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宇宙飛行ミッションで21名が死亡
宇宙飛行は、私たちに大きな夢と希望を与えてくれるが、それと比例するように実際に先頭に立っている宇宙飛行士にとっては大きなリスクが伴う。
過去の宇宙飛行の途中では数々の事故により人命が失われている。
NASAの「安全・ミッション保証」担当副ディレクターのナイジェル・パッカム氏は専門ウェブサイト『Live Science』に、
「これまで5つの宇宙飛行ミッションで21名が死亡している。(3つはNASA、2つはソ連)」
と語っている。
5つの宇宙旅行ミッションで21名の命を奪った悲劇的な事故を振り返る。
【1967年1月】アポロ1号〜発射予行演習中の火災により3名が死亡
NASAのアポロ1号は、打ち上げ前の発射台での予行演習中に司令船の火災事故が発生し、宇宙飛行士3名が死亡した。
パッカム氏は
「私は個人的に、それが地上で起こったかどうかを区別していない」
と語っている。
原因は、乗員室区画の設計と構造の致命的な欠陥とされ、それらの問題が解決するまでNASAの有人宇宙飛行計画は中止された。
事故発生から1年9ヶ月後、1968年10月に発射されたアポロ7号で、アポロ1号の予備乗組員であった飛行士たちによって有人宇宙飛行が達成された。
【1967年4月】ソユーズ1号〜地球帰還中、船体パラシュートが開かず地上に墜落1名死亡
世界で最初の宇宙飛行中の事故は、ソ連が開発したソユーズ1号で地球帰還中に起こった。
ソユーズ1号には、宇宙飛行士としてウラジーミル・コマロフが単独で搭乗していた。
船体の異変を感じたコマロフと管制チームは、コマロフから地球周回軌道13周目の報告を受けミッションの中止と地球帰還、大気圏再突入の準備を開始。
コマロフの妻は管制室に招かれ、コマロフは船体の激しい揺れに苛まれながらも冷静さを保ち続け、妻に別れを告げた。
19回目の地球周回軌道で大気圏への再突入に成功したが、船体のパラシュート格納容器の設計が甘く、減速用パラシュートと手動の予備パラシュートが正常に開かずレンブルク州に墜落、炎上した。
ソユーズ1号は減速することなく秒速40m(時速145km)で地上に激突したため、コマロフの遺体は直径30㎝長さ80㎝の原型をとどめない塊となっていたという。
実は、事故が起こる可能性をコマロフは事前に認識していたという。
1961年、人類初の有人宇宙飛行に成功し『地球は青かった』と言ったユーリイ・ガガーリンは、ソユーズ1号の予備乗組員であった。
ガガーリンは、ソユーズ1号には設計上のミスがあるにも関わらず打ち上げを進める政府の圧力があることに気づいていたという。
ガガーリンは打ち上げの数週間前、コマロフをソユーズ1号から降ろそうと説得したがうまくいかなかった。
コマロフは、
「もし自分が乗らなければ、政府は代わりに予備乗組員を乗せる。
それはガガーリンが死ぬことを意味している。」
と語っていたのだ。
人類的英雄に悲劇をもたらすことはあってはならないとコマロフは悟っていたのだ。
パッカム氏は、
「これは宇宙開発競争の始まりであった。
決定に関与した関係者は準備が整っていないことを知っていたにもかかわらず、打ち上げは政治的な出来事と同時に予定されていたため、政府にも過失があった。」と述べている。
さらに、
「管制チームは、宇宙船が軌道に乗るとすぐにパラシュートに問題が生じることに気づいた。」
と付け加えている。
【1971年6月】ソユーズ11号〜大気圏外での減圧事故で窒息死3名が死亡
ソユーズ11号内で起こった減圧事故は、地球の大気圏外で起きた唯一の事故であった。
3人の宇宙飛行士たちはソ連が設立した世界初の宇宙ステーションで22日間を過ごし、地球に帰還する途中の大気圏外で事故が起こった。
ソユーズ11号の帰還船は予定通り大気圏に再突入し無事に着陸したが、帰還カプセルを開けると3人はすでに窒息死していた。
原因は、帰還カプセルとソユーズ本体を繋ぐバルブ部分の欠陥であった。
バルブは着陸の瞬間までカプセル内の気圧を保つはずだったが、実際には大気圏への再突入前からカプセル内の空気が宇宙に漏れていたのだ。
カプセル内は非常に狭く動けるスペースがほとんどなく、3人は宇宙服を着ていなかった。
事故後、ソユーズは全面改造され、打ち上げと着陸時には宇宙服を着用することが義務づけられるようになった。
【1986年1月】チャレンジャー号〜発射直後の空中分解による爆発と墜落で7名が死亡
スペースシャトル・チャレンジャー号は、打ち上げから73秒後に空中爆発し、船体は分解して大西洋に墜落した。
