謎が多い諸葛孔明の妻
黄夫人(こう ふじん)は三国時代の蜀漢の人物であり、諸葛孔明の妻として知られている。
生没年不詳で、通常は「黄氏」と呼ばれるが、正史には「黄夫人」としか記載されていない。黄夫人の実名については、「黄月英」や「黄婉貞」とされることもあるが、これらは史書には記録されておらず、実名は明らかではない。
醜いとされているが
黄夫人は名門出身で、父親は黄承彦(こう しょうげん)という有名な人物であった。
彼女について語られる際、しばしばその容姿について言及されることが多い。
父である黄承彦自身が「私の娘は赤髪(金髪)で、色黒で醜い」と公言していたという記述もあり(襄陽記)、黄夫人が外国人の血を引いていた可能性も示唆されている。
周囲は黄夫人を妻に選んだ孔明をからかい、「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」と揶揄した。
しかし、孔明はそのような外見にこだわらず、彼女の内面に魅力を見出していたのであろう。
いずれにせよ、黄夫人の風貌は当時の漢民族の基準からすると非常に異質で、外国人と見間違えるほど特異なものであったようだ。
発明好きの理系女子だった?
黄夫人は発明好きで、多くのカラクリ装置を作ったという逸話がある。
もちろん黄夫人は、前述したとおり史書の記録が少なく、名も不明な人物なので大半は後世の創作だろう。
ここではあくまで「伝説」として楽しんでいただきたい。
木偶人形達によるウドン製造装置
ある日、孔明の家に来客があり、ウドンを作ってもてなすことになった。
しかし、用意していないはずのウドンがすぐに出てきたため、不思議に思った孔明が厨房を覗くと、木偶人形がウドンを作っていたという。
木牛流馬
「木牛流馬」も、黄夫人の発明だったとする説がある。
宋の時代に編纂された『事物紀源』によれば、木牛は「長柄をつけた四輪の車」とされ、流馬は「一輪車」と記述されている。
また、『諸葛亮集』には木牛流馬の部品に関する詳細な説明が記されているが、具体的な形状や構造についての記載はない。
輸送能力についても不明であるが、部品に関する記述が残っていることから、実際に組み立てられて使用されていた可能性はある。
猛虎が猛犬を追うカラクリ
ある時、孔明が黄承彦の家を訪ねると、いきなり猛犬や猛虎が飛び出してきた。
孔明は驚いたが、それらは猛虎が猛犬を追っているカラクリ仕掛けだった。
さらに客間に入ると、カラクリ仕掛けの木人形が茶を運んできたという。
蕎麦打ちカラクリ
ある時、孔明が劉備らと共に作戦会議をしていた際、黄夫人に「蕎麦を作ってくれ」と頼んだ。
すると驚いたことに、すぐに蕎麦が出てきた。
孔明はその不思議を解明すべく、別の機会に再び蕎麦をお願いし、こっそり作る様子を観察した。
やはりカラクリ仕掛けが使われており、できた蕎麦を黄夫人が茹でていた。
二人の間に生まれた一人息子
ここからは『正史』に記録されている史実である。
孔明と黄夫人の間には養子と実子がいた。
養子の諸葛喬(しょかつきょう)は、孔明の兄・諸葛謹の次男である。
喬は才知に富む若者に成長し、北伐に同行させられている。最前線に連れて行くということは、孔明が喬に大きな期待を寄せていた証拠である。
この時、孔明は兄の息子に危険な任務を与えてしまったことを申し訳なく思い、諸葛謹に「喬には軍務の勉強をさせています」と手紙を書き送っている。しかし、思いもよらない悲劇が起こる。
喬はわずか25歳という若さで病死してしまったのだ。
孔明と黄夫人の間に実子が誕生したのは、結婚してから20年以上経ってからであった。(※側室との間の子という説もある)
その実子、諸葛瞻(しょかつせん)は、養子である喬の亡くなる前年に生まれた。
孔明は遠くの赴任先でこの喜ばしい知らせを受け、瞻に「思遠」という字を与えた。
「遠く思う」という意味である。
孔明はこの晩年に設けた息子を非常に溺愛し、兄の諸葛謹に手紙を送るほどであった。
瞻は8歳の時に父である孔明と死に別れるが、文才に優れた賢い人物として成長し、人々から尊敬される存在となった。
しかしながら、263年に蜀はついに滅亡のときを迎える。
瞻は、魏から「降伏すれば高位に取り立てる」という提案をされたが、これを拒絶し、魏軍との戦闘中に息子と共に戦死してしまった。
最後に
正史には黄夫人の母親としての具体的なエピソードは記録されていないが、彼女は孔明とともに家族として幸せに暮らし、子供たちに知恵と教育を提供した偉大な母親であったろう。
貂蝉をはじめとする三国志に登場する女性たちは、正史に残されている情報が少なく、多くの場合、架空の人物と見なされている。
これがかえって想像力を刺激し、多様な物語や逸話が生まれ続ける要因となっているのだろう。
黄夫人もその一人であり、彼女の逸話は後世の人々に語り継がれ、三国志の世界をより豊かに彩っている。
参考:『正史三国志』『三国志演義』他
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