皆さんは、蒸気自動車をご存じでしょうか?
蒸気自動車とは蒸気機関で動く車を意味し、人力を使わない動力で動く世界初の乗り物でした。
今回は、私達が使用するガソリン車や電気自動車のご先祖様というべき「蒸気自動車」について深堀りしていきます。
蒸気自動車とは?
蒸気自動車とは、前述したとおり蒸気機関で動く車のことです。
では「蒸気機関」はどのような仕組みで動いているのでしょうか?
蒸気機関には次の2タイプがあります。
1.蒸気を円筒(シリンダ)に誘導し、ピストンを往復させて動力を生み出す
2.蒸気で羽根車(タービン)を回し動力を得る
1は主に蒸気機関車及び蒸気自動車に採用され、2は発電(火力・原子力)や産業用動力、船舶を動かす機関等に使われています。
初期の蒸気自動車は、5トンの荷物と大人4人を乗せて時速9キロを出せましたが、15分毎にボイラーへの給水が必要でした。
1799年、イギリスのエンジニア・トレビシックは高圧蒸気機関を用いた人が乗れる蒸気自動車や、10トンの鉄を凡そ16キロ先まで運べる蒸気機関車を作りました。
1888年にはフランス発明家のレオン・セルポレーが、高圧蒸気が短時間で出来る「フラッシュ・ボイラー」を実用化し、蒸気自動車の稼働にかかる時間を短縮します。
しかし1870年頃には初のガソリン自動車が発明されており、1900年前後から蒸気自動車メーカーはガソリン自動車開発へ移行し始めます。
蒸気自動車の発明のキッカケとは?
蒸気自動車は、なぜ発明されたのでしょうか?
それは戦争に使用するためでした。
1756年~1763年まで、ヨーロッパでは二大勢力に分かれ七年戦争が行われました。
二大勢力とは以下の通りです。
1. イギリスとプロイセン王国(ドイツ北部からポーランド西部を支配)
2. フランスとオーストリアとロシア、スペイン、スウェーデン
ヨーロッパ全土と植民地(インド)も巻き込んだ戦争で、結果はイギリスとプロイセンの勝利となりました。
この時、敗れたフランス陸軍大臣だったショワズールは、軍の戦略戦術を練り直します。
彼はスイスの役人・プランタから 蒸気機関を使った大砲運搬を進言され、砲兵部隊総監グリボーバルにその開発を命じました。
グリボーバルが開発を任せたのは、軍の技術者キュニョーでした。
キュニョーは2つのピストンを交互に作動させることで動く蒸気機関を開発し、前輪駆動の三輪自動車を製作したのです。
人類初の自動車は、こうして生まれたのです。
これは「キュニョーの砲車」と呼ばれ、蒸気自動車としては以下の特徴を備えています。
・自走が出来る
・人が乗り込み、操縦が出来る
・車輪の回転運動が、蒸気機関のピストン運動により連続して実現した
しかし人類史上初の試みは、ショワズールの失脚で実用化されず中止となりました。
なぜ蒸気自動車は、他の自動車に敗れたのか?
19世紀は、蒸気自動車・ガソリン自動車・電気自動車が並び立つ時代でした。
1827年頃のイギリスでは「馬なし馬車」の名称で蒸気自動車が浸透するかと思われましたが、騒音や煤煙・ボイラー爆発等により速度制限を含む法律規制(※赤旗法)が行われます。
この赤旗法によりイギリス蒸気自動車メーカーは、速度の遅い農業トラクター製造を中心に事業を進める方向へ向かいました。
そして1902年までは蒸気自動車は自動車新規登録の53%を占めていましたが、翌年の1903年には蒸気自動車メーカーの43社が廃業してしまいました。
他の自動車に取って代わられてしまったのです。
蒸気自動車は、以下の3つ欠点がありました。
1. 動力機関がかさばり重量がある
2. 車がスタートするまで時間がかかる
3. 蒸気を発生させるボイラー整備が容易ではない
他には1897年のフランス開催の自動車レースで、蒸気自動車がガソリン自動車に敗れ「スピードに劣る」と見なされたことも大きな要因です。
さらに1901年のアメリカテキサス州の油田発見により、ガソリンの大量供給も可能となっていました。
こうして蒸気自動車は、次第に衰退していったのです。
現代に蘇る蒸気自動車
蒸気自動車は、完全に消えてしまったのでしょうか?
実は20世紀後半から21世紀初め、新技術を取り入れた蒸気自動車が開発されています。
スウェーデン自動車メーカー・サーブは、オイルショックの1973年に蒸気自動車開発を手がけ、日本の日産は1975年の東京モーターショーにて、蒸気エンジンを搭載した「スチーム・セドリック」を出展しています。
1999年には蒸気自動車マニアが多いイギリスで、蒸気自動車の最高速度記録を目指して「ブリティッシュ スチームカー チャレンジ」計画が始まります。
この計画は「チーム インスピレーション」と云う支援団体により設立されました。
最新の蒸気自動車は、支援団体名と同じ「インスピレーション」です。
現代技術を積み上げたインスピレーションとは、2009年の記録で時速239キロを出しています。
ステンレス製のボイラーと液化石油燃料ガスを使用したインスピレーションは、高温加熱水蒸気で2段式蒸気タービンを回し、車輪の高速回転を実現するよう設計されました。
目標時速は320キロでしたが、さすがにそこまでは至りませんでした。
終わりに
自動車は、沢山の技術の集合体といえるでしょう。
当初、人々が驚きで迎えたに違いない「蒸気自動車」は、20世紀からガソリン自動車に主役を譲りました。
しかし蒸気自動車のピストン往復運動による車輪駆動は、ガソリン自動車に受け継がれています。
また、19世紀のフランス発明家アメデー・ボレーが考えた独立懸架(左右車輪が独立して上下出来る仕組み)は、地面のでこぼこに対応する技術でした。
この技術は、蒸気自動車だけでなくガソリン自動車にも大いに役立ちました。
今後のテクノロジー次第によっては、蒸気自動車が再び脚光を浴びる日が来るかも知れません。
参考資料 : 「British steamcar challenge」「蒸気自動車の時代 – (car-l.co.jp)」
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