日系人のエリソン・オニヅカ、初の民間人宇宙飛行士として抜擢された高校教師クリスタ・マコーリフ、2人目のアフリカ系アメリカ人ロナルド・マクネイアらを含む、7人の宇宙飛行士たちが死亡した。
原因は、ロケットのシーラントの一部が柔軟性を失って高温のガスが漏れ、推進剤タンクに火が燃えつき、船体が空中分解したため爆発したと考えられている。
事故後、海底から乗船員区画や船体の破片が引き上げられた。
調査の結果、空中での船体分解直後は乗員室の減圧により何人かの乗組員たちは意識不明ながらも生存していた可能性があったことが判明。
チャレンジャー号には脱出装置が設置されていなかったため、乗員室が海面に激突した際の衝撃で死亡した可能性もあるという。
実は、一部のNASA技術者は打ち上げに警告を発していたが、NASA首脳陣が計画を強行突破したため、経営陣にも責任の一端があるとされている。
発見された遺体のうち、識別可能なものは家族の元へ還された。
ディック・スコビー機長とマイケル・スミスはアーリントン国立墓地の個人墓地へ、エリソン・オニヅカはホノルルの太平洋国立記念墓地へ、クリスタ・マコーリフはニューハンプシャー州のブロッサム・ヒル墓地へ埋葬された。
識別不能な遺体は、アーリントン国立墓地のチャレンジャー号記念碑に共同埋葬されている。
【2003年2月】コロンビア号〜地球帰還中に空中崩壊し7名が死亡
スペースシャトル・コロンビア号は、28回目のミッションからの地球帰還の際、テキサス州上空の大気圏再突入中に船体が崩壊、宇宙飛行士7名が死亡した。
原因は、打ち上げ時に外部燃料タンクから剥がれ落ちた発泡断熱材の一部の破片がシャトルの左翼に衝突、耐熱パネルに穴が空いたためと考えられている。
ところが、
「このような現象はコロンビア号前後のほぼすべての打ち上げでも起こっており、特殊なことではない」
と事故の原因調査に協力したパッカム氏は語る。
コロンビア号の場合は、損傷した翼が再突入時の高温に耐えられなかったため、スペースシャトルは崩壊してしまったのだという。
パッカム氏は、
「コロンビア号の事故が起きるまでは、宇宙飛行の大気圏再突入、降下、着陸はとても穏やかなものだと考えられていた。」
とも述べている。
事故から5年後、NASAはコロンビア号事故で宇宙飛行士たちの生存に影響を与えたであろう事柄を分析し、将来宇宙船に搭乗するすべての宇宙飛行士の生命安全保障の促進として、「コロンビア号搭乗員生存調査報告書」を発表した。
報告書では、
「コロンビア号で起こった減圧は、宇宙飛行士が乗員室への与圧の確保をする間もなく短時間のうちに発生したため、彼らは数秒で意識不明状態に陥ったと考えられる。空気の循環系統は機能していたが急激な気圧低下の影響は大きく、この減圧が乗組員たちにとって致命的な出来事であった。」
と述べられている。
また、何人かの宇宙飛行士は保護用グローブを着用しておらず、1名はヘルメットを被っていなかったことが確認されており、安全対策を怠っていたことも報告されている。
さらに、乗員室座席のシートベルトは以前のものから交換しておらず墜落の際に引きちぎられていたため、生命保護装置は宇宙飛行士の手動操作に頼るものであってはならないという点も指摘した。
宇宙飛行士たちの遺体を含む船体の残骸は、テキサス州東部からルイジアナ州西部、アーカンソー州南西部など、北アメリカの南部、約2,000ヶ所以上の広域で発見された。
宇宙飛行士にリスクと帰国できる可能性を伝えるミッション
パッカム氏は、
「これら5つのミッションは致命的であったが、乗組員に死傷を与える可能性があったのはそれだけではなかった。」
と船体の設計ミスやアクシデントだけが原因だったわけではなく、地上での政治戦略による人的影響も示唆している。
彼のオフィスには、これらの事故だけでなく危機一髪だった出来事の記録も保管されており、実際に起きた事故は5件よりはるかに多いという。
「現在、約650人が宇宙を飛行しており、商業宇宙飛行の数が増えているため、その数はさらに加速するだろう。
宇宙に行くためにはリスクを伴うが、理解することが必要だ。」
とパッカム氏は述べている。
パッカム氏のチームは、あらゆるデータを収集し、宇宙飛行士が直面する正確なリスクを計算する、より良い方法の発見に取り組んでいる。
最後にパッカム氏は、
「私たちは、彼らに帰国できる可能性を伝えなければならない。」
と吐露している。
参考 : 『Live Science』
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