誰もが知る恐竜の王者
最も有名な恐竜は何かと議論する際、真っ先に挙がり、そして外せないのがティラノサウルス・レックス(T-REX)だ。
ラテン語で「王」を意味するrexの名の通り、T-REXの人気と知名度はトップクラスであり、白亜期後期を支配した獰猛さと映画で見せる存在感は恐竜の王者と呼ぶに相応しい。
恐竜に興味がない人でも名前と姿が浮かぶT-REXだが、そのティラノサウルスという名前が消える可能性があった事はご存知だろうか。
今回は、T-REXの迎えた名前消滅の危機を紹介する。
ティラノサウルスの本当の発見者
ティラノサウルスという名前は1905年に古生物学者・ヘンリー・オズボーンによって命名されたが、発見の歴史は19世紀の化石戦争まで遡る。※化石戦争については「マーシュとコープの化石戦争」参照
1892年、化石戦争の主役の一人であり、オズボーンの師匠でもあるエドワード・ドリンカー・コープは、発掘された脊椎の一部の化石をマノスポンディルス・ギガス(穴だらけの脊椎)と命名する。
化石戦争で発見された恐竜の大半が後の研究で否定される事になり、2000年にマノスポンディルスもその否定された恐竜の一つとして名前が消える事になるが、マノスポンディルスと同一種と認定された恐竜がティラノサウルス・レックスだった。
ここで思い出して欲しいのは、国際動物命名規約に明記されている、後に同一種と判明した時は先に名付けられた方が優先されるというルールだ。(ウルトラサウロス回参照)
1892年に命名されたマノスポンディルスと1905年に命名されたティラノサウルスでは、マノスポンディルスが優先されるはずである。
ティラノサウルスの名前消失の危機がつい最近あったと知る者は少ないが、何故マノスポンディルスの名前が消える事になったのか。
答えから言うと、あまりに「ティラノサウルス」という名前が有名になりすぎたからである。
タイミングの良い事に、1999年に改訂(2000年から発効)された第4版では「有効な学名で様々な文献に使用されている学名を、昔に使われていたシノニム(別名)にしてはいけない」というルールが追加された事もT-REXには追い風になった。
要するに、ルール改訂によって同一種と判明した場合は有名な名前が優先される事になり、ごく一部の化石しか発見されておらず、認知度がゼロに等しいマノスポンディルスに勝ち目はなかったのである。
死語100年以上経っていたコープに知る由はないが、自身の発見した化石が世界で一番有名な恐竜になるとは夢にも思わなかっただろう。
ティラノサウルス? or ディナモサウルス?
動物命名法国際審議会の強権発動によって名前消失の危機を免れたT-REXだが、発見当初にも名前が消える可能性があった。
1900年、古生物学者・バーナム・ブラウンが発見した化石はオズボーンに送られ、1905年にディナモサウルス・インペリオスス(強大な力を持つトカゲ)と命名された。(このディナモサウルスがティラノサウルスの2体目の個体である)
1902年にもブラウンはティラノサウルスの化石を発見しており、ディナモサウルスと同じ1905年に命名されているが、3体目の個体に付けられた名前がT-REXことティラノサウルス・レックスだった。
手掛かりが少なかったため当初は別の恐竜とされていたが、ディナモサウルスとT-REXが同一種である事は1906年にオズボーン自身が認めており、後述の理由から名前をティラノサウルスに統一したためディナモサウルスの名前は僅か1年で消滅している。
先に発見されたのはディナモサウルスなのに何故T-REXの名前が残ったのかという疑問に答えると、オズボーンがディナモサウルスとT-REXを発表した論文に於いて先に名前が書かれていたのがT-REXだからである。
「それがルール」だからと言ってしまうのは簡単だが、最後に発見された個体の名前が残った事をマノスポンディルスとディナモサウルスはどう思っているのだろうか。
紙一重で免れたもう一つの危機
オズボーンがたまたま先に名前を書いたお陰で名前消失の危機を乗り越えたT-REXだが、マノスポンディルスとティラノサウルスを同一種とする声は早い段階からあった。
ディナモサウルスの名前を消滅させた張本人であるオズボーンも、1917年にマノスポンディルスとティラノサウルスが同一種である可能性を指摘しているが、当時はマノスポンディルスの化石が一部しか発見されておらず、T-REXやディナモサウルスと同一種と断定するだけの証拠がなかった。
最初に書いた通り研究と発掘が進んでマノスポンディルスとT-REXが同一種と判明するのだが、それによってマノスポンディルスの名前が公式に消滅したのはオズボーンが仮説を提唱してから実に83年も後の事だった。
当時の研究環境や化石の発掘状況といったエクスキューズは多々あるが、1917年当時はまだT-REXの知名度も高くなかった事もあり、仮にこの段階で同一種と認定されていれば名前が消えるのはT-REXの方だった。
運と偶然で守られた恐竜の王の名前
今回はT-REXの名前に関する歴史を辿ったが、今回挙げたエピソードの何か一つでも結果が変わっていれば、世界で一番有名なティラノサウルスという恐竜の名前は存在しなかった。
2000年のルール改訂はT-REXのために変えられた訳ではないが「特別扱いするな」という不満の声もなく、誰も気にしていない事も恐竜の王たる所以である。(むしろ、この一件があったからこそマノスポンディルスの名前が知れ渡った事もあり、マノスポンディルスにとっては名前を売る最大のチャンスだった)
歴史とは紙一重の運と偶然の積み重ねであり、もしもマノスポンディルスになっていたら、もしもディナモサウルスになっているばという「たられば」はタブーだが、歯車が少しだけ動いて歴史が変わっていたら、世界で一番有名な恐竜の名前を「マノスポンディルス」や「ディナモサウルス」と当たり前のように呼んでいたのだろうか。
T-REXの名前が馴染みすぎて正直想像出来ないが、フィラデルフィア・イーグルスがニューイングランド・ペイトリオッツに勝った日に生まれたから自分はイーグルスファンになり、スーパーボウルでペイトリオッツを倒す瞬間を見るために生まれて来たという「運命」を信じる者としては、ティラノサウルスという名前は世界で一番有名な恐竜になる運命だったのだと思う。
正式名称とは違う話だけど、博物館や展示会によっては「ティラノサウルス」ではなく「ティランノサウルス」と表記するところもある。
これは多分英語の読み方に近づけたようとしただけ。
もっと頑張って英語の発音をカタカナ表記で近づけると「タランノソウラス」みたいな感じになるので、あまり大きな意味はない。