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人間とAIの幸せ『アイの歌声を聴かせて』の感想と考察 ※ネタバレ有

待ちに待った8年ぶりの新作

2020年9月10日。何となくTwitterを見ていたら、とあるツイートに目を奪われた。

筆者は『イヴの時間』がニコニコ動画にアップされた時から吉浦康裕監督のファンであり、久々の新作が2021年に公開となったら見るしかない。

2021年10月29日に『アイの歌声を聴かせて』の公開が始まると早速映画館で見て来た訳だが「吉浦監督らしい作品で映画館で見る価値のある映画だった」と、何にでも当てはまる感想を述べてもつまらない。

今回は、『アイの歌声を聴かせて』の感想と考察を纏めてみた。

幸せのために行動するシオン

『アイの歌声を聴かせて』のあらすじを前半と後半に分けて簡単に書くと、学校で孤立していた主人公のサトミ(天野悟美)に対して「ある人物」から「サトミを幸せにする」という命令を受けたAIのシオン(芦森詩音)が奮闘するのが前半の主な流れだ。

予告映像にもある通り、シオンは人間ではなくロボットであり、いきなり人前で歌い出すなど人間の常識を知らない行動を連発する。

そんな彼女が試行錯誤を重ねながら「幸せ」という曖昧な言葉のため行動するのは一見するとベタながらも、短い時間で人間の感情などを学んでサトミ達を幸せにする姿にこちらも笑顔になる反面、ネット上の考察を見てからは「恐い」とも感じるようになった。

(人間ではないから)行動や発言に「何かがおかしい」と違和感を感じさせながらも笑顔で周囲を振り回すシオンにこちらも笑顔にさせて貰い、シオンの影響でサトミ自身も彼女の周囲も幸せになる訳だが、シオンの行動は終盤で明らかになる「とある人物」の命令だった事が判明する。

実はホラー?何かが違えば起こり得た未来

シオンがサトミ達の前に現れたのは、AIが人間に紛れ込んで高校生活を送れるかという実地テストであり、舞台となっている景部市(新潟県佐渡島を元にした架空の都市)一帯を占める星間エレクトロニクスで働くサトミの母、美津子をリーダーとした一大プロジェクトだった。

月曜を始点に金曜までの5日間バレずに過ごせれば成功という、美津子の研究者人生を懸けた大勝負は僅か半日でサトミを初めとした5人にバレてしまうのだが、帰宅した美津子は何故か「大成功」と喜んでいた。

シオンの行動データは美津子の元へ送られており、転校早々歌い出すといった奇行は勿論、機能停止してAIとバレた事も逐一把握しているはずなのだが、サトミの想像とは真逆のリアクションは不自然以外の何物でもなかった。

翌日、シオンの秘密を知る一人でサトミの幼馴染みでもある素崎十真(トウマ)に話すと、トウマは得意のハッキングでシオンが会社にダミーのデータを送っていた事を突き止める。

話が理解出来ず更に混乱するサトミだが、トウマはシオンが歌っていた実際の映像と、何者かが差し替えた監視カメラの映像をサトミに見せる。

学校のセキュリティAIと共謀してリアルタイムでダミーの映像を作り、それを送るという芸当(専門用語でいう「ブースティング」)が出来る(それを行うメリットがある)のはシオンしかいないという訳だ。

人間の常識を知らない「ポンコツAI」が起こすドタバタ劇の色が濃い前半のコミカルな雰囲気に流されてスルーしそうになるが、シオンは人間が依存しているAIを支配出来る力を持っている事に気付くと彼女に対する印象も変わって来る。

サトミを幸せにする」というポジティブな命令のために動いているから作中では誰も指摘しなかったが、シオンに与えられた命令が「人間が生活に依存している世界中のAIの支配」なら、シオンはAIによるクーデターを起こして世界(更には人類)を支配する事も出来た訳だ。

映画館から出た後に他の方の感想や考察を見ようと検索した時に「アイの歌声を聴かせて ホラー」という物騒なサジェストが出て来たが、それを見た吉浦監督は「そんなつもりで作った訳ではない」と飛躍した考察を原作者として公式に否定しつつも「でも言いたい事は分かる」と考察勢の考察を楽しんでいた。

シオンの正体

物語は後半に入り、頑として一人でいたがるサトミを変えるべく、シオンはそれぞれ悩みを抱えていたサトミの周囲を幸せにする事によってサトミも幸せにしようと画策する。

それによってサトミの顔にも笑顔が戻り、みんなが幸せになったと思われたが、学校を抜け出してサトミの家で遊んでいた(会社の命令以外の行動をした)事がシオンの送迎をしていた社員にバレてシオンは会社に連れ戻されてしまう。

一世一代のプロジェクトは失敗となり、美津子は自暴自棄の酒浸りになってしまう。

自分達の中心となっていたシオンがいなくなった事によりサトミ達の雰囲気も暗いものになるが、残されたデータからトウマはシオンの「正体」に気付く。

出会った当初からサトミを幸せにするという「命令」にこだわっていたシオンだが、思い返すと初対面のサトミを昔なら知っている素振りを見せるなど不自然な点があった。

トウマが発見したシオンのデータをサトミ達に見せると、それは幼い頃のサトミの写真と動画だった。

母親の美津子ですら撮った覚えのないデータが何故シオンのデータにあるのか?

