1962年12月、ロンドンである事件が発生しました。黒人のジャズシンガーが、高級アパートのドアにピストルを発砲したのです。
しかしこの事件は、ただの発砲事件ではありませんでした。
発砲されたアパート部屋の持ち主が、有名な整骨医スティーブン・ウォードだったことが判明し、事態は大きく動き出します。
スティーブン・ウォードは、売春斡旋やスパイ容疑でマークされていた人物でした。
ウォードのアパートには、モデルのクリスティン・キーラーと、もう一人の美しい女性マンディ・ライス・デビスが住んでいました。二人はウォードが開催する秘密のパーティーに参加し、上流階級の男性や有閑マダムの相手をする「高級娼婦」として暮らしていたのです。
ウォードを通じて、キーラーは二人の有力者と関係を持つことになります。
一人は当時のイギリス陸軍相であるジョン・プロヒューモ、もう一人はソビエトの武官ユージン・イワノフ大佐でした。
当時は冷戦の真っ只中でした。敵対する両国の要人が一人の女性と関係を持つという事実は、単なるスキャンダルでは済まされない、国家の威信に関わる大問題です。
プロヒューモは議会でキーラーとの関係を否定しましたが、人々の疑念は消えず、野党の労働党やマスコミ、警察が真相究明に動き出しました。
そして、イギリスを揺るがす大スキャンダルへと発展していくのです。
貧困から高級娼婦への道に進んだクリスティン・キーラー
クリスティン・キーラーの生い立ちについては不明な点が多く、正確な生年月日や父親の情報は残っていません。キーラーはロンドン郊外のレイズベリーという町のスラムで育ちました。
私生児として生まれた彼女は、貧しい家庭で母親と暮らしていました。義務教育を終えると工場で働き始め、同僚の工員と恋をしました。しかし、母親のような貧しい結婚生活はしたくないと思っていたキーラーは、10代半ばで単身ロンドンへと向かいます。
ロンドンでの彼女は、キャバレーのホステスやショーガールとして働きました。キーラーは化粧やおしゃれ、男性を惹きつける微笑や目配せを身につけ、美しさを磨いていきます。
そんなキーラーに目を付けたのが、当時40代後半の整骨医スティーブン・ウォードでした。
ウォードはキーラーの母親に挨拶をし、キーラーを自分の高級アパートで暮らすように誘います。後年になってウォードは「人形のように可愛い存在として手元に置いておきたかっただけ」と証言しています。
こうしてキーラーは、ショーガールの仕事を続けながら、ウォードから上流社会でのマナーや会話術などを学んでいきました。ウォードは謎めいた紳士で、キーラーは彼との出会いによって貧しい生い立ちから、上流社会へと足を踏み入れることになったのです。
しかしウォードとの出会いは、キーラーを思わぬスキャンダルへと巻き込んでいくことになります。
秘密のパーティーと上流社会への誘い
キーラーはウォードに誘われて、上流階級の人々が集まる秘密のパーティーに足を踏み入れました。
そこは普段の社会では見せない姿や振る舞いによって、人々が楽しみ、日々のストレスを発散させる場所でした。仮面をつけた女性、半裸の男性、SMなど、刺激的な光景が広がっていました。
しかしキーラーは不安や戸惑いを感じるどころか、この場所で上流階級の人々の秘密や裏の顔を知り、共有できることに興奮を覚えました。生まれ育った環境や社会的地位の違う人々と関われることが、キーラーにとっては刺激的で魅力的に感じられたのです。
キーラーはパーティーで知り合った紳士たちと外でも付き合うようになり、ミンクの毛皮やロールスロイス、高級ブランドの洋服など、高価なプレゼントを受け取りました。同じ高級アパートに住むマンディもキーラーに誘われ、秘密のパーティーに参加していました。
こうしてキーラー、マンディ、ウォードの3人は、一つの屋根の下で、現実離れした不思議な生活を送り続けました。
