送った品物が確実に届く。現代日本に生きる私たちにしてみれば当たり前すぎる話ですが、昔は必ずしもそうではなかったようです。
品物が届かなかったり数が減っていたり、壊れていたり……現代ならクレーム不可避の案件ですね。
もちろん昔の人たちもこうした事態を認めていた訳ではなく、トラブルのたび抗議したり実力行使に及んだりと対処していました。
そこで今回は平安時代、とある配送トラブルのエピソードを紹介したいと思います。
職務放棄する右近衛府の人夫たち
時は長元4年(1031年)7月14日、藤原実資(ふじわらの さねすけ)が東北院(現:京都市左京区)へ盂蘭盆会(うらぼんえ。お盆法要)の供え物(盆供-ぼんく)を届けさせました。
「この荷物を、確かに届けるのじゃぞ」
「ははあ」
長櫃4つ分の荷物を届けるよう命じられた家司(けいし。執事のようなもの)は、さっそく人員を手配します。
実資の家には仕丁(しちょう。任期制の人夫)が4名おりましたが、長櫃は重いので2人で1つを運ぶためにもう4人欲しいところです。
そこで家司は各所へ連絡をとって余剰人員の調達に当たり、右近衛府(うこのゑふ)と右馬寮(うめりょう)から2名ずつの人夫を都合して貰いました。
「然らば、参ろうか」
「「「ははあ……」」」
さっそく出発した一行でしたが、長櫃はとても重くて担ぐのも大変です。ちょっと行っては休み、ようやく立ち上がったかと思えばまた休み……。
「こら。こんなペースではお盆が終わってしまうぞ!早よう立たんかい!」
家司はせっつきますが、疲れているものは疲れているんだ。アンタは鞭を振り回して威張り散らしてりゃいいんだろうが……人夫たちは、なかなか動いてくれません。
「だいたい、このバカ重たい荷物が悪いんだよ。少し減らせねぇか?」
「いい事を思いついた。この中の米を食っちまおうぜ。そうすりゃあ俺たちは力がつくし、荷物も軽くなって一石二鳥じゃないか」
そうだそうだ……人夫たちは盛り上がりますが、家司が許すはずもありません。
「お前たちは何を言っているんだ。畏れ多くも仏様に進上するお供物を食ってしまおうなどと……この、人でなしの犬畜生め!」
ごくもっともな言い分ではありますが、言い方ってモンがあるだろうに……右近衛府の人夫2名は、怒って帰ってしまいました。
乱闘騒ぎを起こす右馬寮の人夫たち
「おいこら、職務を放棄するんじゃない!この長櫃をどうするんだ!」
「知ったことか!俺たちが人でなしの犬畜生だと吐(ぬ)かすなら、人間様が運びゃあいいさ!」
「そうだそうだ、仏様の御前にケガレは禁物だからな!」
右近衛府の2名は去ってしまい、どうしたものかと家司が頭を抱えていると、今度は右馬寮の人夫2名が近くの民家へ入っていきます。
「お前ら、どこへ行く気だ!」
「知れたこと。長櫃の米が喰えねぇなら、ある所からいただくまでよ!」
「そうだよ、俺たち腹が減ってンだからな!」
言うなり2名は民家に上がり込んで、我が物顔で占領しました。当然そんな無法行為が認められるはずもなく、家にいた女と口論になります。
「アンタたち、他人の家で何やってンだい!出ておいき!」
「やだね。俺たちは疲れてンだから、休ませてもらうぜ!」
「そうだよ、ついでに腹も減ってンだ。何か食い物も出してくれ!」
まさに傍若無人の振る舞い。何事かと戻って来た女の夫とつかみ合いの喧嘩になってしまいました。
「てめぇこの野郎、他人の家でふざけンな!」
「何だとこのケチめ、飯と酒くらい出しやがれ!」
やがて騒ぎを聞きつけたのか、法性寺から僧侶たちが刀や杖で武装して駆けつけてきます。多勢に無勢と見た人夫たちは、長櫃を捨てて逃げ出しました。
「こら、せめて荷物を持って行け!」
家司は逃げる人夫たちを咎めますが、僧兵たちに捕まったら自分もただではすまないでしょう。
「三十六計、逃げるに如かず!」
「「「待てコラ、逃がさぬぞ!」」」
必死に逃げた家司ですが、先に逃げた人夫や仕丁らともども僧兵たちに捕まってしまいます。春光丸(はるみつまる)という仕丁のみが這々(ほうほう)の体で実資の元へ帰り着いたのでした。
乱闘騒ぎの後始末
「バカモン、何ということを!」
お盆のお供え物を届けさせたら、トラブルを起こして荷物を放棄する始末……実資の激怒は当然です。
「……して、事の次第は」
春光丸の報告によれば、仕丁の一人が先に手を出したため、僧兵たちに反撃されたとのこと。完全にコッチが悪い上に、その仕丁は鎌を振り回して女の夫に怪我をさせてしまいます。
捕まった人夫らはボコボコにされ、今は監禁されているとのことです。
「まったく……この盂蘭盆会に、何という不始末か!」
実資は賠償金や身代金を兼ねてか、7月18日付で前の量に1~2倍する盆供を届けさせました。
この「1倍」と言う表現は「元の量に1倍増し」を意味するため、現代の感覚に直すと「2~3倍」となります。
元の盆供(奪われてしまったであろう)に加え、長櫃8~12個分の大出pp……もとい誠意が通じたのか、果たして7月30日に仕丁や人夫たちは釈放されたのでした。
終わりに
以上、実資の災難を紹介しました。それにしても、現代の感覚では考えられないワイルド?さですね。
運ぶ米が重いし腹も減ったから、お客さんの荷物だけど食ってしまおう……彼らにしてみれば平素ロクな俸給も出ないことだし、重労働の役得(手数料)感覚だったのかも知れません。
きちんとした結果を求めるならば、きちんとした待遇で仕事をさせる。その前提で、待遇にふさわしい(きちんと仕事をしてくれる)人材を雇うべき教訓を、実資は痛感したことでしょう。
古来「衣食足りて礼節を知る」とはよく言ったものですね。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人 (講談社現代新書)』講談社現代新書、2022年1月
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