三國志

諸葛孔明の北伐はいかに難しかったか【祁山と登山家馬謖を考察】

北伐の鍵となった祁山とは

諸葛亮の北伐

※五丈原・諸葛亮廟 wiki(c)Morio 

三国志終盤の中心となる蜀の北伐だが、読んでいると「祁山」(きざん)という名前が度々登場する。

蜀軍は第一次北伐第四次北伐祁山に赴いているが、日本の三国志ファンに質問して祁山が何処にあるのか、どのような地形なのかと即座に浮かべられる者は少ない。

蜀の軍事的トップとして祁山に進出した諸葛孔明は何故祁山にこだわったのか。

今回は、三国志でも有名な地名の一つである祁山に焦点を当てて、その重要性に迫る。

蜀の地形から見える限られた行軍ルート

諸葛亮の北伐

※三国時代・要図 wiki(c)Yeu Ninje

蜀軍が北伐の目標として祁山を選んだ理由だが、まずはという国の環境と地形に注目する。

作中でも言及されている通り、蜀は険しい山に囲まれた天然の要塞であり、行軍中の蜀軍兵士の中からも転落して死者が出るほどであった。(コーエーテクモゲームスの三國志シリーズの過去作では益州も簡単に攻略出来たためプレーしただけではピンと来なかったが、最新作の14では行軍に掛かる時間やそれに伴う兵糧の消費の激しさから蜀を攻める事の難しさを体感出来るようになっており、苦労せずに蜀を滅ぼしたように見える魏軍の苦労が実感出来る)

守る分には最適な環境であるため蜀を攻める事は難しかったが、逆に言うと蜀から魏を攻める事もかなり難しく、行軍ルートも限られていた。

勿論、孔明もこんな険しいルートは通りたくないのが本音であり、当然ながらもっと安全なルートを使いたかった。

そのために交通の要衝である荊州が必要であり、天下三分の計は荊州を押さえている事が大前提だったが、関羽が荊州を失った事によって計画が頓挫してしまう。

荊州から攻める道を失った蜀が魏を攻めるには険しい山道を通るしかなく、その先にある重要拠点が祁山だった。

祁山を攻める意味と第一次北伐

諸葛亮の北伐

※魏と蜀の主な戦いがあった地域 (参考:みてみんのマップを元に作成)

祁山は現在の甘粛省にあるが、最終的な目標である長安へ進むために遠回りではあったが、最も安全なルートでもあった。

勿論、安全だから単純に祁山を選んだ訳ではなく、祁山を落とせば魏と涼州を分断出来るため、蜀が逆転するための「ワンチャンス」に賭ける意味も込められていた。

また、涼州には強力な騎馬軍団を保有する羌族(きょうぞく)がおり、涼州を手に入れて彼らを味方にする事は戦力に劣る蜀にとって大きな意味を持っていた。

第一次北伐は孔明の計画通り進み、天水、南安、安定の三郡に加え、自軍から締め出され行き場を失っていた武将、姜維(きょうい)を手に入れる。

次に蜀軍は隴西を狙うが、太守の游楚(ゆうそ)による徹底抗戦によって苦戦する。

それと同時に、蜀の快進撃に危機感を持った魏の二代目皇帝の曹叡(そうえい)が軍を出して、失った領地の奪還のため張郃(ちょうこう)を派遣したため、蜀軍は迎撃の対応に迫られる。(演義に於ける街亭の戦いで活躍する司馬懿だが、正史では第一次北伐には登場しない

街亭の戦いの登山家 馬謖

諸葛亮の北伐

※馬謖

孔明は馬謖(ばしょく)と王平街亭に向かわせるが(街亭の戦い)、ファンの間で「登山家」と呼ばれる馬謖が山の上に布陣して、水の補給路を失うなどの悪手を打ち続けたため蜀軍は大敗を喫する。

孔明としては馬謖が守っている間に涼州を平定したいところだったが、街亭の敗戦によって引き上げざるを得なくなってしまった。

蜀から魏に攻め込む初めての大規模戦闘だった第一次北伐は、前例(過去のデータ)がなかった事から蜀軍の優勢に進み、皇帝を動かすほどの快進撃を見せたが、たった一度の敗戦によって全てが台無しとなってしまった。

泣いて馬謖を斬ったり、孔明を初めとする重臣の相次ぐ降格があったりと、それぞれの形で敗戦の責任を取る事になったが、最も大きかったのは、魏を攻める最初で最後のチャンスを逃した事だった。

北伐の真実

※諸葛亮と司馬懿

その後の歴史が語る通り、孔明は北伐と失敗を繰り返して最後は陣中で病没している。

演義では孔明を神のような天才軍師として描いているため、歴史を知らない読者はまさかのバッドエンドに驚くが、冷静な視点で見ると魏と蜀の差は一人の才能では埋められないほどの差があり、蜀の国力で魏に挑む時点で無謀すぎた。

第一次北伐以降は、蜀の進行ルートや作戦の傾向といった情報が魏に集まって対策されている上に、兵糧不足と常に隣り合わせのギリギリな状況(長期戦は不可能)で戦わざるを得ない状況だった。

この蜀の致命的な弱点は、魏にとって「何もしなくても勝てる」ありがたいものであり、そもそも魏から真っ向勝負を避けられた蜀軍が兵糧切れのため撤退するパターンが多かった。

演義では数々の名勝負が繰り広げられた北伐だが、実際は地味な睨み合いと蜀軍の苦戦が大半だった。(演義を読んでいると物語的に盛り上がるところで蜀軍が引き上げているが、大半は演義の演出である

もしも街亭の戦いで勝っていたら?

蜀が勝つ最初で最後の大チャンスであった第一次北伐に失敗した時点で「詰み」だった訳だが、仮に馬謖が街亭を守っていたら戦況はどのように変わっていたのだろうか。

涼州と騎馬軍団を取り込んだとしても魏とは人口だけでも三倍以上の差があり、現実的に考えれば魏が相当な悪手でも打たない限り兵力差を覆して勝つのは難しかった。(蜀軍が態勢を整えて長安を攻めたとしても、魏軍から見れば無理をせず守っていればいいのだから難しい話ではなかった

領地と人口が増えるため蜀の国力は確かに強化されたといえるが、その戦力だけで魏を滅ぼすのはほぼ不可能だった(後に挟撃して来た呉と蜀をどちらも退けるだけの強さを証明している)ため、涼州を持っていたとしても将来的に蜀の寿命がいくらか延びたくらいの意味しかなかったと考察する。(魏から攻められた時の防衛ラインとして祁山は活躍しただろうが、いつまでも守れた訳ではないし別のルートから攻められた可能性もある

絶望的に不利な状況をひっくり返して天下統一を果たすのはゲームの楽しみだが、それはあくまでゲームの話であり、正史を知れば知るほど北伐の難しさを実感させられる。

 

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浦和レッズ、フィラデルフィア・イーグルス&フィリーズ、オレゴン州立大学、シラキュース大学を応援しているスポーツ好きな関羽ファンです。

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