士道といふは、死ぬ事と見つけたり……。
このフレーズで有名な江戸時代の武士道バイブル『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』。
あまりに有名なので、これから始まるのかと思いきや、これは二節目。気になる第一節については、あまり知られていません。
なので今回は『葉隠』の一節目、冒頭フレーズを紹介したいと思います。
武道の大意とは?
一 武士たる者は、武道を心懸くべきこと、珍らしからずといへども、皆人油断と見えたり。その仔細は、「武道の大意は何と御心得候や。」と問ひ懸けたる時、言下に答ふる人稀なり。かねがね胸に落ち着きなき故なり。さては、武道不心掛の事知られたり。油断千万なり。
※『葉隠聞書』巻第一より
【意訳】武士たる者、武道を心がけるべきことは珍しくない。しかし泰平の世に慣れてしまったのか、みな油断している。
なぜかと言えば「武道の本質は何と心得ておいでか」と訊いても、きちんと答えられる者は稀だからである。
そういう者は惰性で武道を学んでいるだけであり、なぜ武道を心がけねばならないのか、考えたこともないのであろう。
だからいざ有事に望めば、日頃の不覚悟がバレてしまう。とんでもない油断である。
……ということでした。
武士とはその名が示す通り、武をもって仕える者。だから武道を心がけるのは当たり前ですが、その「当たり前」をもう一歩進んで考えを深めることが大切なのです。
もし皆さんが武士であったなら、この問いに何と答えますか?
そしてその答えとなる目的を果たすために、日々の行動はこれまでと変わるでしょうか。
生きるべきか?死ぬべきか?
『葉隠』冒頭のフレーズについて紹介したところで、次はおなじみ?のフレーズも紹介したいと思います。
このフレーズは知っていても、全文を読んだ方はあまり多くないのではないでしょうか。
二 武士道といふは、死ぬ事と見つけたり。二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわつて進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにわかることは、及ばざることなり。我人、生きる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を死果すべきなり。
※『葉隠聞書』巻第一より
【意訳】武士道を突き詰めると、死といかに向き合うか、という生き方である。
生死を分ける決断において、ここ一番で死をためらってはならない。
死は確かに恐ろしいが、死ぬとハラを括って臨めば意外に胆が据わるものである。
意味もなく死ぬのは犬死などと言う者もいるが、そんなお上品な理屈はいらない。
そもそもこの死に意味があるとかないとか、人が生き死にする現場でそんなものを判断する余裕があるのかって話である。
私を含め、人間というのは死ぬよりは生きたいと願うのが当たり前。
しかし命の使いどころも考えず、ただ死を恐れるのは腰抜けである。
この判断は、非常に難しいから注意せねばならない。
意味もなく死ぬのはキチガイであるが、少なくとも恥ではなく、武士とはそういう生き物である。
人間としての本能を超えて、武士たらんとするところにこそ、武士道の本懐があろう。
朝な夕なに自分がどんな死に方をするのか、常にシミュレーションしておくこと。何ならもう死んだつもりで生きるのもよいトレーニングになる。
自分の生き死にを勘定に入れなくなると、世の中は思っていたより自由に生きられることに気づくだろう。
武士として一生越度(おちど。落度)なく、奉公が務まるというものである。
……ということです。
人間とは業の深いもので、自分の生きる意味や死ぬ意味を絶えず追求せずにはいられません。
死ぬのは簡単ですが、恥を忍んで生き延びて、使命をまっとうすべき時もあるでしょう。
その選択は非常に難しく、結果が出るまで正解は分からないのです。
ただ少なくとも、死ぬことは武士として恥ではありません。
死んだつもりで生きることで、堅苦しい考えから解放され、武士としての使命をまっとうできると『葉隠』は説きます。
分かるような分からないような……生きるべきか死ぬべきか?一生答えの出ない問いに向き合い続ける姿勢こと、武士の修行と言えるでしょう。
終わりに
今回は江戸時代の武士道バイブル『葉隠』の冒頭フレーズについて紹介してきました。
武士とは何か、どう生きてどう死ぬべきか。シンプルだけど答えの出ない問いが示されています。
日々自問自答を繰り返し、武士としていかに生きるべきか、それこそが武士道の本質なのかもしれませんね。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月
かの『大空のサムライ』で知られる元パイロットの坂井三郎氏は、自分なりに解釈した結果「どんな状況でも死力を尽くして生き延びる策を見いだす」という考えに至り、“頭部に銃撃をうけても自力で基地までたどり着く”、“10機を超える敵機に囲まれても逃げ切る”などの離れ業を成し遂げたそう。