川越市は、都心からのアクセスが良好で、観光スポットとしても非常に人気があります。
江戸の風情を伝える町並みが残る「小江戸」として知られ、多くの観光客に親しまれています。
しかし、なぜこのように江戸の町並みが川越に残ったのでしょうか。
今回は、川越の歴史をひも解きながら、その形成過程について探ってみます。
目次
平安時代~室町時代の川越
「川越」という地名の由来は、平安時代末期から南北朝時代にかけて武蔵国で勢力を誇った豪族「河越氏」に遡ります。
河越氏は現在の川越市上戸に拠点となる「河越館」を築き、河越重頼(しげより)の代には、娘を源義経の正妻とするなど、その勢力を広げました。
その後、室町時代後期には上杉持朝(もちとも)の命により、家臣の太田道真・道灌親子が川越城(河越城)を築きました。
この川越城が、川越の町並みの基礎を築く契機となったのです。
北の守りとして重要視された江戸時代 ~明治の川越大火
江戸時代、川越は徳川将軍家から「江戸の北の守り」として重要視されました。
そのため、藩主には徳川家の一族である「親藩」や、先祖代々徳川家に仕えてきた「譜代」などの有力大名が置かれました。
また、新河岸川(しんがしがわ)による舟運の便も良かったことから、江戸への物資の供給地点としても便利だったのです。
城下には農産物や特産物が集まり、川越は「江戸の台所」とも呼ばれる商人の町として繁栄していきます。
江戸との交流が盛んであったため、文化の影響も大きく受けました。例えば現在でも有名な「川越まつり」は、神田明神や赤坂日枝神社の祭礼の影響を強く受けた山車祭りです。
また「蔵造りの町並み」は、火事が多かった江戸でよく見られた建築形式です。
明治26年に発生した「川越大火」によって約1/3の建物が失われましたが、防火性能の高い蔵造りの建物、例えば「大沢家住宅」などは焼け残りました。
余談ですがこの大火の際、埼玉県深谷市出身の渋沢栄一が、義援金や生活物資などを送っています。
川越大火で焼け残った「大沢家住宅」
大沢家住宅は、呉服太物商、西村半右衛門(屋号「近江屋」)が建てた町家で、川越大火の際に焼け残った貴重な建築です。
棟木に打ち付けてある祈祷札及び神棚の墨書から、江戸時代後期(1792年)に建設されたことがわかっています。
大沢家住宅は、その優れた防火性能が川越商人たちに大きな影響を与え、川越における蔵造りの町並みが形成されるきっかけとなった、非常に貴重な建築物といえるでしょう。
現在は、国指定重要文化財に指定されています。
また、1989年大規模な修理が行なわれ、創建当時の姿に甦りました。
現在では、1階部分で川越の民芸品が売られており、内部を見学することも可能です。
大沢家住宅
所在地:埼玉県川越市元町1丁目15−2
蔵造りの建物とは
蔵造りとは、木を骨材とし、外壁を漆喰などの土壁で仕上げた耐火建築物構造を指します。
川越の蔵造りは、江戸時代に多く見られた建築形式を踏襲しつつ、レンガや大谷石、御影石などの新しい建材を取り入れることで、独自の町並みを形成してきました。
「蔵造りの町並み」が現存している理由
「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるほど火事が多かった江戸でも、蔵造りの建物がずらりと並んでいましたが、関東大震災や東京大空襲といった災害でその多くが失われました。
一方、川越は大規模な災害や空襲の被害を奇跡的に免れたため、蔵造りの町並みが戦後も残りました。しかし、戦後の高度経済成長や生活様式の欧米化に伴い、蔵造りの建物は不便だとして取り壊しが相次ぎました。
そうした中、地元の商店街や住民が声をあげ、1965年ごろから街づくりに改めて取り組むことで、現在の魅力的な川越の街が保持・形成されることになったのです。
こうして住民たちの努力によって残された街並みは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されています。
江戸の風情が感じられる観光スポットのご紹介
・川越城本丸御殿
川越には、江戸の風情を感じられる観光スポットがいくつもあります。
川越城は前述したとおり、室町時代後期に上杉持朝(もちとも)の命により、家臣の太田道真・道灌(どうかん)親子が築きました。
現存する建物は江戸時代に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。
川越城
所在地:川越市郭町2丁目13番地1
・徳川家ゆかりの「喜多院」「仙波東照宮」
喜多院の27世住職である天海大僧正は、徳川家康から絶大な信頼を得ており、幕府の宗教行政に深くかかわっていました。
喜多院には「徳川家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」が現存しており、これらは江戸時代初期に発生した火災によって喜多院がほぼ全焼した際、再建のために江戸城紅葉山の御殿から移築されたものです。
喜多院
埼玉県川越市小仙波町1丁目20−1
「東照宮」とは徳川家康を祭る神社のことですが、仙波東照宮は日本三大東照宮の一つとして挙げられることがあります。
家康が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海大僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、江戸時代に建立されました。
重要文化財に指定されています。
仙波東照宮
埼玉県川越市小仙波町1丁目21−1
・蔵造り資料館
明治26年川越大火後に、当時煙草卸商を営んでいた小山文造(屋号「万文」)が建てた蔵造りです。
現在は蔵造り資料館として、川越の蔵造り家屋の意匠や構造を見学できます。
※現在、耐震化工事を行っており休館中です。(2024年8月時点)
蔵造り資料館
埼玉県川越市幸町7番地9
終わりに
川越の蔵造りの町並みは、川越大火という災禍を教訓にして生まれ、数々の幸運に恵まれながら今日までその姿を保ち続けてきた貴重な文化財です。
その価値は、単なる歴史的建造物にとどまらず、現代においても人々の生活の場として息づいている点にあります。
川越を訪れる際には、この歴史ある町並みにぜひ足を運び、その魅力を感じていただきたいと思います。
参考:
『川越の蔵造りー川越市指定文化財指定報告書ー』川越市教育委員会
文化庁 「重要伝統的建造物群保存地区一覧」と「各地区の保存・活用の取組み」
文 / 草の実堂編集部
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