少年誘拐ホルマリン事件とは、昭和32年に日本で起きたバラバラ殺人事件の通称だ。
日本においてのバラバラ殺人では、そのほとんどが被害者の遺体を処理しやすくするためや殺害方法の隠ぺいのために解体が行われた事件が多いが、少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人は「ある目的」のために被害者の遺体を解体してホルマリン漬けにした。
加害者の男は当時有名棋士だった林有太郎の長男で、被害者となった少年は元力士で元プロレスラーだった清美川梅之(きよみがわ うめゆき)の長男だった。
事件の異常性自体もさることながら、加害者と被害者のそれぞれの親が有名人という衝撃的な事件である。
今回はその異常性により日本の犯罪史の中でも異彩を放つ「少年誘拐ホルマリン漬け事件」について解説していこう。
事件の概要
少年誘拐ホルマリン漬け事件の被害者となった12歳の少年は、前述のとおり元大相撲力士でプロレスラーでもあった清美川梅之の長男だが、当時清美川は既に妻と離婚していたため、少年は父と離れて暮らしていた。
昭和32年の4月2日の夜に、少年は1人で銭湯に行ったがそのまま帰ってくることはなく、2日後の4月4日に母親の元に
「子どもを返してほしかったら、身代金15万円を持って東上線鶴ヶ島駅に来い」
という内容が書かれた脅迫状が届く。
母親はすぐさま警察に通報し、刑事が見張る中で脅迫状の指示通り15万円を持って鶴ヶ島駅に出向いたが、少年はおろか犯人がその場に現れることはなかった。
その後、少年の同級生から「少年が25歳前後の男と共に、銭湯から出ていくのを目撃した」という証言があったが、それだけで警察が容疑者を特定することはできなかった。
少年がいなくなってから1週間後の4月9日、都内の精神病院から警察に通報が入る。
その精神病院に入院歴がある患者の林邦太郎という男が、中野区にある自宅にホルマリン漬けにされた人間のバラバラ遺体を保管しているという通報だった。
警察が急いで林の自宅に駆け付けたところ、金魚鉢の中でホルマリン漬けにされていた少年を発見。
林は緊急逮捕されるに至った。
加害者・林邦太郎の経歴と異常性
昭和の有名棋士だった林有太郎の長男である邦太郎は、事件を起こす3年前に明治大学商学部を卒業した後、昭和30年11月から中野区立図書館に臨時職員として勤めていた。
彼と共に勤務していた図書館関係者によると、勤務中の邦太郎は礼儀正しく真面目で、業務を寡黙にこなす職員だったという。
しかしその一方で、この頃から既に邦太郎の異常な少年愛は片鱗を覗かせていた。
林家の近所の大人たちは、普段から「邦太郎には近づくな」と子どもたちに言い聞かせていたが、それは邦太郎の異常な行動が原因だった。
邦太郎は近所の子ども、しかも男児ばかりをかわいがり、道端で突然男児に抱き着いたり、銭湯やそろばん塾で言葉巧みに男児に近づいては家に連れ込んで、優しく抱きしめたかと思えば、殴ったり首を絞めたりしていたという。
邦太郎の異常な行動は、飼い猫に対しても行われた。邦太郎は一時期自宅で10匹以上の猫を飼っていて、猫たちを溺愛していた。
しかしある日、邦太郎は飼い猫たちを次々と殺害し解体して半分はドブなどに投げ捨て、もう半分は食してしまったというのだ。
邦太郎は現代ならば、凄惨な殺人事件を起こす以前に逮捕されているであろう変質的な危険人物だったが、当時は彼を奇異の目で見て忌み嫌う大人はいても、通報や逮捕にまでは至らなかった。
理想の少年として見初められてしまった被害者
被害者の少年が邦太郎に声をかけられたのは、実は4月2日が初めてではなかった。
少年は邦太郎に誘拐させる数日前にも、銭湯で声をかけられていた。
そして少年は、一緒に銭湯に行った同級生に対して「さっき僕の背中を流してくれたあの人(邦太郎)に、僕は殺されるかもしれない」と話していたという。
4月1日にも邦太郎は少年を見かけて接近したが、連れ出すことはできなかった。しかし翌日の4月2日、邦太郎は銭湯で執拗に少年を誘い出し、自宅に連れ込んだ。
家人を追い出し少年と2人きりになった邦太郎は、少年の服を脱がそうとしたが当然のごとく拒まれる。
そして邦太郎は、自分の思い通りにならない少年をあっけなく殴殺した。
しかし邦太郎にとって、被害者の少年は理想に描いていた少年像そのものだった。『若松湯』と題した自らの日記にも「ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた」と書くほどだった。
邦太郎の少年に対する愛着は少年の死後も消えることはなく、だからこそ少年の遺体を保存するために2日間かけてバラバラにしてから金魚鉢に詰めて、大事な少年の体が朽ちることのないようにホルマリンで満たしたのだ。
邦太郎の日記には、こうも綴られていた。
「金魚蜂に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。あの子は生きているときより、いっそうかわいい。親父たちがいるから、もったいないけど昼間は床下に隠す。でも隠す前には必ずサヨナラを言うんだ。でも、別れのたびに、つらい・・・」
事件後
殺人行為によってか理想の少年を手に入れたことによってか、邦太郎は興奮から錯乱状態に陥ったため、係り付けの精神病院に入院させられる。
そして邦太郎の明らかな言動の異常を認めた医師によって自宅が捜索され、少年が入った金魚鉢が発見されて通報されるに至った。
邦太郎は精神鑑定を受けたが責任能力が認められたため無罪とはならず、事件の翌年に懲役10年の判決を受けて控訴はせずに服役した。
邦太郎が少年の母親に脅迫状を出したのは、ほんのいたずら心からだった。母親に脅迫状が届いた時には既に、少年は殺されていたのだ。邦太郎は脅迫状を届けた足で熱帯魚屋に向かい、そこで少年の体を入れるための金魚鉢を4つ買ったという。
この事件は他の誘拐殺人事件と比べて、昭和の事件回顧録としてテレビなどで取り上げられることは滅多にない。それはこの事件の動機と内容があまりにもサイコ的で、加害者が死刑には至らず既に刑期を終えたからだと考えられる。
懲役10年という刑期は果たして適切だったのか、邦太郎の両親は邦太郎の凶行に気付いていなかったのか、など疑問が多く残る事件だが、せめて被害者の少年が成仏していることを祈るばかりだ。
参考文献
下川 耿史 著『殺人評論』
稲葉 真弓 著『ガラスの愛』
草の実堂さんのサイトは国内外を問わず、様々な事件の様相が証されて事実を知る事が出来ます。
ホルマリン事件は知ったのは最近だったので調べ様が無い(海外の事件と思ってました💦)と思いましたが、被加害者共に父親が有名人で加害者は恵まれてる筈なのに殺人で悪質な事件の起こすとは今も赦せませんね。非道い形でコロされた被害少年には哀悼の気持ちしか出来ません。今後は少年で有っても事件に巻き込まれる事を心に止めて置きます。何時も草の実堂さんの情報が有り難いですね。