『ぼくらの七日間戦争』という言葉を見て、甘酸っぱい青春時代を思い返される方も多いことでしょう。
作者である宗田理(そうだ おさむ)さんが2024年4月8日に逝去されたことが報道されました。
90歳過ぎても作品を書き続けていましたが、肺炎のために95歳で亡くなられた宗田理さんの功績などを振り返りたいと思います。
宗田理さんの生い立ち 『ぼくらの七日間戦争』誕生まで
この投稿をInstagramで見る
戦争なども経験した宗田理さんの生い立ちも含め、作家までの道をたどってみたいと思います。
・1928年5月 東京府豊多摩郡(現:東京都世田谷区)生まれ
関東大震災の5年後に生まれる・8歳で父を亡くし、母方の実家がある愛知県幡豆郡一色町(現:西尾市)に転居
・日本大学 藝術学部 映画学科 卒業
・「森脇文庫」の編集業の仕事開始 週刊誌『週刊スリラー』の編集長を務める
・1970年後半のカズノコ高騰に関する調査を行い、水産業界の裏の実態を知り、51歳の時に情報小説『未知海域』を発表。この作品が1979年に直木賞候補となり、小説家としての活動を始める。
・新聞に連載していた学園小説を読んだ角川文庫編集者の娘さんが『お父さん、この小説面白いよ。こういうのを書いてもらったら?』と勧めたのがきっかけで、宗田理さんが注文を受け書いた作品が『ぼくらの七日間戦争』。
この作品が大ヒットし、「ぼくらシリーズ」としてシリーズ本の発売が続き、累計2000万部を超える販売となる
宗田理さんの思い
太平洋戦争を経験したことにより、戦争反対という気持ちの強かった宗田理さん。平和の世の中を願いつつ書いた作品もあります。
「ろうあ者を題材にした本を書いて下さい」という手紙をもらったことがきっかけで書かれた『ぼくらの修学旅行』や、関東大震災の節目の年という点を意識し震災をテーマに書かれた『ぼくらの東京革命』などもあります。
他にもいじめ・新興宗教・環境・ITなど、世間で問題になっている様々なテーマをもとに、多くの作品を世に送り出しています。
「間違った大人の行動・理不尽さには従わない」といった気持なども交えながらの作風が、子どもたちからの共感も得ている要因の一つといえるでしょう。
『ぼくらの七日間戦争』の二つの映画化
角川文庫にて1985年に刊行された『ぼくらの七日間戦争』ですが、初版から3年後に実写映画が公開されました。
宮沢りえさんのデビュー作&初主演ということでも、当時話題となりました。
また『ぼくらの七日間戦争』の30年後の現代を舞台にして、全く異なるキャラクターたちによる新たな7日間戦争ということで、2019年12月にアニメーション映画『ぼくらの7日間戦争』が公開されたことを記憶されている方もいらっしゃることでしょう。
宗田理さん追悼展
現在、出身地でもある名古屋で「宗田理さん追悼展」が開催されています。
代表作「ぼくらシリーズ」などの作品が展示されていて、実際に本を手に取ることもできるそうです。
【開催期間】
2024年4月20日(土)~2024年5月19日(日)
午前10時~午後5時
※休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日)【開催地】
「文化のみち二葉館」 2階展示室7
名古屋市東区橦木町3丁目23番地
TEL:052-936-3836【入館料】
一般200円 ※中学生以下は無料。【宗田理さん追悼展 HP】
https://www.futabakan.jp/event/20240420-0519soudaosamu.html
哀悼ページにて『ぼくらの七日間戦争』を80ページまで無料
期間限定にはなりますが、哀悼ページが設けられています。
こちらで『ぼくらの七日間戦争』を80ページまで無料で読むことができます。
【角川つばさ文庫「ヨメルバひろば」HP】
哀悼・宗田理 『ぼくらの七日間戦争が80ページまで読める』
https://yomeruba.com/hiroba/reading/entry-16679.html/page/2/
「ぼくらシリーズ」は、世代を超えて受け継がれている名作といえるでしょう。
この記事へのコメントはありません。