足利尊氏
2度の謀反を起こし天下を取ったことから「史上最大の逆賊」とも呼ばれたのが、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)である。
河内源氏の足利家の8代目棟梁・足利貞氏の次男として生まれた尊氏は、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒に挙兵した際にその鎮圧軍として幕府軍を率いて上洛したが、幕府への反乱を宣言して六波羅探題を滅ぼした。
鎌倉幕府滅亡の勲功第一とされたが、後醍醐天皇の建武の新政では望んでいた征夷大将軍の地位が得られず、不満がつのり後醍醐天皇との関係が悪化た。
ついには後醍醐天皇を追放して光明天皇を擁立し、念願の征夷大将軍に就任し室町幕府を開いた人物である。
足利尊氏は躁うつ病だった?
2度の謀反の末に天下を手にした尊氏だが、尊氏は精神疾患の双極性障害、いわゆる「躁うつ病」を発症していたとされている。
北条氏を裏切って鎌倉幕府を滅ぼし、さらに後醍醐天皇を追放して室町幕府を開いた尊氏は「心が強く、合戦で命の危険に会うのも度々であったが、その顔には笑みを含み、死を恐れる様子がまったくない」と言われていた。
ここでは「心が強く」と書かれていることから精神疾患を患っていたとは考えにくいが、尊氏は合戦で苦戦した際にはすぐに「切腹する」と言い出して周囲を慌てさせている。
また「後醍醐天皇に叛き、朝敵となったことをひどく悔やみ、弟に一切の政務を任せて寺に籠って、一時は出家を宣言してしまう」という記述もある。
さらに、毎年正月の書初めに尊氏は「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」と書いたという。
つまり一貫して「天下を治めるのは自分ではない、早く死んだ方がいい」という内容である。
とても天下を狙って2度も謀反を起こした者の言葉とは思えないほど、まるで2人の人物がいるような、まさに「躁うつ病」の症状が見られるのである。
尊氏はとても気前が良く親しみやすい性格だったという反面、いざ面倒なことが起きると一転して親族や腹心でも冷たく突き放すという二面性があった。
まさに尊氏は双極性障害(そううつ病)の典型的な症状があり、これは本人にもコントロールが難しく、周りも大変だったと思われる。
また、尊氏の死因からも双極性障害の疑いが見られる。
正平13年(1358年)4月、54歳になった尊氏の背中に化膿性の炎症ができ、これが瞬く間に重症化し、発病からわずか半月で尊氏は亡くなってしまった。
現在の医学では、おそらく糖尿病が背景にあり、全身性の感染症、敗血症になって死に至ったと考えられる。
実は最近の研究では、糖尿病と双極性障害はオーバーラップすることが分かってきている。
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