大日本史」の編纂を目的に集めた朱子学者らから生まれた政治学の思想であり、それまでの国学や歴史学と神道を糾合した性格を持つものでした。

その内容から維新の志士、吉田松陰西郷隆盛にも大きな影響を与え、尊王攘夷思想の核ともなったことで、徳川御三家としての水戸藩の政治的な立場を複雑にしたものでもありました。

弘道館の設置

※弘道館の正庁

斉昭は藩校となる弘道館を創設すると、それまで下級とされていた武士層からの人材の発掘・育成に努め、有為な人材の登用を行いました。そうした中に藤田東湖などの他藩からも慕われる人材を見出しました。

また弘道館は、従来からの朱子学だけに留まらず広く天文学や医学などの分野の教育も担うなど総合的な学問の場として、近代の大学の先駆けともいうべき藩校でした。

また斉昭は水戸学の尊王攘夷思想を体現しつつも、西洋の工業力に着目し、反射炉などを設けて大砲の新式の武器の生産も進めました。
このため水戸藩の部隊は強力な火器を装備したものとなったとされています。

海防参与に就任

斉昭は、弘化元年(1844年)に仏教を弾圧した事などを理由に、幕府から家督を嫡男・慶篤に禅譲させられ、隠居と謹慎を命じられました。

その後一時水戸藩では結城寅寿が権勢を振るいましたが、斉昭の復帰を望む層からの後押しもあり、弘化3年(1846年)に謹慎を解かれ、嘉永2年(1849年)には藩政への復帰を果たしました。

斉昭は、嘉永6年(1853年)にアメリカのペリーが浦賀に来航したことで、時の老中・阿部正弘の依頼によって幕府の海防参与に就任しました。

斉昭は持論の攘夷を強固に主張すると、江戸の防衛用に大砲74門を造らせ、江戸の石川島において西洋式の軍艦「旭日丸」を建造すると幕府へと献上しました。

徳川斉昭

※旭日丸を描いた絵(1856)

安政の大獄

斉昭は、続く安政2年(1855年)には幕府の軍制改革参与に就任しました。幕府では阿部正弘が急死したことで堀田正睦が老中首座になりましたが、斉昭は以前開国を反対する立場を貫き、開国派の井伊直弼らとの対立を深めました。

この斉昭と井伊との争いは、第13代将軍・徳川家定の継嗣を巡る政争へと発展しました。徳川慶福を推す南紀派の井伊らに対し、斉昭は実子の一橋慶喜を推しての争いとなりましたが、ここで斉昭は敗れて安政5年(1858年)に井伊が大老職に就任、日米修好通商条約を結び、将軍へも慶福(家茂)が第14代の座に就くことになりました。

この井伊らの行いに江戸城へ断りなく登城し井伊へ意見をしたことで、斉昭は江戸の水戸屋敷での謹慎処分とされ、幕府の政治から遠ざけられました。

更に斉昭は、安政6年(1859年)に水戸での永蟄居とされ、これら一連の井伊側の弾圧・安政の大獄によって政治的な動きを封じられ、翌万延元年(1860年)8月にそのまま水戸で急逝しました。享年61でした。

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