1871年(明治4年)に「廃藩置県」が行われた。
その直前の江戸時代までは261の「藩」に分かれていた。
廃藩置県は明治政府が行ったもので、中央集権国家とするためにそれまでの藩の地方統治を廃止し、府県を置く事で政府が全国を治めるようにした行政改革である。
廃藩置県で3府302県となり、何度か合併や分割を繰り返し、1947年(昭和22年)に現在の47都道府県となった。
廃藩置県から150年以上経っている事や、合併、分割を繰り返した事により名前の由来が諸説あり、不明瞭な所もあるが、今回はその中から10カ所の由来を紹介したいと思う。
北海道
幕末の探検家・地理学者で蝦夷地アイヌ研究の先駆者である松浦武四郎が挙げた名前の候補の中から「北加伊道」が選ばれ、後に「北海道」となった。
「加伊」(かい)は先住民族のアイヌの人々が、自らの国を「かい」と呼び、アイヌ語で「その土地に生まれた人・住む人」という意味がある。
これに律令国家の広域行政区画である「五畿七道」(都・現京都に近い5つの国と、それ以外の7つの地域の名称がついている街道)に倣い、「道」と組み合わせたとされる。
七道は、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道を指す。
岩手県
盛岡市に伝わる「鬼の手形伝説」が由来とされている。
昔、人々を困らせる鬼がいて、人々が信仰の対象にしていた「三ツ石様」(みついしさま)と呼ばれる3つの巨大岩に祈りを捧げると、その岩の神様が現れ、鬼を岩に縛り付けて二度と悪さをしないと約束させた。
その約束の証として、岩に鬼の手形を残させたのが「岩手」の始まりとされる。
福島県
福島盆地は霧がかかりやすく、霧がかかった時に見下ろすと、福島市の北部にある信夫山(しのぶやま)が盆地の中心に浮かぶ「島」のように見えていた。
また信夫山には奥羽山脈からの「吾妻おろし」と呼ばれる季節風が吹く事から「吾妻おろしが吹く島」=「吹島」となり、「吹」に縁起の良い「福」を当てはめて「福島」になったとされる。
群馬県
現在の群馬県高崎市は昔は「群馬 : くるま」という名前だった。
律令時代における上野国の13群の1つだった「群馬 : くるま」はもともと「車」を元にしたものと考えられている。
なぜ「車」と呼ばれていたかというと、大和朝廷において天皇の乗り物、神社の神輿の制作や管理を受け持った「車持部」(くるまもちべ)という職業部を管理した、豪族・車持公(くるまもちのきみ)が住んでいたからだとされる。
高崎と前橋にあった郡が合併してできた群馬県となった。県庁を高崎と前橋どちらに置くかもめて、前橋に県庁を置く代わりに、高崎の郡名である「群馬」が県名に採用されることになったという。
福井県
もともと福井藩の城下町は「北庄」(きたのしょう)という地名だった。
しかし1624年(寛永1年)に松平忠昌が新たな藩主となった際に、北庄の「北」が敗北を連想し不吉という事から「福が居る場所」にあやかった「福居」に名称を変更し、さらに元禄時代頃から「福井」へ改称された。
岐阜県
1957年(永禄10年)、稲葉山城に入城した織田信長は、僧侶かつ自身の参謀役でもあった沢彦宗思(たくげんそうおん)に、城を改名するため良い名前はないか尋ねた。
すると沢彦宗恩は「岐山 : きざん」「岐陽 : きよう」「曲阜 : きょくふ」の3つの名前を提案した。
この3つは中国では縁起が良い場所とされていて「岐山」は中国の陝西省にある山で、周王朝になる時に鳳凰が舞い降りたと言われている。
「岐陽」は、岐山の南にある土地で、周王朝二代目・成王が狩りをした場所と言われ、「曲阜」は山東省にある地名で、孔子が生まれた地として有名である。
この中から「岐山」と「曲阜」を組み合わせて「岐阜」にしたとされる。
京都府
中国では古くから首都の事を「京 : きょう」「京師 : けいし」「京都 : けいと」などと呼んでいた事から、平安時代頃に「京都 : きょうと」と呼ぶようになった。
日本では「京」という字には「天皇が住むところ」という意味があり、江戸時代まで京は京都にあった。
1868年(慶応4年)に遷都が決定し、江戸が東京と改められ、後に天皇が東京へと移り首都になった。
大阪府
元は大きな坂があった事から「大坂」になったといわれる。その坂は上町台地(うえまちだいち)だと考えられている。
江戸時代に「坂」の字は「土に反る=死んで土にかえる」と縁起が悪い事から「大阪」と書くようになった。
当初は「大阪」と「大坂」が混用されていたが、1871年(明治4年)に明治政府により正式に「大阪」となった。
広島県
安土桃山時代の武将・大名である毛利輝元が、1589年(天正17年)に築城した際に、毛利氏の祖先である大江広元(おおえのひろもと)の「広」と、城地選定の案内役をつとめた地豪・福島元長の「島」を合わせ、広島城と名付け、城の名前がそのまま地名となった。
愛媛県
古事記における国生み神話にて、伊邪那伎(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の夫婦神が日本の国土を産み、多くの神々を産んだという話で、夫婦神により「伊予之二名島」(いよのふたなのしま)と呼ばれる4つの島(四国のこと)が誕生し、それには2男神・2女神が宿っていて、伊予の国(愛媛の旧国)には愛比売(えひめ)という女神が宿った。
これが後に「愛媛」に変わっていったとされる。愛媛県は日本で唯一、神様の名前が付けられている。
県名にはそれぞれの由来があり、言葉の縁起に関係していたり、ゆかりのある人物の名前からだったりとさまざまな成り立ちがある。
諸説あるため一概にはいえないが、47都道府県を網羅したら面白いかもしれない。
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