中国地方を代表する戦国大名の一人・毛利元就(もうり もとなり)のエピソードと言えば、「三矢(さんし)の教え」を挙げる方も少なくないのではないでしょうか。
一本の矢は簡単に折れても、三本まとめるとなかなか折れない……元就があまり仲のよくなかった三人の息子たち(毛利隆元、吉川元春、小早川隆景)に、力を合わせて戦国乱世を生き抜くよう説いた教訓ですが、これに似たエピソードは古代モンゴルにもあったようで、今回はモンゴル帝国の歴史書『元朝秘史(げんちょうひし)』の一幕を紹介したいと思います。
鹿の肉と交換した子供
今は昔、モンゴルに蒼き狼(ボルテ・チノ)の末裔ドブン・メルゲンという男がおりました。
ある日、ドブン・メルゲンが狩りに出た折、林の中では既に獲物の肉を焼いていた者たちがいたので、その焼き肉を分けてくれるよう頼んだところ、彼らは快く鹿の肉をどっさりと分けてくれます。
現代日本人の感覚では「何と図々しい」あるいは「何とお人好しな」と思うかも知れませんが、モンゴルの狩猟民には、求める人に水や食料を分け与えるのは当然の義務であると共に、自分たちもそのように要求する権利を持つギブ&テイクの習慣がありました。
いつ自分が困窮するとも分からない厳しい自然に生きる者ならではの知恵とも言えますが、ともあれドブン・メルゲンが分けてもらった鹿の肉を自分の馬に積んでいると、貧しい親子がやって来ます。
「私はアマリグ・バヤウダイと申します。とても腹を空かせているので、その肉を分けて頂けましたら、お礼に私の息子を差し上げますので、召使いにでもしてやって下さい」
やはり現代日本人の感覚からすると「いっとき腹を満たす肉と引き換えに、息子を売り飛ばすとはとんでもない父親だ」と思うかも知れませんが、せめて息子だけでも肉(を手に入れる能力)を持っている者に預ければ、最低限の生活は保障してもらえる可能性があります。
『元朝秘史』に言及はないものの、きっとアマリグ・バヤウダイは身体が悪いのか、もう息子のために獲物を手に入れ、与えるだけの力を残してはいなかったのでしょう。
そんな親心を察したのか、ドブン・メルゲンは申し出を快諾し、アマリグ・バヤウダイに鹿の後ろ足を一本与え、その息子は連れ帰って召使いとしました。
ちなみに、その息子の名前は伝わっていないため、ここでは「アマリグの息子」と仮称します。
女手一つで5人の子供を育てたアラン・ゴア
さて、ドブン・メルゲンにはアラン・ゴアという美しい妻と、彼女との間に生まれたブグヌテイ、ベルグヌテイという2人の息子がおりました。
そこへ召使いとしてアマリグの息子が加わり、しばらく一家5人で暮らしていたものの、やがてドブン・メルゲンが亡くなってしばらくすると、アラン・ゴアが身ごもって三つ子を出産。
それぞれ三男ブク・カタギ、四男ブカトゥ・サルヂ、そして五男ボドンチャル・ムンカクと名づけられ、家族は7人に増えましたが、先に生まれた兄2人(ブグヌテイ、ベルグヌテイ)は弟たちの誕生を快く思いませんでした。
それどころか「寡婦(やもめ)の寂しさを紛らわそうと、召使い(アマリグの息子)と交わってできた卑しい子に違いない」と陰口を叩くようになります。
当然、そんな思いを抱きながら新しい弟たちを可愛がるはずもなく、事あるごとにいじめたり、辛く当たったりしたのでしょう。
ただでさえ女手一つで5人の子供を育てるのは大変なのに、兄弟同士で仲違いしているようでは、先が思いやられます。
考えたアラン・ゴアは、ある春の夜、大きくなった子供たち5人みんなに、改めて話をすることにしました。
五本の矢を束ねれば……協力することの大切さを説く
「話って何?母さん」
