どうする家康

【大河ドラマ】 歴史上の偉人をどのように描くべきか? 「どうする家康」

松平元康「もう、嫌じゃー!」

石川数正「逃げおったかー!」

開始早々、敵前逃亡という禁じ手をやってのけた「我らが神の君」徳川家康(劇中当時は松平元康)。

令和5年(2023年)NHK大河ドラマ「どうする家康」は、そんな幕開けでした。

……数百、数千という将兵を率いてその生命を預かる大将にあるまじき愚行。

その卑怯未練な振る舞いに、がっかりした視聴者も少なくなかったのではないでしょうか。

もちろん、実際の徳川家康がそんなことをした記録は残っていません。

仮に敵前逃亡などしていれば、三河武士団は早々に見限っていたことでしょう。

ただ一方で、家康が生きていた当時の現場を見ていたという人もいません。

「歴史は勝者が都合よく作るもの。まして数百年が経った現代では、当時の様子を実際に見た人もいないのだから、どのように描いてもよいはずだ」

近ごろ、そんな主張があるようです。だから家康をどんな卑怯者に描いても、ワガママな暴君に描いても、それは思想表現の自由であろう。

歴史上の偉人をどのように描くべきか?

画像 : 織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うが徳川(右上)……とは詠まれたが、決して本当に座ったままではなかった。歌川芳虎筆

……かくして一年間48回にわたって「自分から何かした様子はないけど家臣たちや敵までもが忖度し、何やかんやで天下をとってしまった家康」が描かれたのでした。

まぁ歴史上の偉人なんて、いざフタを開けてみればきっと中身はそんなもんだよ。見たことないから知らんけど……などという冷笑が聞こえてくるようです。

昔から「実は大した事なかった!?アノ偉人のこんな素顔」みたいなゴシップ調のネタ(記事や主張)が散見されますが、これはどうしたことでしょうか。少なくとも、あまり前向きな心意気は感じられません。

そのすべてを否定はしないものの、こうしたネタが好まれる世の風潮に、拙くも一石を投じておきたく思います。

「等身大」の人物像を描くということ

はじめに、結論から。

一、やっぱり家康はすごい
一、立派な部分を見習う気持ちが大切
一、他人をこき下ろしても、自分が高まる訳じゃない

幼くして人質にとられて母と生き別れ、父と死に別れ、十数年の苦労を重ねた末に再び独立を勝ち取った家康。もうこれだけで、十分すごくないですか?

実際には人質と言ってもVIP待遇だったとか、当時トップクラスの英才教育が受けられたとか、そんな話も含めてすごいと思います。

周りがある程度はお膳立てしてくれたとは言っても、やはり最後は自分でリスクをとってリターンを狙う決断をしなくてはなりません。

両親と離れ離れの寂しさや苦楽を分かち合う三河家臣団との絆、そして桶狭間の混乱を機に悲願の独立。

歴史上の偉人をどのように描くべきか?

画像 : 家臣と共に、苦難の日々を乗り越えた家康。それをそのまま演じるだけで、もう涙がとまらない。月岡芳年筆

岡崎城へ凱旋を果たした元康の勇姿は、それだけでご飯3杯は美味しく食べられるカタルシスを感じられます。

実際、子供の頃に読んだ学習まんがではそこまでをメインに描いた作品もありました。

よかったね竹千代、本当にみんなで力を合わせて頑張ったね……織田信長よりも豊臣秀吉よりも、ずっとずっと感動したのが昨日のようです。

これで十分、いや、これがいいんじゃないでしょうか。

確かに創作や脚色もあるでしょう。竹千代がワガママを言ったり、元信(元康)が挫けそうになったりもしたはずです。

でも、そんな事はある程度生きていれば誰でも分かること。

あえて恥部をえぐり出さなくても、その恥ずかしさを乗り越えて、みんな生きていくんです。

そんな分かりきっていることは踏まえた上で、みんな竹千代→元信→元康→家康の生涯に感動を分かちあってきたのでしょう。

なのにあえて「実はみっともないヤツだった」「あんか恥やこんな失敗、何なら『焼き味噌』の件もあるぞ」などとばかり、嬉々として家康を貶めたがる心情は、いささか理解に苦しみます。

いや、分からないでもありません。

毀誉褒貶こそあれ、偉大な徳を備えればこそ天下人となりえた徳川家康。少しでもあやかりたいと日々精進する姿勢こそ、よりよい人生には欠かせない。public domain

自分が家康にはとても及ばないし、敵わぬまでも少しでもよりよく生きるために努力するのはだるいから、誰かを引きずり落とすことで安心する。

そういう手合いは、昔からずっと見てきました。

死人に口なしとはよく言ったもので、冥土の家康が化けて出るでもなし、好きなだけ引きずり落とせる。もはやフリー素材状態と言えるでしょうか。

少しでも自分を高めようと努力するのは大変ですが、誰かを引きずり落とすのは簡単です。

そして、同じように鬱屈した人々の賛同が得られれば、承認欲求も満たせるオマケ付き。これはやめられません。

すべて正しい訳じゃなかったけれど、見るべきものがあったからこそ、苦難の末に天下をとれた徳川家康。

確かに腹黒い狸親父ではあったけれど、それだけじゃ天下はとれなかったはずです。

良い面も悪い面も受け入れた上で、見習うべきところを見習ってこそ、歴史を学ぶ意義があります。

それこそが私たちの顧みるべき「等身大」な人物像ではないでしょうか。

終わりに・大河ドラマへの期待

みっともない所も、狡猾な所も含めて、実は家康を尊敬していた自分に気づかされた一年だった。『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)

歴史の真実なんて、誰にも分からない。

だから「好きなように貶めてもいい」のではなく、「最大限の敬意をもって描くべき」なのではないでしょうか。

新しい人物像を描く心意気は買えないこともありませんが、それはその場のウケ狙いで貶めるより、建設的な評価であった方が楽しめます。

また歴史上の偉人に最大限の敬意を払う上で、先人たちの研究や、愛され続けた通俗イメージも忘れることはできません。

戦国乱世を駆け抜けた家康はじめ有名無名の英雄たちが顧みられ、その熱い生き方を味わう縁(よすが)としての役割を、大河ドラマには期待しています。

 

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角田晶生(つのだ あきお)

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フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
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