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「ポケット戦艦」と呼ばれた軍艦について調べてみた

ポケット戦艦とは

「ポケット戦艦」と呼ばれた軍艦について調べてみた

※ドイッチュラント

ポケット戦艦とは、ドイツ海軍の新型軍艦に対して、イギリスの新聞記者が付けたあだ名でした。

この艦は、第二次世界大戦時のドイツ海軍に所属していた軍艦で、排水量に比して搭載された主砲が大きいため、こうした呼び名がついたものです。ドイツは第一次世界大戦の敗北により、「ベルサイユ条約」を締結し、その条約上から軍備を厳しく制限されていました。

そうした環境下で許された条件が「基準排水量1万トン以下で主砲口径も28cmまで」であったため、この制限内で最大の排水量・主砲を備えた軍艦として建造されたものが「ドイッチュラント級装甲艦」で、ポケット戦艦とよばれた軍艦でした。

この軍艦は合計で3隻が建造され、1番艦が「リュッツォウ」、2番艦が「アドミラル・シェーア」 、3番艦が「アドミラル・グラーフ・シュペー」として就役、主にイギリスに対する通商破壊作戦に従事しました。

ポケット戦艦の概要

それぞれの艦で若干異なりますが、基本諸元は以下のような数値となっていました。

軍艦の大きさからは、通常であれば「重巡洋艦」に区分される艦であり、実際ドイツ海軍での艦種も1939年以降にそのように変更されました。

・基準排水量:11,700トン
・全長:186m
・全幅:20.6m
・最大出力:48,930hp
・最大速力:26ノット
・航続距離:20ノット/10,000海里
・主砲:28cm(52口径)三連装砲2基

1番艦 リュッツォウ

※Panzerschiff “Lützow” wikiより

最初の艦名は「ドイッチュラント」でしたが、アドルフ・ヒトラーによって、このドイツ国名を冠した軍艦が失われる事態が発生した場合の心理面・宣伝面での負の要素を鑑みて、かつてのプロイセン時代の将軍の名に因んだ「リュッツォウ」に変更されました。

第二次世界大戦では、大西洋でイギリス商戦の拿捕などを行い、1944年9月にはバルト海にて、退却を行うドイツ陸軍を支援するための艦砲射撃を数ヶ月にわたって行いました。

1946年にはソ連海軍に接収されますが、翌1947年に実験の標的艦となってバルト海に沈みました。

2番艦 アドミラル・シェーア

第二次世界大戦中には、テオドール・クランケ艦長の指揮によって、イギリスへの通商破壊戦に従事、最も成果を挙げたドイツ海軍の水上艦艇のひとつとなりました。

1940年11月、デンマーク海峡から大西洋に出撃し、37隻のイギリス船団の内の5隻を撃沈しました。

1941年2月から4月にかけては、16隻の商船の合計9万959トンを撃沈・拿捕しました。最期はキール軍功に停泊中のところイギリス君軍の爆撃を受けて横転・沈没しました。

3番艦 アドミラル・グラーフ・シュペー

1939年12月、大西洋にあった本艦アドミラル・グラーフ・シュペーはをイギリスの重巡洋艦エクゼター、軽巡洋艦エイジャックス、軽巡洋艦アキリーズの3隻と「ラプラタ沖海戦」を展開しました。

この海戦で大きな損害を被ったシュペーは、中立国であるウルグアイのモンテビデオ港に退避しました。
しかし、イギリス寄りの国であったウルグアイが最大72時間の滞在しか許可しなかったため、モンテビデオ港外へ出航した後に自沈しました。

因みにこの海戦は、1956年に「戦艦シュペー号の最後」として映画化もされました。

ポケット戦艦の影響

元々陸軍国のドイツにおいて、しかもベルサイユ条約の制限下にあって建造された本級は、主役であった本流の軍艦からは逸脱するコンセプトの軍艦でした。

しかしいざ就役すると、その性能に他国の注目が集まりました。

基準排水量1万トン以下(実際には超過していた)、28cm三連装主砲塔・2基、ディーゼル機関による長い航続性能など、警戒されました。

制限によって生まれた重巡洋艦の船体に戦艦なみの主砲を装備するという苦肉の策が、敵の巡洋艦よりも速い上、遠距離から攻撃できる主砲を持つ艦として驚きをもって迎らえたのでした。

 

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コメント

    • 匿名
    • 2018年 10月 17日 1:02am

    艦単体の制限と保有トン数の制限という違いはあれ、特型駆逐艦と同じコンセプトですね。
    何というか、軍事条約締結というのは「後ろ手でナイフを握りながら握手をする」ということが解ります。

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    • 銀翼65
    • 2018年 10月 17日 8:10am

    文中に「巡洋艦よりも速い上、遠距離から攻撃できる主砲を持つ艦」とあるが、ポケット戦艦は巡洋艦より火力はあったが、速力では劣っていた。
    正しくは「自艦より強力な戦艦より速力では勝り、巡洋艦には火力で勝っていた」である。

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