長男ブグヌテイ
次男ベルグヌテイ
三男ブク・カタギ
四男ブカトゥ・サルヂ
五男ボドンチャル・ムンカク
5人の子供たちは、アラン・ゴアからそれぞれ手渡された一本の矢をいじくりながら、グツグツ煮えている羊肉の鍋に生唾を呑みます。
塩漬けにしておいた羊の干し肉は、草原の遊牧生活において又とない御馳走の一つ。それが客人のもてなしではなく、自分たちの食卓に出て来たということは、これから母が真剣な話をすることを予感させます。
「お前たち、その手に持っている矢を折ってみなさい」
何だ、そんな事か……すっかり大きく逞しく育った子供たちは、みんな簡単に矢をへし折って見せました。
「折ったけど、これがどうしたの?」
子供たちが訊くと、アラン・ゴアはもう一度、5人の息子に一本ずつ矢を配りました。
「また折ればいいの?」
「次は、みんなの持っている矢をすべて集めて、折ってみなさい」
子供たちは矢を集めて、長男のブグヌテイから末っ子のボドンチャル・ムンカクまで、順番に挑戦してみましたが、五本まとめた矢は多少たわみこそすれ、折れることはありませんでした。
「母さん、流石にこれは折れないよ」
ギブアップした子供たちに、アラン・ゴアは言いました。
「ブグヌテイとベルグヌテイは、下の子3人が『母と召使いとの間に生まれた卑しい子』だと思っているのでしょうが、それは違います。ある夜、ゲルの天窓から月の光と共に舞い降りた白黄色(ツェゲン・シラ)に輝く方が、私の腹を撫でてその光を染み込ませた結果、私は身ごもったのです。これはきっと、天(テングリ)が私に神の子を授け賜(たも)うたのであって、黒い頭の人々(冠を被らない黒髪=庶民の意)と同じく下世話なものとして語るべきではありません。その子孫は普(あまね)き徳を備えた帝王として、世に君臨することとなるでしょう」
人が変わったように熱く語る母の姿は、何だかこの世の者とは思えないほど神がかって見えたことでしょう。
「母さん、その話とこの矢と、何の関係があるの?」
「あなたがた5人は、父親こそ違っても、みんな私がこのお腹を痛めて産んだ大切な子供たちです。先ほど折らせた矢のように、一人ひとりは弱くても、みんなで力を合わせて助け合えば、たやすくは折られぬ強さを得られるのです」
「……解ったよ、母さん。僕たち、何があっても助け合って生きるよ」
「弟たちよ、今までごめん。兄さんたちは心を入れ替えるから、仲良くしような」
「ありがとう。兄さんたち、嬉しいよ」
とまぁ、そんな具合に兄弟5人は仲良く暮らすようになったのでした。
終わりに
ここで話が終われば「めでたしめでたし」なのですが、残念ながらアラン・ゴアが亡くなった後、その遺産相続で兄弟4人は末っ子のボドンチャル・ムンカクをハブにします。
「お前は愚鈍だから、きっと父さん母さんの遺産を食い潰してしまうだろう」
そう言って家畜も食糧も分けて貰えず、家から追い出されてしまったボドンチャル・ムンカクですが、自分の才覚で逞しく生き抜き、その後4人の兄たちと和解して一族に繁栄をもたらします。
このボドンチャル・ムンカクの名前がボルジギン氏の由来となり、その子孫からユーラシア大陸の覇者チンギス・ハーン(テムヂン)を輩出するのですが、それはもう少し先の話となります。
一本では簡単に折れる矢も、束ねれば折れにくい。毛利元就が『元朝秘史』のエピソードを知っていたかはともかく、協力することの大切さは古今東西変わりません。
※参考文献:
小澤重男 訳『元朝秘史(上)』岩波文庫、2014年10月24日 第4刷
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