織田信長がメインキャストとして登場する大河ドラマでは、齋藤道三の娘・濃姫が注目されがちである。
しかし信長の子を複数産んだ生駒吉乃やお鍋の方の方が、大切にされていた可能性もある。
今回は、尾張国地侍・前野家古文書「武功夜話」(ぶこうやわ)から信長のラブロマンスを紐解いていきたい。
信長の愛妾・生駒吉乃とは
いつの時代でも権力者には敵が多い。
信長は比叡山焼き討ちや浄土真宗本願寺派との合戦で、大きな恨みを買った。
そして敵や裏切り者に対する容赦ない処罰は、人々を恐れさせた。
残酷なイメージが目立つ信長だが、人間らしい逸話はないのだろうか?
偽文書も含まれるが「武功夜話」から若き日の信長像を探ると、生駒吉乃(いこまきつの)の存在が際立つ。
吉乃は、信長の母・土田御前の実家と婚姻関係がある生駒氏出身である。
生駒氏は、油と染料に用いる灰を馬で運搬する「馬借 : ばしゃく」で財産を築いた。
後に愛知県江南市にあった小折城(こおりじょう・平城)に居を構え、武器商人となる。
信長との出会いは、吉乃が未亡人となり実家に戻った時期である。
馬借は諸国の情報をいち早く掴む事ができた。信長はその情報を得るために度々出入りしていたのか、そのまま吉乃と結ばれた。
吉乃は、信忠・信雄・徳姫の3人の子どもを産んだが、産後体調が優れなかった。
小牧山城(愛知県小牧市)を築城した信長は、そんな吉乃のために御台屋敷を作った。
吉乃は「弱った身体では」と城への招待を一度は辞退したが、信長は本来吉乃の身分では乗ることはできない輿を用意して城へ迎えたのである。
そして大座敷に家臣を集結させ、彼女をお披露目している。
吉乃が城へ移ると、信長は足しげく見舞ったという。
吉乃の治療は手厚く行われたが、若くして亡くなった。享年39。(※29という説もある)
「武功夜話」から見る恋バナ
馬借を営む生駒家には、物資の運搬を頼む商人や運び人足、馬借の馬が行き交い、市場のような活気と賑わいがあったと考えられる。
生駒家に立ち入った信長は、城中では知り得ない情報を行き交う人々の中から拾い上げた。
後に家来となる木下藤吉郎(秀吉)や、蜂須賀小六に出会った場所でもある。
生駒家には身分の上下問わずに大勢の人が出入りしており、身分差などの影響はあまりない場所だったに違いない。
活気があり自由な空気を青年・信長は気に入り、未亡人だった吉乃に恋をする。
荒っぽい連中を相手にする馬借の娘に、信長はコロッと参ったのであろう。
吉乃の前で、信長は、
「生きとし生ける者は死ぬのが定め。この世は夢であれば、さぁ、ばば様ここへ来て踊りなされ。あね様も一緒に。そして、私に下されよ。夜明けまでの短い間、気まぐれ恋夢枕を」
と、謡いながら踊る。
心を許した相手だからこそ、おどけた振る舞いをして見せた。
そんな信長を見て、吉乃は笑いながら手拍子を打ったかもしれぬ。
吉乃の死後、33歳の信長は、彼女の墓地を見ながら一人涙にくれたと伝えられる。
政略的な意図で始まった信長とお鍋
お鍋は、生駒吉乃の死後に信長の側室になった。
2人の結びつきは、政略的なものだったという。
お鍋の最初の夫は、小倉実房(おぐらさねふさ)だった。
小倉実房は、近江(滋賀県)から伊勢(三重県)へ抜ける2つの街道を見張る山上城の城主だった。
しかし年貢の滞りを理由に、実房は六角氏と戦になる。
一時勝利はしたものの、再度攻め込む六角氏に勝ち目がないと悟った実房は、自害して責任を取る。
その後、実房とお鍋の息子2人が、六角氏の家臣・蒲生賢秀の人質になった。
お鍋は家臣と相談し、夫の自害と息子2人が人質になったことを信長に訴えた。
1559年、信長は室町幕府13代将軍・足利義輝に会見するため京都へ向かった。
しかし美濃の齋藤氏が暗殺団を派遣したため、急ぎ逃げ帰った。
その際、小倉氏の協力で近江から伊勢へ抜ける八風街道を通り、危機を脱したという。
伊勢へ抜ければ、海路で織田氏が治める尾張(愛知県西部)へ戻れる。
信長は、八風街道を長年支配した小倉氏を押さえておきたかった。
そして小倉氏は、信長が持つ圧倒的軍事力の庇護が欲しい。
両者の思惑は一致し、お鍋が人質兼側室となったのである。
お鍋のその後
人質として側室となったお鍋だったが、信長は六角氏を滅ぼして息子達を取り戻してくれた。
お鍋と信長は伴侶というべき人を失い、互いに傷を抱えている。
次第に気の置けない間柄に変わっていった。
敗戦の責任で夫が自害するという経験をしたお鍋は、落ち着きと覚悟を持った大人の女性だったと考えられる。
先の愛妾・吉乃に通じるものがあったに違いない。
お鍋は信長との間に息子2人と娘1人を儲けた。
信長が天下人へと駆け上がる時期であり、世間の非難や滅ぼされた氏族の怨嗟が耳に入ったはずだった。
その中で動ずることなく夫を支えたお鍋は、芯が強い女性と云えよう。
お鍋は晩年の信長から、安土城内の夫人や子供たちの世話を任せられる程の存在だった。
信長がお鍋をいかに信頼していたかが窺える。
信長の死後、お鍋は葬儀を取り仕切った。
豊臣政権下では、秀吉の正室・おねに仕えて側近筆頭の一人となった。
終わりに
愛妾と云われた生駒吉乃も、一番信頼された妻・お鍋も未亡人だった。
信長は他にも、乞食暮しの障がい者に同情して小屋を建て、村人に木綿20反を与えて「彼らに食べ物を施して欲しい」と頼んだという逸話がある。
弱者に優しい一面も大いにあったのである。
信長は生涯で、9人の妻を持ったとされている。
しかし最も愛した女性は、青年期の恋人・生駒吉乃であり、最も信頼をおいた夫人はお鍋だったのではないだろうか。
参考図書
「戦国女系譜」巻之一 楠戸義昭 著
この記事へのコメントはありません。