後年、キーラーはウォードとの関係について「性的な関係はなく、金銭のやり取りもない、ただ可愛がってくれる存在だった」と証言しています。父親の愛を知らないキーラーにとって、ウォードは心を許せる肉親のような存在だったのかもしれません。
ある夜キーラーは、ウォードと一緒にイギリスの財閥家・アスター卿の屋敷を訪れます。
このとき全裸でプールを泳ぐキーラーに魅了されたのが、陸軍相のジョン・プロヒューモでした。このパーティーが、キーラーとプロヒューモの運命的な出会いとなりました。
キーラーとエリートたち(プロヒューモとイワノフ)
ジョン・プロヒューモはイタリア貴族出身のオックスフォード大学卒で、軍隊と政界でのキャリアを持つエリートでした。
プロヒューモはキーラーの美貌としなやかな肉体に魅了されていきます。上品で頭のいい女性ばかりの中にいたプロヒューモにとって、キーラーの野生的な若さと美貌が新鮮に感じられたのかもしれません。
キーラーはプロヒューモからお金はもらっていませんでしたが、プレゼントは受け取っていました。
しかし問題だったのは、キーラーがプロヒューモと同時に、ソビエト武官のユージン・イワノフ海軍大佐とも関係を持っていたことです。
キーラーにとってはベッドを共にするだけの相手でしたが、敵対する国同士の要人と関係を持つことは、政治的なスパイ行為を疑われてしまう行動でした。
さらにキーラーは若いボーイフレンドも求めました。そのボーイフレンドは黒人ジャズマンのラッキーとジョニーでした。キーラーは彼らとも関係を結んで楽しんでいたのです。
次第にラッキーとジョニーは「キーラーを独占したい」と思うようになり、ラッキーがジョニーをナイフで傷つける事件が起こりました。関係性が面倒になったキーラーは二人から逃げ出し、捨てられたジョニーがキーラーのアパートに押しかけてドアをピストルで撃った、というのが冒頭で説明した事件の経緯です。
その後、キーラーは裁判への出席を嫌がり、スペインへ逃げ出しました。しかしそこで初めて自分がスパイであることを疑われ、イギリスとソ連の外交問題にまで発展していることを知ります。
ただの高級娼婦だったキーラーにとって、スパイなど思いもよらないことでした。
マスコミが生贄を求めた「プロヒューモ事件」
マスコミは、ウォードを「国際スパイ組織の元締め」とし、キーラーを「プロヒューモから機密を聞き出すスパイ」として描きました。
キーラーは「イワノフに情報を流す橋渡し役だった」とセンセーショナルに報じられてしまったのです。
キーラーにはスパイ行為の意図はまったくありませんでしたが、結局マスコミの圧力により、陸軍相のプロヒューモは辞任に追い込まれました。
当時のイギリスでは、倫理を逸脱した事件や性道徳の乱れが問題視されていました。イギリス世論は、キーラーをスケープゴートとして「悪のシンボル」として葬ることで、不安な気持ちを一掃したいと考えていたのです。
そして事件は悲劇的な結末を迎えます。
マンディは世間からの非難を避けるために海外に渡り、アパートの発砲事件によってキーラーには有罪判決が下されます。
そしてウォードは自殺に追い込まれてしまいました。
その後、キーラーは華やかで非日常的な生活を終え、生活保護を受ける身となりました。
キーラーは自伝の中で「自分の経験は誰にでも起こり得ることであり、美しい若い娘ならばなおさらである」と語っています。
現代社会は欲望を刺激するものが溢れており、キーラーの言葉はより一層重みを持つように感じられます。
プロヒューモ事件とは、美貌ゆえに要人と関わりを持った若き美女が、思わぬスパイ騒動に巻き込まれ、世間から非難を浴びた悲劇だったのです。
参考文献:山崎洋子(1995)『歴史を騒がせた[悪女]たち』講談社
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