エリオット・ペイジが主演を務めた、『アメリカン・クライム』は、2007年1月19日に、アメリカにて、上映されました。
実在の児童虐待事件を題材にした過激描写が多いため、日本では未公開となりDVDを買う人が大半となっています。
「アメリカン・クライム」は、アメリカのインディアナポリスにて、当時16歳だった一般女性、シルヴィア・メアリー・ライケンス(Sylvia・Marie・Likens)に凄惨な虐待を加えた女殺人者、ガートルード・バニシェフスキーとの事件に触れたノンフィクションです。
題材になった「ガートルード・バニシェフスキー事件」とは
ガートルードは、16歳の時に高校を中退し、18歳の時に保安官助手をしていたジョン・バニシェフスキーと結婚し、4人の子宝に恵まれました。
しかし、夫のドメスティックバイオレンスによって、離婚しました。
その後、別の男性と結婚し、2児をもうけるものの再び離婚しました。
さらに、3度目の相手と結婚しますが、そこでも暴力を振るわれて離婚しています。
シングルマザーという環境、持病の喘息など、貧困が原因で、ガートルードはかなりのストレスを抱え込んでいました。
そんな彼女に訪れた転機が、少女シルヴィアとの出会いでした。
嫉妬からの虐待
元々、ガートルードの長女、ポーラとシルヴィアは友達で、ガートルードは、シルヴィアの父親とは顔見知りでした。
両親が出張などで多忙だったため、シルヴィアは親戚や祖父母宅に預けられることがよくありました。
生前のシルヴィアはとても家族思いで、家計を助けるためにベビーシッターなどのアルバイトを掛け持ちしていました。
それでも生活費は足らず、彼女と妹は両親が戻るまでの間、ガートルード家で生活することになったのです。
シルヴィアの父親は週に20ドルの支払いをする事を条件に、シルヴィアと妹のジェニーの面倒をガートルードに頼みました。
当初、シルヴィアは、ポーラと流行りのビートルズを歌うなど、平穏に暮らしていました。
ガートルードは彼女たちを日曜学校に連れて行くなど、信仰心もありました。
しかし、最初の週の20ドルが少し遅れただけで、シルヴィアとジェニーは、お尻を叩かれてしまいました。
それ以降、シルヴィアの父からの送金が途切れなかったにも関わらず、ガートルードはシルヴィアを標的にします。
原因は、シルヴィアの美貌と性格の良さでした。
シルヴィアは、腹部に火傷をさせられるなどの暴力を受け続けました。
学校にも行かせてもらえず、毎日、地下室で過ごしていたのです。
ジェニーは一度、姉のダイアナに、ガートルード家での状況を手紙で報告しています。
シルヴィアは、二卵性双生児の姉と兄、ジェニーの双子の弟の5人兄妹でした。
妹からの手紙を受け取ったダイアナは、一度、ガートルード家を訪問しています。
ところが、ガートルードは「悪さばかりするので、追い出した」と告げました。
再会したジェニーの怖気付く態度に違和感を覚えたダイアナは、児童福祉局に通報しています。
しかし、ガートルードの口車に騙されたソーシャルワーカーはこの件を早々と切り上げてしまったのです。
ガートルードはシルヴィアに、売春を繰り返していたという事実無根の内容の手紙を、彼女の両親宛てに書かせたこともありました。
シルヴィアは体力が衰えていくなかで、意識がまだあるうちに脱走を試みています。
しかし、玄関でガートルードに取り押さえられてしまいました。
その後、ガートルードは彼女にクラッカーやパン、水しか与えませんでした。
亡くなる直前、ガートルードの子供の一人、ステファニーが、シルヴィアの状況をさすがに不憫に思って入浴させ、それまでずっと着ていた汚れた服を新しい服に着替えさせています。
その後もステファニーは介抱を続けましたが、シルヴィアが呼吸停止していることに気付きました。
蘇生を試みたもの、シルヴィアは1965年10月26日に僅か16歳で人生を終えたのです。
事態を知ったガートルードは既にシルヴィアが息を引き取っているにも関わらず、「この詐欺師!」と罵り、本で殴りつけました。
シルヴィアが死んだふりをしていると思ったのです。
やがて、本当に亡くなったことに気付くと、息子たちに警察に通報させました。
その後、ガートルードは逮捕されて裁判となり終身刑の判決が下されます。長女ポーラは、第二級殺人で有罪判決が下されました。
ガートルードの指示で虐待に加担していた、ステファニーの恋人、コイ・ハバードとシルヴィアの同級生、リチャード・ホッブスも殺人容疑で逮捕されています。
その後、ガートルードは18年間の刑務所生活を経て、仮釈放されました。
当時、犯罪対策グループと被害者のライケンス家が協力し、虐待に反対する会を結成しています。
インディアナ州でガートルードの仮釈放を反対する活動を行いましたが、4,500人程の署名が集まったにも関わらず、釈放は阻止できませんでした。
その後、ガートルードはナディーン・ヴァン・フォッサンと改名し、アイオワ州に移住しています。
そして、1990年6月16日に肺癌で死去しました。
ガートルードの一人娘、ポーラは拘留中に一人娘を出産しますが、養子に出されました。
最後に
『アメリカン・クライム』は、この事件の真相を描いた映画で、心揺さぶるエリオットの名演が魅力です。
他には、映画『隣の家の少女 The Girl Next Door』も、この事件にインスピレーションを受けて製作されています。
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