ナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発すると、ドイツの同盟国イタリアは1940年9月、エジプトへと侵攻した。
イタリアの統領ムッソリーニは、同地域からイギリス軍を追い出し、地中海沿岸を支配しようとしていたのである。
しかし、イタリア領リビアから意気揚々と進撃してきたイタリア第10軍はイギリス軍の反撃に遭い、撃退されるどころか追撃を受け、逆にリビア領内への侵攻を許してしまった。
このイタリア軍の窮地を救うために同盟国であるドイツから派遣されたのが「エルヴィン・ロンメル将軍」のドイツ・アフリカ軍団であった。
トブルクの戦い
【※ドイツ陸軍元帥エルヴィン・ロンメル】
リビアに到着したロンメルはすぐさま反撃を開始し、イギリス軍をエジプト国境付近まで押し戻し、港町トブルクを包囲する。だが、補給基地であったトリポリから遠く離れたことで補給体制が厳しくなり、また増強されたイギリス軍が反撃に出たこともあって、そこで進撃が止まってしまう。
1941年11月、イギリス軍は包囲されたトブルクを解放すべく「クルセイダー」作戦を発動した。ロンメルはここの戦闘では勝利を収めたものの、燃料と弾薬が乏しくなったことで、後方のエル・アゲイラまでの後退を余儀なくされる。一方、トブルクを包囲から解放したイギリス軍は、その町の西方にあるガザラまで進出すると、そこから内陸に向けて約80kmの長大な陣地帯「ガザラ・ライン」を構築し、ロンメルの次なる反撃を待ち受けることになった。
この陣地は前面に多数の地雷が埋められ、強力な対戦車砲で強化されていた。
ガザラ・ラインを迂回せよ!
【※トブルク防衛にあたるイギリス軍のオーストラリア兵たち】
1942年1月、ロンメルの指揮下部隊はアフリカ装甲軍となり、その下にアフリカ軍団のみならず、イタリアの機甲師団や歩兵師団を加えたことで、地上部隊全軍を一元的に指揮することが可能となった。ここでの装甲軍や機甲師団とは戦車を主力とした部隊のことである。
また、港町ベンガジを奪取したことで補給体制も改善され、独・伊両軍合わせて550両以上の戦車も補充された。こうして体制を整えたロンメルは同年5月、トブルクへ攻撃を開始する。
これがカザラの戦いの始まりであった。
ロンメルの立てた作戦は次のようなものだった。イタリア軍歩兵師団がガザラを攻撃して敵を引き付けている間に、アフリカ軍団とイタリア機甲化部隊がガザラ・ラインの南方を迂回してその後方に進出。陣地内の敵を包囲する。そこで敵を撃破した後はトブルクに向かい、これを占領することが最終目標だった。
立ちはだかる新型戦車
【※北アフリカ戦線で主力を務めたドイツ軍Ⅲ号戦車。写真はポーランド侵攻時のもの】
ロンメルは、補給港となるトブルクを攻略すれば、エジプト侵攻も可能だと判断していた。
砂漠で陸路が限られ、補給を海上ルートに頼らねばならない北アフリカ戦線は、物資の陸揚げができる港町をめぐる戦いでもあった。
しかし、5月26日に開始された作戦は、すぐに行き詰ることになる。
敵陣地を迂回して後方に回り込んだ途端に、アメリカ製新型戦車「M3グラント」を装備したイギリス軍第4機甲旅団の攻勢に遭遇してしまったのである。
【※1942年、アメリカ国内で訓練中のM3グラント】
75mm砲を備えるこの新型に対抗できるドイツ戦車は、長砲身砲を装備したⅢ号およびⅣ号戦車の新型のみだったが、それらは十分な数がなく、グラントを先頭に迫る敵に苦戦してしまう。
そこでロンメルは、8.8cm高射砲を対戦車砲に転用し、グラントを撃破したのだった。
断たれた補給線
【※炎上するドイツ軍IV号戦車とイギリス軍クルセーダー巡航戦車】
ところが、ロンメルたちの進撃は別の理由で停止してしまった。補給物資の欠乏に見舞われたのだ。部隊の後方に延びた補給線は、
カザラ・ライン南端のビル・ハケイムに籠もる自由フランス軍第1旅団によって遮断されていた。
しかも、ここを攻撃したイタリア・アリエテ機甲師団も撃退されてしまった。だが、ロンメルは撤退を選ばず、ガザラ・ラインの背後に「大釜」と呼ばれる陣地を築き、そのなかに籠もってイギリス軍の攻撃を凌いだのである。同時にロンメルは、第90アフリカ師団、トリエステ師団等をビル・ハケイムに送り込み、攻撃を強化した。
戦闘は一週間に及んだが、力尽きたフランス旅団が夜陰に紛れて撤退したことで、大釜陣地への補給線を開通させることに成功する。
エルヴィン・ロンメル 最後の反撃へ
【※現在のトブルクの港と街並み】
燃料・弾薬を手にしたロンメルは反撃を開始、数に勝る敵戦車部隊を撃破する。後方から攻撃されることを恐れたガザラ・ラインのイギリス軍は撤退を決断、ガザラの戦いはロンメルの勝利に終わった。
6月18日、ロンメルはトブルク攻略に着手し、友軍の支援が途切れたその町は、わずか2日で陥落した。
これにより、ロンメルのアフリカ装甲軍は、エジプトへの進撃が可能となった。エジプトとスエズ運河を占領できれば、イギリス軍の海上補給ルートに大打撃を与えられるはずだった、だが、そのロンメルたちの前には、イギリス軍が築いた新たな防御陣地「エル・アラメイン」が立ちはだかるのである。
砂漠の狐(ナポレオン以来の戦術家)
ロンメルは、この他にも北アフリカ戦線で驚異的な戦果を残しており、敵味方から「砂漠の狐」の異名で知られた。英国首相のチャーチルさえもが「ナポレオン以来の戦術家」とまで評し、ヒトラーの信頼も厚かったという。しかし、彼の戦いは常に数で劣る苦しい戦いの連続だったのだ。
2017年12月より最終章が公開されている「ガールズ&パンツァー」でも、ここに登場した戦車がリアルなCGで描かれている。ストーリーもテンポよく、全編を通じて明るく親しみやすいものとなっている。
テレビ版を知らない方も、先の劇場版DVDを見れば戦車の魅力にはまること請け合いだ。
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