在原業平とは
日本史で最も知られたイケメンと言えば「源氏物語」の主人公・光源氏(ひかるげんじ)だろうか?
しかし光源氏は架空の人物であり、そのモデルとなった実在の超絶美男子が存在するのである。
それは「伊勢物語」の主人公と言われている平安貴族・在原業平(ありわらのなりひら)である。
今回は、平安貴族一のモテ男・在原業平のイケメンエピソードと、藤原高子(ふじわらのこうし)との恋について解説する。
在原業平の出自
在原業平の父は平城天皇の第一皇子・阿保親王で、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王である。
在原業平は天長2年(825年)に5男として生まれた。
つまり、在原業平は父方をたどれば平城天皇の孫で桓武天皇のひ孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。
血筋からすれば非常に高貴な身分であるが、「薬子の変」により皇統が嵯峨天皇の子孫に移っていたこともあり、天長3年(826年)に父・阿保親王の上表によって臣籍降下し、兄・行平と共に在原朝臣姓を名乗ることになった。
在原業平らは皇位継承からはずれ、あまり昇進することはできなくなってしまった。
六歌仙の1人
在原業平は和歌(短歌などの詩歌)に秀でており、平安時代を代表する6人の歌人「六歌仙」に名を連ねている。
六歌仙は、在原業平の他に、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、文屋康秀(ぶんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、大伴黒主(おおとものくろぬし)、小野小町(おののこまち)である。
在原業平の作風は情熱的なのが特徴である。
「われならで 下紐解くな あさがほの 夕影待たぬ 花にはありとも」
訳 : 私以外の男の前で下紐をほどかないでくださいね。幾らあなたが夕日を待たずにしおれる朝顔のように、心代わりしやすい女性だとしても
このように在原業平は、とても色気のある和歌を多数残している。
容姿端麗なイケメン
和歌だけでなく、在原業平はかなりの美男子であったようで、平安貴族の歴史書「三代実録」には「業平は体貌閑麗(業平はイケメン)」と記されている。
また、平安時代に成立した歌物語「伊勢物語」の主人公とされ、作中では数えきれない位の女性と関係し、エロティックな和歌を詠んでいる。
伊勢物語は「いろごのみ」の理想形を書いたものとして、「源氏物語」など後代の物語文学や、和歌に大きな影響を与えている。
だが源氏物語の主人公「光源氏」は架空の人物であり、実在した最強のモテ男は在原業平をおいて他にいないのである。
町で在原業平を一目見た女性が一瞬で恋に落ち、恋焦がれるあまり亡くなってしまったという逸話まである。
女性遍歴
「伊勢物語」では、在原業平が関係を持った女性の数はなんと3,733人となっている。
在原業平が実際にどれほどの女性と関係を持ったのかは不明だが、「伊勢物語」のモデルとなったことを考えると女性関係が派手だったことは事実であろう。
在原業平には10歳年上の親友・紀有常(きのありつね)がいたが、2人は年の差を感じさせないほど仲が良かったという。
だが在原業平は親友の娘に手を出し、何と自分の妻にしてしまった。
しかも、この娘は在原業平が仕えていた主の従姉だったのだが、そんなこともお構いなしだった。
在原業平は、その妻の従姉妹であった伊勢斎宮にも手を出している。
伊勢斎宮とは伊勢神宮に仕える女性のことである。
つまり、神様の奥さんにも手を出したのだから、もはや凄いとしか言いようがない。
同じ六歌仙の一人である小野小町も、絶世の美女だったという。
そんな美女を在原業平が放っておくわけがなかった。
小野小町は大胆かつ積極的で、しかも「熱しやすく冷めやすい」タイプの恋多き女性であったという。
2人は一時期付き合ったようだが、ノリノリの恋人気分で文を送った在原業平に対し、小野小町は唐突に「その気はありません」という文を返したという。
小野小町の方が1枚上手だったようである。
藤原高子との恋
平安時代、藤原氏は娘や姪を天皇と結婚させて政治の実権を握る「摂関政治」を行なっていた。
摂政の藤原良房は、17歳の姪の藤原高子をわずか9歳の清和天皇と結婚させようとしていた。
そんな頃、高子は35歳の在原業平と出会い、2人は恋に落ちてしまったのである。
高子は藤原順子の屋敷・東五条院で暮らしていたのだが、その屋敷に在原業平は忍び込み、高子のもとに足しげく通っていたという。
しばらく2人の恋愛関係は続いたが、もちろん許されるはずもなく、2人の関係を知った藤原一門はたいそう怒り、2人を引き裂いてしまった。
その後、高子は清和天皇と結婚したのだが、在原業平はこんな歌を詠んでいる。
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれるなゐに 水くくるとは」
訳 : 様々な不思議なことが起こる神代にも聞いたことがありません。竜田川がこんなに色鮮やかに紅く染められるのは
これは紅葉の名所の奈良の竜田川の情景を詠んだ有名な歌であり、百人一首にも載っている。
この歌は一見美しい秋の紅葉の情景を詠んだ歌のようだが、実はかつての恋人・高子との真っ赤に燃え上がるような恋の日々を詠んだのではないか、と解釈する説もある。
引き裂かれた高子は別邸に移され、貞観8年(866年)25歳で入内し女御となった。
おわりに
平安貴族一のプレイボーイ「在原業平」だが、その生涯は実は不遇の人生だったとも言える。
「薬子の変」がなければ、皇族として何不自由ない華やかな生活を送ることができたのかもしれないからだ。
しかし、天皇の后になる女性に手を出した勇気には脱帽である。
ちはやぶる
神代もきかず
たつたがわ
からくれなゐ(韓紅)に
水くくるとは
ですよ。
こんな有名な句を間違えるなんて。
ご指摘ありがとうございます。
修正させていただきました。