奈良時代の文化は、外交や仏教の発展が大きく影響し、先の飛鳥文化や白鳳文化から花開いたものであった。
618年に大陸で隋が滅び、唐が建国された。
34代・舒明天皇(じょめいてんのう)の治世から遣唐使派遣が始まり、多くの先進的な政治制度や文化を持ち帰らせている。
8世紀初頭までに計9回の遣唐使派遣が行われ、その成果は国の政治や人々の生活にまで多くの影響を与えるようになっていた。
仏教は、6世紀に日本に伝来した。
飛鳥時代に本格的に発展をとげ、今にも残る多くの古刹がこの頃から作られ始める。
31代・用明天皇(ようめいてんのう)以降、神道国家であった日本でも仏教が容認され、広がりをみせる。
歴代の天皇も、寺院建設を指示するなど、仏教を国家宗教的に捉えていた。
45代・聖武天皇(しょうむてんのう)においては、鎮護国家の思想が強く、仏教が政治にも大きく影響していた。
このような遣唐使による唐の文化と仏教発展が絡みあったのが、「天平文化」と呼ばれる奈良時代の文化である。
貴族を中心とした華やかな文化
遣隋使からはじまり、何度も渡海した遣唐使によって、大陸から直接持ち帰った律令制度を基本として作られた大宝律令(たいほうりつりょう)。
この制度において、天皇を中心とし、二官八省の官僚機構を骨格とした中央集権での統治が成立した。
朝廷の官僚や地方役人たちは、大宝律令に沿った生活を行うことになり、貴族中心で仏教的な色彩が強い華やかな文化が形成されたのである。
奈良時代の服装
服装については、大宝律令に基づいた衣服令が定められ、用途に応じて、「礼服・朝服・制服」の3種類が作られていた。
礼服は重儀に用いられる服であり、即位の式の時で着用。
朝服は、監視の勤務服として、制服は庶民が工事に従事するときに着る服とされていた。
貴族の着る衣類は絹が使われており、色も位階に応じて分けられていたことから、当時から華やかだったことが想像できる。
一方、庶民の普段着はというと、麻をはじめ、藤・葛・こうぞといった天然素材の白いシンプルなワンピースに似たものであった。
弥生時代のイメージ図で出てくる弥生人と変わらなかったのである。
奈良時代の住居
貴族の住居は平城京の中にあり、国から支給されていた。
広い敷地に瓦ぶきの木造建築の住居であった。
寺院建築や大陸からの建築技術の流入により、貴族はそのような建物に住むことができたのだ。
一方庶民はというと、縄文時代から続く「竪穴式住居」が今もなお使われていた。
地面を数十センチ掘り、掘立柱(ほったてばしら)に板張り、草ぶきの屋根がついたものであった。
現代のようなトイレや風呂などはなく、住居内にかまどがあり、仕切りのない広い空間で生活をするというものであった。
和同開珎の流通
飛鳥時代の末期、日本で最初となる和同開珎(わどうかいほう/わどうかいちん)が発行される。
この流通貨幣が作られるまでは、米や布を基準としての物々交換であった。
奈良時代には畿内と周辺地域で主に流通し、物々交換の中に貨幣が浸透していった時代であった。
最古の歴史書の完成
現存する最古の歴史書として、『日本書紀』と『古事記』が奈良時代に完成する。
日本書紀とは、海外向けに日本の歴史を記した書物。
古事記は、国内向けに天皇の大切さを説いた書物であった。
日本書紀には、世界のはじまりから第41代持統天皇までの歴史が記録されており、全30巻で構成されている。
古事記は、天武天皇が、皇室の記録である帝紀(ていき)と神話や伝承などの旧辞(きゅうじ)を研究し、正しいことを後世に伝えることを命じ、編纂されたものであった。
日本最古の和歌集の完成
奈良時代には、日本最古の和歌集である『万葉集』が作られている。
貴族や庶民といった身分による差がなく、歌がよければ掲載されており、4,000種を超える歌が掲載された和歌集であった。
山上憶良が歌った『貧窮問答歌』は、奈良時代の農民の厳しい暮らしの様子を記した歌として有名である。
国家レベルで指示された仏教
聖武天皇の鎮護国家思想により、仏教は全国に大きく広がりをみせる。
都では、飛鳥から奈良に移設された興福寺、大仏の建立された東大寺など、現在にも南都七大寺として名前を残す寺の建立のほか、国内の各律令国ごとに国分寺・国分尼寺の建立が進められた。
また、仏教宗派としては南都六宗(なんとろくしゅう)と呼ばれる「三論(さんろん)」「成実(じょうじつ)」「法相(ほっそう)」「倶舎(くしゃ)」「華厳(けごん)」「律(りつ)」があった。
日本に根付いていた神道と仏教思想が融合されはじめた時期であり、神仏習合思想が広まったのも天平文化の時代であった。
法隆寺の夢殿や唐招提寺、東大寺などの伽藍も天平文化を代表する建物となっている。
また、天平文化で有名な奈良の大仏の他にも、木を芯として粘土を塗り固め作られた塑像や、原型の上に麻布を漆で塗り固め作られた乾漆像が現代にも多く残っている。
参考 : いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編 東洋経済新報社
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