かつてイタリア半島を中心に、地中海の覇者となったローマ帝国(BC27年~AD395年)。その繁栄を支えていたのは、帝国との戦いに敗れ、屈従の境遇に身を落とされた奴隷やその子孫たちでした。
彼らは往々にして搾取・虐待され、あまりの仕打ちに耐えかねて、大規模な叛乱を起こすことも一度や二度ではありません。
歴史の授業では「スパルタクスの叛乱(BC73年~BC71年)」についてごく軽くふれた記憶がありますが、他にも数々の叛乱によって多くの命が失われました。
そこで今回は、奴隷叛乱の首謀者としてローマ帝国を震撼せしめた大盗賊ブッラ・フェリクスのエピソードを紹介したいと思います。
義憤に決起した大盗賊ブッラ・フェリクスの叫び
ブッラ・フェリクスの出自についてはほとんど判っていませんが、セプティミウス・セウェルス帝の在位(AD193年~AD211年)中、2年間にわたってローマ各地を荒らし回ったことで知られています。
彼の率いていた600人もの手下はその大半が奴隷かその出身者で、ブッラ自身の階級については不明であるものの、奴隷たちの置かれていた境遇に義憤をもってローマ帝国に叛乱を起こしたことは間違いなさそうです。
さて、ブッラ一味は富める者から奪って貧しい者に分け与える義賊として、奴隷からはもちろんローマ市民からも支持を得ており、また捕り手がやって来ても気前よく賄賂を使って買収したため、なかなか捕まえることが出来なかったと言います。
また、略奪に際しても全財産を奪うようなことはせず、むしろ役人たちの徴税よりもよほど紳士的な金額・態度であり、また必要があって職人を捕らえ、使役した場合であっても、用事がすめば必ず解放した上、相場よりも報酬を弾んでやったそうです。
「こりゃいいや。役人たちよりもブッラ一味に協力した方が儲かるぞ!」
そんなブッラは仲間思いなことでも知られ、ある時手下の二人が逮捕され、猛獣刑(※丸腰で猛獣と闘わせる見世物。実質的に死刑)を宣告された時、帝国の高官に変装して当局を訪問。
「とある工事のために人手が必要なんだが、大変な重労働のため、死んでも構わない奴隷か囚人を回して欲しい」
と、言葉巧みに手下を買い戻し、無事救出に成功しました。巧みな変装テクニックと、高官を演じるだけの貫禄や素養を備えていたことが察せられます。
更には、討伐にやって来た百人隊長に対して「ブッラ一味のアジトに教えてやるから、あんた一人で来てくれ」と誘い込み、いざアジトまでやって来ると「俺がそのブッラ様だ!」と正体を明かし、百人隊長を丸刈りにしてしまいました。
自分を探している人間の前に堂々と現れたばかりか、まんまと術中に嵌めてしまう辺り、何か神がかったものを感じます。
「くっ……殺せ!」
敵のアジトでただ一人捕らわれの身、すっかり丸坊主にされた百人隊長は死を覚悟したものの、そんな事をするブッラではありません。
「……皇帝陛下に伝えてくれ。『奴隷にちゃんと飯を食わせるなら、俺たちはいつだってカタギに戻ってやる』ってな」
そう。ブッラは別に食うのに困っている訳でもなければ、身に余る財宝が欲しい訳でもなく、市井にあふれ返る奴隷たちの惨状を見かねて、驕り高ぶるローマ人たちに一矢報いる、ただそのためだけに決起したのでした。
武運つたなく敗れ去り、屈従の境遇にあろうと、同じ人間には変わりないのだから……果たして解放された百人隊長は、ブッラの言葉をセプティミウス・セウェルス帝に伝えましたが、彼の胸には響かなかったようです。
「おのれ……遠くブリタンニア(現:ブリテン島)で赫々たる武勲を立て、輝かしい勝利を収めている精強のローマ軍が、地元の盗賊ごときに手を焼くとは!」
激怒したセプティミウス・セウェルス帝は長官パピアヌスに何としてでもブッラを捕らえるよう厳命、果たしてパピアヌスは任務を達成することが出来ました。
奴隷はもちろん、ローマ市民からも人気があったため、みんなに匿われたブッラですが、彼がとある人妻と密通していることを知ったパピアヌスは、彼女に「逮捕に協力すれば不倫の罪は問わない」と取引。かくして安心しきっていたブッラを逮捕できたのです。
「さぁ、この悪党め。いよいよ年貢の納め時だが……ひとつ訊きたい事がある。そなたはなぜ、畏れ多くも盗賊に身を落とし、ローマ帝国に仇なす真似をしたのか?」
パピアヌスの尋問に、ブッラは笑って答えました。
「……あんたが長官になったのと、同じ理由さ」
この言葉が意味するところは何か……理解されぬままブッラは猛獣刑に処せられ、一味は雲散霧消してしまったのでした。
かくして刑場の露と消えた大盗賊ブッラ・フェリクスですが、その志は伝説となり、やがてローマ人の間で奴隷の権利・待遇について見直されるキッカケとなったと言うことです。
※参考文献:
マルクス・シドニウス・ファルクス『奴隷のしつけ方』ちくま文庫、2020年4月
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