中国史

【始皇帝の墓】 兵馬俑には古代ギリシャの技術が使われていた?

蓁という国

兵馬俑には古代ギリシャの技術が使われていた?

画像 : 兵馬俑 public domain

兵馬俑(へいばよう)は、秦の始皇帝の墓の周りに埋葬された陶器で作られた埴輪のような兵隊である。

始皇帝は自身の力を後世に知らしめるため、また死後の世界でも自分を守らせるために、陶器の兵士たちを共に埋葬させたという。

古代中国には「生」は短いもので儚く、「死」こそが永遠で終わりのないものであるという考え方があった。だからこそ死後の世界について強い関心を払い、死後の世界で良い暮らしができるようにと様々なものを一緒に埋葬したのである。

ちなみに始皇帝は、生涯にわたって「不死の薬」を探し求めていたとされ、最終的には当時不老不死の薬とされていた「水銀」を大量に飲んだために死亡したとの説もある。つまり彼は生きることを強く望んだと言える。

また中国の多くの王朝では、皇帝と共に健康体の皇后や妃が生き埋めにされたという記述が残っている。
始皇帝の墓はいまだに見つかっておらず、もし見つかったら世紀の大発見といえよう。

墓については様々な憶測が飛び交っている。

墓の周りにはお堀があってその中に水銀が流れているとか、墓を開けようものなら中から多数の槍が飛んでくるなど、墓を守るための仕掛けが多く存在していると言われている。

兵馬俑はどのようにして作られたか?

等身大であまりにも精巧にできていることから、発掘当初は「生きた人間を型にとって作ったのではないか」という憶測が飛んだほどである。

後の研究で、陶器を作るのと同じ要領で一つのヒナ型から同じものが大量に生産されたということがわかってきた。割れてしまった破片から藁が出てくるなど、現代と同じような高い技術で作られていたことが解明された。

では、その技術はどこからやってきたのだろうか?中国に元々あった技術なのだろうか。

人から伝わった知恵

秦の時代、中国には兵馬俑のような大型の陶器を焼く技術は存在していなかった。

兵馬俑には古代ギリシャの技術が使われていた?

画像 : 古代ギリシャ彫刻イメージ

だが古代ギリシャではその技術はすでに伝統技術として存在していた。紀元前4世紀にはすでに確立されていたと考えられている。

始皇帝の兵馬俑が製作されたのは紀元前3世紀ごろと見られるので、古代ギリシャからやってきた技術だと考えるのが妥当である。

シルクロードは紀元前2世紀に開通しているが、それ以前にも現在のウイグル地方から古代ヨーロッパ人のDNAが見つかっている。ウイグル地区と秦の首都、現在の西安はとても近いことから、地理的にも古代ギリシャ人が彫塑の技術を持ってきたと考えてもおかしくはない。

その他、始皇帝の宝物の中で白鳥の形をした青銅の置物が、古代ギリシャでよく作られていたものと非常によく似ているという。

兵馬俑には古代ギリシャの技術が使われていた?

画像 : 青銅の白鳥

ある研究者によると、初めは兵馬俑やその周りの出土品が中国で独自に作られたものとは思えず、古代ギリシャ人の芸術品ではないかと思ったほどだという。

古代ギリシャ人が紀元前3世紀にタイにわたって、彫塑職人を指導していたという記録も残っている。

中国に渡っていたとしても、全く不思議ではないのだ。

中国の技術が外国人の模倣?

古代ギリシャ人の彫塑家がやってきて、兵馬俑を製作を監修した」ということになると、プライドの高い中国人は黙っていない。

ネット上でも多くの憶測と批判が飛んだという。

しかし始皇帝が等身大の大きな埴輪を作ろうと考えついたのは、古代ギリシャの彫塑家の影響が少なからずあった可能性は高い。

とはいえ兵馬俑は、土も全て中国のものであり伝統の技術に加えて独自の技術も取り入れている。埋葬の仕方も当時の中国の埋葬ルールに則っており、中国人が独自に作り上げたものと言っても過言ではない。

古代ギリシャにおいては、作った彫塑家の名前を目の位置に刻印するという習慣があった。

だが兵馬俑にはそういった形跡がなく、中国オリジナルとして製作されたということが見て取れる。もし古代ギリシャ人が製作に関わっていたとしたら、こっそり刻印することも可能だったであろう。

だが、今の段階ではそのような兵馬俑は一体も発見されていない。

今後の発掘調査にも期待である。

参考 : 兵馬俑西來說 古希臘人來到中國

関連記事 : 他の兵馬俑の記事一覧

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【今は亡き世界最凶スラム街】九龍城砦の歴史 〜人々を魅了し続ける…
  2. チャイナドレスの起源 ~満州族の伝統衣装「旗袍(チーパオ)」の歴…
  3. 古代中国の美人メイクとは 「地雷メイク、美白、フェイクエクボが流…
  4. 始皇帝が追い求めた不死不老の薬~ 肉霊芝とは 【20億年前から存…
  5. 古代中国の「地下動物園」が発見される ~約2200年前の【前漢文…
  6. 始皇帝と織田信長 【改革者の知られざる運命】
  7. まるでエロ漫画!「性交しないと出られない部屋」に監禁された鳩摩羅…
  8. ゴミ拾いから高級官僚まで大出世した 「唐のリサイクル王・斐明禮」…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

なぜ『古事記』は作られたのか?作成背景とその目的を探る ~古事記の謎

日本の歴史や神話を学ぶとき、必ず出てくるのが『古事記』である。『古事記』は日本最古の…

『ブギウギ』 花田鈴子は実の子じゃない! 笠置シヅ子の出生の秘密とは

NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」で、アホのおっちゃんの言った「クジラの子とカッパの子」。…

『説教強盗』妻木松吉 〜強盗に入った後に住人を説教 「防犯がなってない!」

昭和4年(1929)2月23日、当時世間を大いに騒がせた1人の強盗犯が捕まった。その犯人は「…

徳川家康の恐るべき財力の秘密 「鉱山と大久保長安とは?」

家康を支えたのは、三河武士の強さだけではない。戦費を支える財力があってこそ、戦も続けることが可能…

惟康親王の悲劇 「源氏のカリスマで元寇から日本を救った?鎌倉幕府7代将軍」

鎌倉幕府の将軍というと、多くの方は源頼朝(みなもとの よりとも)公と源頼家(よりいえ。頼朝公の長男)…

アーカイブ

PAGE TOP