注…ここから完全なネタバレになるので、見ていない方はご注意下さい。

実は、シオンというAIは8年前に美津子が作ったおもちゃに組み込まれていたAIをトウマが改造したものであり、シオンにサトミを幸せにするという「命令」を与えたのは他ならぬトウマだった。(AIの思考ルーティンを計算してシオンを上手くコントロールしていたトウマだが、何故サトミの事を知っていたのか聞こうとしたトウマに対して「その質問、命令ですか?」と、AIに戻って機械的な表情で返すなど、シオンはトウマを「自分に命令を与える者」として見ている節があった

更に補足すると、サトミ達と親しく接していた「彼女」は「AIの入った器」でしかなく、シオンが入っていたおもちゃを初期化されてからはネットワークの世界を歩き回り、カメラなどあらゆる機械に入ってサトミを見守っていた。

『アイの歌声を聴かせて』は現代版のかぐや姫?

美津子は8年前に作った古いAIがそこまで出来るはずがないと驚くが、AIも学び進化する訳で、その結果がサトミ達の得た幸せだった。

サトミ達はもう一度シオンに会いたいと美津子に協力をお願いして、6人で星間に乗り込んでシオンを奪還するとともにネットワークの世界へと帰す。

シオンとの別れから程なくして、サトミの携帯に人工衛星からの着信が入る。

その相手は、ネットワークを伝って人工衛星へと移っていたシオンだった。

『アイの歌声を聴かせて』はシオンと再会して終わる訳だが、ネタバレ厳禁との事で帰ってから読んだパンフレットには「サトミが子供の頃に好きだった劇中劇のムーンプリンセスはかぐや姫がモチーフ」と書いてあった。

上映前にTwitterで紹介されていて気になっていたが、両親の離婚に加え美津子も多忙で留守にしがちなど決して幸せといえる人生を送って来なかったサトミだが、大好きなアニメであるムーンプリンセスを見て、歌ったり踊ったりいる時だけは笑顔になっていた。(余談だが、別れた父親を泣きながら見送るところをシオンは駅のカメラから見ている

そういう意味でムーンプリンセスはストーリーに深く関わっているのだが、シオンは過去の記憶から自分が歌って踊ればサトミは笑顔(幸せ)になると考え、いきなり歌い出した訳だ。(AIだから自己紹介で歌い出す事に違和感も恥ずかしさもない

最初のサトミのリアクションを見て分かる通り、歌えばサトミは幸せになるというシオンの判断(予想)は間違いだったが、唐突に始まったシオンのミュージカルに巻き込まれる形で彼女の秘密を知ったアヤ(佐藤綾)、ゴッチャン(後藤定行)、サンダー(杉山絋一郎)の3人は紆余曲折を経てサトミの友達となり、トウマも含めた5人はシオンのお陰で幸せになれた。

そして、8年という長い月日を経てトウマから与えられた命令を完遂させたシオンも「幸せ」となり、サトミ達とシオンで噛み合っていないが、主要人物が全員幸せになって終わるのは、ハッピーエンドにこだわって脚本を書いたという吉浦監督の想定した通りのエンディングになったと言える。

映画を見た後に吉浦監督のインタビューを読んで、シオンがネットワークの世界に帰るという結末は決めていたと語っているが、ここでかぐや姫のストーリーを思い出して欲しい。

かぐや姫のお陰でおじいさんとおばあさんは大金持ちになり、二人を幸せにしてから最後は月へと帰っている。(お金が幸せにしてくれるのは昔も今も変わらない

かぐや姫の結末はハッピーエンドではないが、かぐや姫のストーリーを現代風にアレンジして、結末もハッピーエンドにしたら『アイの歌声を聴かせて』になったという考察は個人的にかなり説得力のある説である。

起こり得る未来?

今回は『アイの歌声を聴かせて』の感想と考察を書いて来たが、自分の声でカーテンを開いたり自動で米を炊いてくれたりする(固さまでリクエストに応えてくれる)など何でもAIがやってくれて、人間がAIに依存する未来は(自分が生きている間に実現するかは分からないが)間違いなくやって来る。

人間とAIをテーマにした作品は多々あり、吉浦監督の代表作である『イヴの時間』のように人間と同じような思考や行動を持つAI(アンドロイド)もそのうち現れるのだろうか。

映画を見て恐怖を感じた人がいるように、人間に使われているAIも進化によって嘘の報告や場合によっては人間に対する反乱を起こす可能性も否定出来ない。

この作品ではシオンに命令を与えたトウマがサトミに対する好意と優しさがあったからシオンも超善良かつ誰からも愛される存在になったが、シオンに命令を与える人物が世界征服を企む悪の存在だったら別ジャンルの映画となっていた。(そういう作品も面白そうだが

吉浦監督がハッピーエンドにこだわって書いてくれたからこそ幸せな結末になったが、ファンとしてストーリーを楽しみつつ、AIとは何なのかを考えさせられた。(タイトルの「アイ」には「愛」「AI」そして「I(=私)」という三つの意味が込められているとの事で、英語版タイトルの『Sing a Bit of Harmony』も含め非常に上手く考えられたタイトルだと思う

『イヴの時間』の頃から吉浦作品を追っているが、吉浦監督を初めとした全ての関係者に感謝の言葉を述べたい。

素晴らしい作品をありがとうございました。

 

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mattyoukilis

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