皆さんはねずみ講という言葉を聞いたことはあるのだろうか?
ねずみ講というのは簡単に言えば儲けをちらつかせて人々を勧誘し、高額な入会金を稼いで半分を創始者の儲けに、半分を紹介者にあげ、また人々を勧誘するというもので法律で禁止されている行為です。
しかし、そのねずみ講をしまくったせいで国が傾いた、とんでもない国が存在しているのです。
今回はそんなねずみ講をして潰れかけた国であるアルバニアについて紹介していきます。
アルバニア 基礎データ
アルバニアはバルカン半島の南西部に位置している国で、周りにはギリシャやマケドニアなどに囲まれています。
ちなみにこの国はヨーロッパの国では珍しくイスラム教徒が国民の大半を占めており、キリスト教があまりいません。
さらに元々社会主義国だったことや、後で紹介する通りねずみ講などのせいでヨーロッパでは一二を争うほど貧乏な国と言われています。
アルバニアのねずみ講が起こるまでの簡単な歴史
アルバニアは元々オスマン帝国に支配されていた地域でした。
しかし、1912年にオスマン帝国が第一次バルカン戦争に負けたことによってその2年後にアルバニア公国として誕生しました。
しかしこの国の政治基盤はとんでもなくゆるゆるであり、各地の有力者が内紛を起こすという無政府状態に突入。
この状態が10年ほど続いてしまいます。
画像 : ゾグー1世1928年にゾグー1世がなんとか内紛を抑えると近代化を促進しますが、1939年にムッソリーニ率いるイタリアによってわずか4日で占領され、アルバニアはイタリアの傀儡となります。
しかし、1943年にイタリアが連合国に降伏すると1944年にソ連の援助を受けて、ホッジャをリーダーとするアルバニア社会主義人民共和国を成立させます。
しかし、このホッジャという男。
元々スターリン主義を熱狂的に支持していたので、1956年にソ連がスターリン主義を辞めるとホッジャはソ連と国交を断交。
さらに当時大躍進政策で大混乱に陥っていた中国に擦り寄っていくという、危険なルートを突っ走っていきます。
さらに1960年後半から中国が文化大革命を始めると、アルバニアはイスラム教徒が多くいるにもかかわらず、なんと無神国家を宣言しました。
こうしてイスラム教・キリスト教などの宗教が廃止されてしまいます。
これによって国内は大混乱に陥りました。
社会主義国における経済の停滞、さらには頼みの綱である中国の援助も打ち切られ鎖国状態に突入し、経済はめちゃくちゃとなりアルバニアはヨーロッパの最貧国となりました。
アルバニアのねずみ講
社会主義国になって経済がめちゃくちゃとなったアルバニア。
しかし1989年に転機が訪れます。
この年、なんとルーマニアやポーランドで共産党政権が倒され、東欧革命という大きなビッグウェーブがやってきます。
これを見た国民たちはアルバニアの共産党政権を打倒したのです。ホッジャは退陣し1992年に非共産主義政権が誕生しました。
これによってアルバニアは共産主義国から脱却することに成功しますが、これがとんでもない自体を招きます。
共産主義制から抜け出し資本主義制度を取り入れることになったのですが、その資本主義制度の導入があまりにも急激すぎたため、国内は再び大混乱となりました。
さらに国民たちは共産主義の生活にどっぷり浸かっているため、資本主義のシステムや金融に関する知識が無いに等しかったのです。
ここにねずみ講の集団が目をつけました。
当時お隣ではユーゴスラビア内戦が勃発しており、武器弾薬が不足していました。そこにねずみ講の人たちがこの武器の密輸のビジネスを始め、その資金をアルバニアの国民からねずみ講でむしり取ろうとしたのです。
その結果、「国民の半分がねずみ講に加入している」という異常事態が発生。しかし肝心の政府は外貨が獲得できるため黙認するという体たらくでありました。
そして1997年に内戦が終結に向かい始めるとビジネスは破綻。ねずみ講に加入した人たちの資金も全てパーになりました。
資金を失い怒り狂った国民たちは政府に対して暴動を起こし、ついには大統領を退陣にまで追い込みました。
結局NATO軍の力を借りてなんとか暴動を鎮圧しますが、これによってアルバニアの経済は今現在でもどん底をさまようようになってしまいました。
このアルバニアの暴動は、知識を持たずに行動するととんでもない末路が待っていることを、身をもって示してくれたといってもいいのではないでしょうか。
参考文献 : アルバニアインターナショナル―鎖国・無神論・ネズミ講だけじゃなかった国を知るための45カ国
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