昭和39年(1964年)、東京~大阪間に世界初の高速鉄道、東海道新幹線が開通した。
昭和39年といえば、終戦からわずか19年である。
戦争で焼け野原となった日本が、20年足らずで最新鋭の新幹線を開通させた事実は、世界中を驚かせた。
なぜ、日本はこれほど早く新幹線を開通させることができたのか。
実は、新幹線誕生の裏には、戦前の驚くべき計画が隠されていたのである。
幻の「弾丸列車計画」
実は新幹線は、戦後になって企画立案されたものではない。
計画自体は戦前に作られ、着工のゴーサインまで出ていた大プロジェクトだったのである。
戦前の新幹線構想は「弾丸列車計画」と呼ばれており、「東海道線、山陽線にこれまでにない高速鉄道を走らせる」というものだった。
このプロジェクトの背景には、日本の産業の急成長という要因があった。
東海道、山陽本線は、東京~関西~九州を結ぶ日本の大動脈であり、ただでさえ輸送量は多かった。
それに加え、日本は朝鮮を合併し、満州国まで成立したとなると、大陸向けの輸送量はさらに増大する。
日本満州間の旅客量も、昭和年には30万人だったが、昭和12年には52万人、昭和14年には90万人を超えていた。
東海道線と山陽本線はパンク寸前だったのだ。
そこで昭和13年に東海道、山陽本線とは別に広軌道の鉄道を走らせる「弾丸列車計画」が打ち出された。
この計画は、鉄道省や軍部との何度かの審議の後、昭和15年に実行が決定した。
建設計画では、時速200キロ、軌間1435ミリ、車両の長さ25メートル、ホームの長さ500メートル、1日に片道42本の旅客列車を走らせる予定だった。
移動時間は東京~大阪間を4時間30分、東京~下関間を9時間を目標としていた。
東京~大阪間の数値は、後に開業する東海道新幹線の当初の移動時間と非常に近い。
鉄道省は、この新鉄道を当時の最先端技術である「電車」で運行しようと考えていた。
しかし、軍部はこれに猛反対。
電車だと変電所が爆撃されれば一発で動けなくなるからだ。
このため、鉄道省は軍部の意向を受け入れ、最終的に蒸気機関車での運行に同意した。
蒸気機関車で時速150キロ以上を出すのならば、かなり大型の動輪が必要になる。
(動輪とは、原動機のエネルギーを受け、回転して動力に変える装置のことである。バイクで言うところの後輪のようなものだ。)
弾丸列車計画では、動輪の直径を2メートル30センチにする予定だった。
日本の代表的な蒸気機関車D51の動輪が1メートル40センチなので、それを1メートル近く上回ることになる。
もし、これが完成していれば、怪物のような蒸気機関車になっていたことだろう。
日本と朝鮮半島をつなぐ仰天の計画
実は、このプロジェクトには、さらにスケールの大きな目標もあった。
弾丸列車計画は、東京と西日本を繋ぐ国内の高速鉄道構想であったが、同時に日本の大東亜共栄圏構想の中で、東京から朝鮮半島、さらには北京へと鉄道を延伸する計画も検討されていたのである。
下関から朝鮮半島まで海底トンネルを掘り、鉄道を直通させる案もあり、実地調査も行われていた。
夢のような話であるが、当時はかなり乗り気だったようだ。
当時、日本の鉄道技術はすでに世界的なレベルに達していた。
昭和6年には上越線で世界最長の清水トンネルの開通に成功しており、昭和17年には関門海峡において、世界初の海底鉄道トンネルが完成している。
朝鮮半島まで伸びる海底トンネルの構想も、決して夢物語ではなかったのだ。
また、この時期には、さらに広範な鉄道建設計画が議論されていた。
昭和13年には、鉄道省の監察官だった湯本昇が「中央アジア横断鉄道構想」を提唱した。
これは、朝鮮半島を経て北京までを繋ぎ、さらにアフガニスタンのカブール、イランのテヘラン、イラクのバグダッドまで、延べ7474キロを直通する鉄道を建設しようとする構想である。
つまり、古代のシルクロードに、そのまま鉄道を通してしまうというものである。
そして、ヨーロッパ側の鉄道網と接続し、ベルリンまで繋ぐという壮大なプロジェクトでもあった。
さらに、満鉄(南満州鉄道)の第10代総裁であった山本条太郎も、上海、ロシア経由で、ヨーロッパまでを繋ぐ鉄道の構想について言及していた。
当時、日本からヨーロッパへ行く場合はシベリア鉄道を使っていたが、ソ連の国情不安定が理由で使えなくなることもしばしばあった。
そのため「いっそのこと中央アジアを経由する鉄道を作るべき」と考えられたのだ。
もちろん、これらの壮大な計画は、戦局の悪化とともに潰えてしまった。
しかし、弾丸列車計画は戦後20数年を経て、その理念を引き継いだ形で東海道新幹線として実現することとなった。
戦前に弾丸列車計画で買収された東海道区間の用地や、着工していたトンネルの一部は、後に東海道新幹線の建設において大いに活用されたのである。
中央アジア横断鉄道のような広大な構想も、今後の技術の進展や国際情勢の変化によって、いつか実現する日が訪れるかもしれない。
参考 :
『弾丸列車』著/前間孝則
『教科書には載っていない!戦前の日本』著/武田知弘
文 / 小森涼子
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